今ここ、あの時あそこで、どちらも、見えて、どちらにも共感し、受容していく。
そして、一息ついたら、やっぱり今ここに、戻ろう、と選択することができます。
主体性です。
自分が、生きていくというのは、結局、今ここの実感から始めよう。
次の選択は、ここから始めよう。
ということが、腑に落ちるのです。
心地よい方に、進もう。
そういうことは、当たり前である、という人はたくさんいると思います。
私は旅先で、雑草も含めて、植物をよく見て歩き、感心させられることがあります。、本当にその土地に最適化されてるのです。
自分が、気持ちよく生きていきたいと、言わんばかりに、生きていることに驚きます。
友人でも、多くはそうです。
しかし、私のように、理念や、ルールのちからが、大きくなってしまっていると、その当たり前が、簡単には理解できないのです。
実感に従って生きたら、
ワガママっていわれる、はずだ。
と思ってしまうのです。
しかし、実感に従って健康な人は生きてるとしたら、みんなわがままなんだから、別に自分もわがままで、平等なのです。
当然、あいても、何とも思わないのです。直接、聞いてみれば分かります。
ところが、世の中には、そういうことを、悪いことだと、決めつけてしまう人もいるんだと思います。
それが、生まれ育った環境に、そういうメンバーがいると、ややこしい話になりそうです。
それは単に、そのメンバーが、他者を尊重できなかったり、苦しんでいたり、そのメンバーしか解決できない問題の、主張なのです。
そんなメンバーにも、共感してあげられれば、自分もその人も楽になるでしょう。
旅先の喫茶店から☆
