028 認知とは何か?(「勝手な想像」私見)

 認知療法・認知行動療法・CBTにおいて「認知」という言葉、「自尊心」という言葉は、もっとも理解が難しいものだと思います。

 特に、うつ病、不安障害等の気分障害に罹患した人にとっては、これは大きな壁だと思います。それでいて、最も重要な概念でもあります。


 別の角度から見ると、うつ病になりにくい人、精神疾患からほど遠い人にとってみれば、ことされ議論する、問題視するほどのことでもないのです。なぜなら、生れてこの方、当然のように「毎日機能し続けている、当然の心の状態だから」です。(その人の常識的態度とか、自分自身のあり方です)

認知とか、自尊心という言葉は、具体的な現実に対する主観的な感覚を抽象化した概念に過ぎません。(バーンズ博士によれば「しゃれた言葉に過ぎない」)

 つまり、具体的な日常の中で、より具体的に捉え、どう自分が対応していくことが、自分なりの生き方なのかを模索することが、大切であり、言葉にはあまり意味がありません。


 認知というのは、病気怪我、社会情勢、目の前のテレビからの報道、新聞、友人の動向、仕事関係…・すべてのこの世の現象において具体的にどう自分の態度を持つかと言うことです。(無関係だという考え方もできますし、すべてが自分のせいだと考えることもできます、その中間もあります)


 自尊心というのも、成人になれば、基本的に、他人の評価と無関係にもっている、自分を大切にする力です。


 自分が行ったことは、うまくいくことも、いかないことも、時間を立ってから見るといろいろわかることがあります。


 どちらにせよ、自分はその時点では精一杯やったと思いませんか?


 もちろん、人は足らないものを持ち合わせている存在です。特殊な力を持っている人もいれば、その分何か抜けていることもあったりします。

 それは、改善できることもあれば、手遅れだったり、遺伝的な問題だったりすることもあります。
 それは自分には仕方がないことであり、その環境の中で精一杯やったにも事情があり、環境との調整もあり、そうなるべくしてなっているのだと思えませんか?



 そこを批判的に見過ぎるのは、自分を傷つける以外の何物でもないのです。と同時に、今できること(疲れたから寝るとかも含めて)をできなくしてしまうと言う、一つの自己批判で、二つの問題を作り出す悪しき習慣です。

 そのような態度は、いろいろな事情で持つに至ったものですが、自己批判の前提になるのに、「勝手な想像」があると思います。

 この「勝手な想像」が、現実とのズレを補正するのではなく、乖離させているところが、苦しくなる原因だと思います。