インクの染みのような絵を見て何に見えるか答える(ロールシャッハ?)テストや、◯◯とは という文章の続きを書くテストです。
そのテストで、私は物事を見る時に すごく遠いところから見るか、すごく近いところから見るかしかないらしく、中間がない事を指摘されました。
「人間関係を含め、物事には程よい距離感が必要だったりするのよ?」カウンセラーは私にそう言いました。
「テストの時もそうだったけど、物事への取り組み方が真面目っていうか…手を抜けないみたいね。それは悪いことじゃないけど、全てにそう向き合っているとしたら疲れちゃうと思うの。抜いても良いところは抜くってことも出来るようになるといいよね。」とも言われました。
今まで自分の物の見方や、取り組み方を考えてみたことなど無かったので、最初は「ふーん」と思って聞いていたのですが、鬱から脱出するためには、そういう自分の一面を知ることはとても大事だったように思います。
カウンセリングはカウンセラーと一対一で一時間程話をします。カウンセラーは私の話すことをメモに取りながら聞いています。
話はほとんど私が一人で喋っていて、カウンセラーは時々相づちを打ってくれたり、話が途切れると話題を変えたり、質問をしてくれたりして、私の話を引き出してくれます。
私の話すことを聞いてアドバイスをくれることは余りなく、肯定も否定もせずにただ話を聞いている感じでした。
最初の頃の私は一時間の内に、話が現在、過去、未来…とあちこちに飛んで、時間軸がバラバラで、笑いながら話したと思ったら泣き出す…を繰り返していたようで、「頭の中の引き出しが全部開いてバラバラに散らかっちゃってる状態なんだと思うけど、大丈夫よ、これから少しずつまたちゃんと引き出しにしまえるからね。」と言われました。
最初はその意味が良く分かりませんでしたが、そこから2年かけてようやく引き出しにしまって大切にできるようになれました。
引き出しにしまうって、見ないように閉じ込めることではなくて、向き合って受け入れるって事だと今の私は思っています。
受け入れたくない出来事にもちゃんと意味はあるのだと思います。
私たちは嫌な事からもちゃんと経験値を積み上げていて、必ず何かを学んでいます。
全ては今の自分が作られるのに必要なことだったのだと思うのです。
自己啓発や哲学の中でよく言われている
「人を許す事は自分を許す事でもある」
「他人を大切にするように、自分も大切にしなければはならない」
そんな言葉の意味がやっと分かった気がしました。
そんな頃…
私は同い年の男性と知り合いました。
程なくして、私はその男性からお付き合いを申し込まれたのです。
私は今までの事を全て話しました。
今も心療内科に通って薬を飲んでいることも全部。
今の私と付き合うのは普通なら難しいのではないかと思ったからです。
「ふ~ん。俺は別に平気だけど。俺もそれなりに色んな人を見てきたしね。」
また私は自分の事を「難あり」だと思っていた…と思いました。自分で自分の事をダメな人間だって思っていたことに気づいたんです。
なんの抵抗もなく私という人間を受け入れられるこの人は凄いな…と思いました。
私 36歳、娘が9歳の時、その彼と再婚しました。
が!!
私の波瀾の人生はまだまだ続き…
「子供がなつかないから」という理由で離婚を切り出され、結局5年でまたもや母子家庭に戻ってしまいました(^^;
つづく…