1294 映画「越後 奥三面」を見てきました | 中央台おやじの日記

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福島市の映画館「フォーラム福島」で「越後 奥三面-山に生かされた日々-」
(おくみおもて) を見てきました。
新潟県の北部の村上市、吊るされた鮭の遡上する川が、三面川。地図を見ると、

内陸の東に溯り三面ダム、その上流に奥三面ダム、ダム湖は「あさひ湖」。
その先は朝日連峰となっている。
治水と電源開発を目的にダムが作られ、そこに沈んだ奥三面の集落、42戸150人
が住んでいた。1976年から4年間、映画作家の姫田忠義(ひめた ただよし)は
この集落に入り、映像で人々の暮らしを記録した。そのフィルムが、デジタル化され
て、今回の上映になったとある。
映画は年末の行事から始まり、四季の村の行事、農作業、焼き畑、一家総出のゼンマイ
取り(学校は休み 貴重な現金収入)、マタギ(カメラマンの同行の可否の話し合い
の様子)と、捕った熊の分配の様子、ダムをめぐる確執は前面にでない。四季が周り、
ラストは、マタギの昔の衣装をして雪山に入る姿を再現してもらい、人々の言葉で結ぶ。
新潟県のHPの「奥三面ダム」を見ると、この映像がとられた5年後、1985年9月
に三面集落の閉村式、同11月に集団移転完了。内33戸は村上市松山地区に移転し
「三面」の地名を残すとある。91年にダム本体工事着手、98年奥三面遺跡群現地
調査終了(縄文から人々が住んでいた)、2001年試験湛水完了。
奥三面ダムはアーチ式、高さ116m、堤頂長244m、総貯水量1.25億トン
(黒部ダムは、186m、492m、2億トン)。
上映後、姫田氏の子息の蘭さんの舞台あいさつがあり、姫田忠義氏の師となる民俗
学者の宮本常一氏と父との思い出を語られた。その後の村上市街への移転も映像化さ
れているが、デジタル化は未定とのことであった。
私の微かな記憶では、新潟県の北部で、黒部ダム並みの事業で、あばれ川から人々を
守ることが行われた。裕次郎の映画やプロジェクトXで、わかった様な気になっている
が、村の歴史や人々の暮らしと引き換えに、治水や電気の恩恵があることを忘れている。
映画に出てきた大人は既に鬼籍の方が多いのだろう。子供たちも50才を越え、その後
どんな人生を生きられているのだろう。地図を見れば、日本じゅうのダム湖のひとつ
ひとつに忘れてはならないものがあるのだろう。と思った。