金曜日。
今日もフルタイム出勤だが、透析がある日は帰宅が午後9時をすぎるのに対し、フルタイム出勤日は午後7時すぎには帰れるので嬉しい。
帰宅すると、ちびが悲しそうな顔で迎えてくれた。
俺「どうした? ちび」
ちび(7)「……」
俺「嫁ちゃん、どうした?」
嫁「本人に聞け」
俺「それじゃ再度、どうした? ちび」
ちび(7)「さんたさん」
俺「サンタがどうし……あ、そうか。明日はクリスマスイブだな」
ちび(7)「さんたさん、が、こない、かも……うっ、うっ……」
俺「はあ? 何でそうなるんだ?」
ちび(7)「いし、なげたから……」
二週間ほど前。
小学校からの帰り道、ふとした出来心で地面に落ちている石を拾い、それを車道に向けて放り投げたという。
オーバースローではなく、アンダースローで。
帰宅してからこれを聞いた俺は激怒したが、俺が激怒するよりも前に、学校でひどく叱られたらしい。
同じ通学路の上級生に目撃され、翌日担任経由で指導を受けたとか。
車が通っていなかったから良かったようなものの、通っていなかったらやっていいことでもないし、いろいろな意味で危険な行為なので、徹底的に叱った。
「なぜ、それをしてはいけないのか」をきちんと伝えないと、子供にはわからない。
どっかの腐れ女が「そんなことするとおじちゃんに怒られちゃうからやめなよね」なんて、電車の中やフードコートで走り回っている自分のガキに(スマホをいじりながら顔も見ずに)言っている光景を時々目にする。
ああいう指導しかできない馬鹿親(親じゃなくててめえもガキ)が股の間からひり出したようなガキは、どうせろくな教育を受けられず、この国の底辺を背負って立つのだから、見ていてイライラすることはあるが、実際どうでもいい。
子供がやらかした時に「子供がしたことですから」と言い訳をする馬鹿も同様。
あれは被害者が「まあまあ、子供がしたことですから、そんなに怒らないであげてくださいよ」という意味で使うはずの言葉なのに、馬鹿で無教養なクズ親は自分の子供の責任を隠すために使う。
こういう馬鹿親は一定数存在し、その馬鹿に教育された馬鹿ガキも一定数存在するのは事実なので、そういう底辺とは関わってはいけない。
そういう無教養で馬鹿な底辺と関わらないようにするには、そういう底辺の思考に染まらないように生きるしかない。
類は友を呼び、朱に交われば赤くなる。
だから俺は叱る。
なぜ「それが悪なのか」をきちんと理解するまで、目を見て話す。
ちびにとっては怖いお父さんでいい。
憎まれようが、嫌われようが、大きくなった時に他人とうまくやっていくためのルールを教えなければ、親の意味がない。
俺が嫌われようが、どうでもいい。
というわけで、学校で怒られてきた上に、家でも再指導を行った。
ちびは深く反省し、二度と道に落ちている物には手を伸ばさないことを約束した。
もちろん、どこかに向かって何かを投げるような行為も、大変危険であることを理解させた。
ついでにツイッターで、罵詈雑言をネット上の他人に向けて投げる行為も愚かであることを教えておいた。
と、こんな経緯があってか、本人は「悪いことをしたから今年はサンタが来ない」と思っているらしい。
俺「道路に向けて石を投げたのは、もう済んだことだろ? 事故も起きなかったし、学校では叱られまくって泣いたんだろ? 出来心でやっちゃいけないこともわかったんだろ? だったらもういいじゃないか」
ちび(7)「でも……さんたさん、が……うぐっ……ひっく……」
娘「今日はずーっとこうなんだよ」
俺「そうなのか?」
娘「そうだよ。それで、サンタの話をちょっとでもすると、『そのはなしは、しないで!』って怒るんだよ」
俺「あはは」
娘「笑い事じゃないよ」
俺「いや、笑う。お前、かわいいな」
ちび(7)「ぱぱも、そうやって、ぼくのこと、ばかにして、たのしいんでしょ」
俺「あ、いや……そういうわけじゃ……」
ちび(7)「どうせ、さんたさん、が、きてくれなくて、あとで、わらうんでしょ」
俺「来るかどうかはわからないし、来なかったらそう言えばいいだろ?」
ちび(7)「きてくれなかったら、かなしいじゃん!」
俺「……」
実際に「サンタはいる」のだから、うちではそれをそのまま子供達に伝えている。
フィンランドのロバニエミという村にサンタ村があり、世界中にプレゼントを配ってくれる超能力を持って瞬間移動ができるボスサンタと、その手伝いをするノーマルサンタの大軍団がいると伝えている。
映画『ポーラーエクスプレス』も見せたし、ボスサンタの配下に何万人もの小人が従い、マルチモニタで世界中の子供の暮らしを眺めていることも知らせてある。
悪いことをするとブザーがなり、赤ランプが点滅することも知らせてある。
プレゼントの包み紙がトイザらスである理由も、「世界中の子供にプレゼントを配るためにはサンタ村の工場では製造が間に合わず、トイザらスなどのおもちゃ屋と提携し、アウトソーシングでプレゼントを製造してもらっている」と説明してある。
また、世界中のこどもに一晩でプレゼントを配るなんてことはいくら超人サンタでも無理なので、一部手が足りない部分は父や母などの家族がスポット的アルバイトを請け負って、サンタの代わりにプレゼントを運んでくるとも言ってある。
また、「サンタは煙突から入ってくる」というのは過去の話であり、今では煙突がない家が多いので、窓をすり抜けて入ってくると言ってある。
ちび(7)もこのブログを毎日読んでいるのでここではっきり言っておくが、サンタを信じないような心の貧しいつまらん人間の思考や言動は無視してよい。
『ポーラーエクスプレス』の主人公であるヒーローボーイは、サンタを信じたから彼に会えた。
そして信じることの素晴らしさと大切さを学んだ。
この考え方は、人生のすべてに通じる考え方である。
否定、批判、文句、事実だからという告げ口、高望み、身の程知らず、責任転嫁、自暴自棄、自己中心、なぜ自分だけがこんな目に……そういう気持ちで生きている人間に幸せは絶対やってこない。
孤独に生きる連中は、自分にそれなりの原因があることを知らないやつが多い。
俺「ま、サンタが来なきゃ来ないでいいじゃんか。そういう年もある。人生ってのは晴れる日もありゃ、雨が降る日もある。ずっとお天気な人生なんて、ない」
ちび(7)「わかってる……でも……さんたさん……ひっく……ひっく……」
娘「サンタが来なけりゃ、姉ちゃんがプレゼントしてやるよ! どらめくりが欲しいんだっけ?」
ちび(7)「ちがう……さんたさんが、くれないと、いみないの」
嫁「つまり、こういうことや」
俺「どういうこと?」
嫁「サンタがプレゼントを持ってきてくれる、すなわち、ぼくはサンタに認められた人間である、すなわち、ぼくは正しい生き方をして来た、すなわち、ぼくの生き方は間違っていなかった、という自己肯定感じゃ」
俺「あー、なるほどな」
嫁「あんたが帰ってくる前もこんなことをぐちぐち言っとったから、うちが言うたんよ。『間違いを犯さない人間なんぞおらん。あんたは石を投げたことを反省して、もう二度としないと約束できたんやから、そこは評価点となる』って」
俺「だが、本人は納得できないというわけね」
嫁「そうや。困ったもんや」
俺「おいちび」
ちび(7)「はい」
俺「お前は、サンタがプレゼントをくれないと、自分に自信がないのか?」
ちび(7)「だって……わるいこと、しちゃったし……きょうとう、せんせいにも、よばれちゃったし……」
俺「パパなんてな、小学校の時にはしょっちゅう校長室で給食食べさせられてたぞ」
ちび(7)「どうして?」
俺「どうして、って……その……女の子のスカートをめくりまくって……先生にすげー怒られてな」
ちび(7)「ほんと?」
俺「おう。それで、めくった女の子にはぼこぼこにぶん殴られて、その後は二週間くらい校長室で過ごした。校長先生に睨まれながら給食を食べた。そんなことが何度もあった」
ちび(7)「へえ!」
俺「何でそんなに嬉しそうな顔をするんだ?」
ちび(7)「ぱぱのが、ぼくよりも、わるいやつじゃん! おんなのこの、すかーと、めくっちゃ、だめなんだよ!」
俺「わかってるよ。昭和の時代はよくあったんだよ。で、五人ぐらいの強え女にタコ殴りにされて、学校の廊下に這いつくばらされたのも、いい思い出だ」
ちび(7)「ふーん。それで、さんたさんは、きたの?」
俺「おう。来た来た。昭和の時代はゲーム機とか無かったから、図鑑とか、ドラえもんに出てくる『偉い人の話』とかだったけど、ちゃんともらったぜ」
©藤子プロ・小学館 ©藤子プロ・小学館・テレビ朝日・シンエイ・ADK
ちび(7)「そうなんだ!」
俺「というわけで、人間なんてミスもすりゃ、間違いも犯す。大事なことは、そこで反省して、次から同じことをしでかさなけりゃいいんだよ」
ちび(7)「うん。わかった」
俺「だから、それでサンタが来なくても、それは仕方がない。お前の蒔いた種だ。お前が刈り取るしかない」
ちび(7)「う、うう……」
俺「あ、ちょっと……」
ちび(7)「うわーん! うわーん! うわーん!」
嫁「惜しかったな。あとちょっとやったのに」
娘「もう知らない。泣かせとけば?」
俺「えーと、あの、風呂入ってきます。あとは任せた」
嫁「逃げる気か!」
さて。
サンタはプレゼントを持ってきてくれるでしょうか?