なんでも独り占めできる。
ケーキもお部屋もお母さんの愛情も分ける必要もなければ、取られることもない。
全部、私のもの。
が、当たり前だった。
セネガルには『テランガ』と呼ばれる助け合いの精神が根付いてる。
持ってる者は、ない者に分け与え、困ってる人がいれば助ける。
自分が食べる時、周りに食べていない者がいれば先に与える。
それが外国人であっても、知らない人であっても関係ない。
とくに『食』に関しては、自分が食べている時、誰かが食べていないという状況はとても違和感を感じるらしい。
食事中、知らない人でも必ず「一緒に食べましょう。」と声をかける。
彼たちの食事の形態は大皿を囲んで、みんなでスプーンを突っ込んで食べる。

その時、風邪をひいている人がいても、その人の分だけ器を分けるようなことはしない。
風邪ひきの苦しみも、一緒に大皿で食べる楽しみも、みんなでシェアする。
一人っ子の私はそんなセネガルの習慣にもちろん戸惑った。
私には元々分ける習慣はなかった。
しかし、セネガル人はそんな私の態度に腹を立てることなく、いつでも私を誘い、自分の分を分けてくれる。
「一緒に食べましょう。」「これ、あなたから食べてください。」
最初は、外国人である私に特別扱いをしているのかと思っていた。
しかし、みんなを見ていると、彼たちは誰に対してもそうだった。


お腹すいて何か買う時。
例えば、一緒にいる仲間たちが同じようにお腹がすいていて、その人たちがお金の持ち合わせがなかったら。
さて、あなたはどうする?
自分だけ買う?
今までの私は、自分の分だけ買っていた。
でも、セネガルの場合は違う。
自分だけ買って食べるようなことは絶対にしない。
仲間の分も買うか、がまんして一緒に空腹を共有するか。
それか、自分の分しか買うお金がなかったら、口を付ける前に先に連れに分ける。
私は、「そんなのお金を持ってる人が損ではないか!」と思った。
でも、違うのだ。
その施しは巡っていつか自分のところに戻ってくる。
日本でも『金は天下の回りもの』とはいうけれど、セネガルはまさにその発想。
持ってるものが、持ってないものを助ける。
そこには上下の関係はまったくない。
助けてあげられることに感謝し、助けてもらったことに感謝する。
感謝は両者ともイコールなのだ。
そこに損徳はない。
これをすることで分かち合えるものがたくさんある。
食べ物やお金だけじゃなく「おいしい」や「嬉しい」という気持ちも分かち合う。
相手が感じてる感情を一緒に共有することで、相手を思いやる心を持てる。
独り占めをして、得なことは何もない。
みんなと分ける、分かち合う。
分けることがとても豊かな気持ちになることを、私はセネガルで知った。
例えお腹いっぱいにならなくても、「ありがとう。」で胸がいっぱいになる。
食べた物は消化してしまえば消えてしまうが「ありがとう。」は消えない。
物質的に豊かより、気持ちが豊かでいること。
こちらの方が何倍も『豊か』なのだ。
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出会いと別れ、信頼と裏切り、笑いと涙のハラハラドキドキのセネガルでの壮絶なすったもんだの体験談。楽しくて陽気なセネガルの知らせざる裏の顔とは?
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