野村萬斎が東京オリンピックの開会式閉会式の演出総合統括になった。そして、新春のNHKや読売新聞のインタビューで、自らの演出のコンセプトの一端を狂言の特徴に求めたいとの趣旨を述べていた。

 

それは、狂言が「このあたりのものでござる」という第一声で始まることの意味である。身分、地位、職業も、場所も特定しない。

東京に集う日本と世界の人々を、この精神で歓迎し、交流したいというのである。

 

萬斎がこれまでも講演などで、狂言の本質を表すとして、随所で述べてきたことである。


このような哲学の萬斎を、オリンピックのいわば歓迎式責任者に宛てた人選は、誠に優れたものだったと思う。

 

萬斎は野村万蔵を祖父に、偉大な万作を父に持つ血統種であるが、加藤周一との関係が深い。


 

萬斎は野村家が代々伝える狂言の道に入るかどうかを悩んでいた17歳の時、加藤の万蔵評論を読んで、狂言で身を立てることを決意したと伝えられる。加藤が万蔵をローレンス・オリビエに匹敵する役者だと評していたのを読み、狂言は世界に通じる芸という点、様式美への賛辞に勇気をもらったのである。加藤は狂言役者になった若き萬斎を、その祖父、父に続いて高く評価し続けた。

 

加藤の、16世紀頃定着した狂言論は、「微妙で、聡明なヒューモアの世界」である「『狂言』の世界こそは、『今昔物語』・・以来の土着世界観が、大衆的な観客の立会いのもとで、内容を豊富にし、形式を様式化するとき、どういう方向へ発展し得るかを示していた」というものである。

 

加藤は、狂言自体を芸術と言っているわけではない。野村三代の芸が名人だから狂言は芸術となっているに過ぎないと言っている。

オリンピックの開閉会式が、名人狂言師により、我が国の中世以来の精神を受け継ぎ、世界に人々を受け入れる芸術的セレモニーになってほしいと願うものである。

 

斎藤浩