最高裁判事もつとめた、法曹界で著名な千葉氏が、随筆にしては長大な中島みゆき論を書いている(「法曹」201710月号)。

 

 題して「中島みゆきの歌の世界と司法との交差点」。

 

 みゆき論としては力作であるが違和感がある。

 司法論としてはきれいごとをいっているようで、私の中では二つは交差しない。

 さて、ここでは千葉氏のみゆき論だけを少し論じる。

 

 力作なのは、みゆきの曲とDVDをほぼ全部視野に入れて、総合的な評論となっているからである。私はみゆきの「夜会」を部分的にしか観ていないのでとても参考になった。あとはみゆきのライブ臨場感と著作をもっと加えて論ずれば、さらに総合化するだろう。裁判官生活を通じて、これだけのみゆきの曲についての造詣を持つ人がいることに驚くとともに敬意をもつ。

 

 次に違和感に移る。

 まず、千葉氏が熱愛するという曲「誕生」である。

 この曲は、千葉氏もいうように、愛を失って辛くても、その経験から本当の愛がわかるので、人生を肯定しよう、泣きながら生まれてくるとき誰でもwelcomeと祝福されたように、人生を再出発しようという究極の励まし歌である。しかしである、千葉氏はほぼ全文歌詞を引用して紹介しながら、私が詩のうちの最も重要なフレーズと思う次の部分、最初に聞いたはずのwelcomeを思い出せない人への呼びかけを、なぜか省略している。

 

  Remember けれどもしも思い出せないなら

   わたしいつでもあなたに言う 生まれてくれて

   welcome

 

 曲名が誕生であるのは、どんなに辛く苦しいときでも、生まれたときに生んだお母さんをはじめ多くの人から、生まれてくれてありがとうと言われたことを思い出して、新しい人生に歩み出そうということであろう。そして、お母さんなどから言われたはずの、生まれてくれてありがとう、の記憶がないなら、わたし、中島みゆきが、生まれてくれてありがとうとあなたに言うと彼女は叫んでいる。

 

 次に、千葉氏が人生の応援歌という曲「ファイト」である。

 この曲は、千葉氏もいうように、中卒だとか、女だとか、ガキだとか、薄情もんだとかと理不尽な扱いを受けたり、悪をみても正せなかったり、そういう絶望感や嫌悪感をかかえながらも、負けずに闘う者を励ます。闘わない奴等は笑うが、わたし、中島みゆきは励ますと宣言している。しかし、千葉氏は、ここでも、長く歌詞を引用しながら、次の部分、私が肝心と思うところを省略している。

 

暗い水の流れに打たれながら 魚たちのぼってゆく

光っているのは傷ついて はがれかけた鱗が揺れるから

いっそ水の流れに身を任せ 流れ落ちてしまえば楽なのにね

やせこけて そんなにやせこけて 魚たちのぼってゆく

 

ああ 小魚たちの群れきらきらと 海の中の国境を越えてゆく

諦めという名の鎖を 身をよじってほどいてゆく

 

 絶望感、嫌悪感に負けそうとする者たちを、みゆきは冷たい水にいる魚にたとえて励ましている。傷ついて鱗がはがれてやせこけて、流れに身を任せば楽なんだが、魚はそれでも上って行こうとする、行けば海の国境を越えるよ、と。みゆきは負けるなと言っている。

 

  次に、千葉氏が取り上げない「倒木の敗者復活戦」の歌詞をあげておきたい。東日本大震災の翌年に作られて、人は倒木を東北と聴く。みゆきの、大震災被害者への渾身の壮大な励まし歌である。

 

打ちのめされたら 打ちひしがれたら
値打ちはそこ止まりだろうか
踏み倒されたら 踏みにじられたら
答はそこ止まりだろうか
光へ翔び去る翼の羽音
(はおと)を 地べたで聞きながら
望みの糸は切れても 救いの糸は切れない
泣き慣れた者は強かろう 敗者復活戦
あざ嗤
(わら)え英雄よ 嗤(わら)うな傷ある者よ

傷から芽を出せ 倒木の敗者復活戦

叩き折られたら 貶(おとし)められたら
宇宙はそこ止まりだろうか
完膚無
(かんぷな)きまでの負けに違いない 誰から眺めても
望みの糸は切れても 救いの糸は切れない
泣き慣れた者は強かろう 敗者復活戦
勝ち驕
(おご)れ英雄よ 驕(おご)るな傷ある者よ
傷から芽を出せ 倒木の敗者復活戦
傷から芽を出せ 倒木の敗者復活戦
傷から芽を出せ 倒木の敗者復活戦

 

 

 千葉氏への違和感は、中島みゆきの多様性を示すだけのことなのか、他の原因があるのかはわからない。

 

斎藤浩