peaceさんの投稿での記事は、

 

『創造理想からはアダム・エバが「独生子」「独生女」です。ところが、堕落によってそうなることが出来ませんでした。

そのために、神様は再びこの地上に「独生子」「独生女」を送ろうとして蕩減復帰摂摂理をしてこられました。それらは失われたアダム・エバの一カップルのみです。
 
『ところが以下は、「独生子」「独生女」がどれだけいるというのでしょうか?
結論的には間違った原理解釈です。』
 
ですが、
 
『それらは失われたアダム・エバの一カップルのみです。

 

ところが以下は、「独生子」「独生女」がどれだけいるというのでしょうか?

結論的には間違った原理解釈です。」

 

と、ご指摘されている内容が、「間違い」かも知れません。

 

御父様の御言葉をよく理解することです。

 

「本来、旧教と新教が一つになって先生を受け入れていたら、今のオモニはオモニになれなかったでしょう。聖進のオモニがそのまま維持されていたことでしょう。」
(み言選集、337巻p18、2000年10月16日)

 

「今のオモニ」は、「韓鶴子お母様」、

 

「聖進のオモニ」は、「崔先吉様」 です。

 

「そのために、神様は再びこの地上に「独生子」「独生女」を送ろうとして蕩減復帰摂摂理をしてこられました。それらは失われたアダム・エバの一カップルのみです。」

 

と言われていますが、

 

御父様は、

 

「本来、旧教と新教が一つになって先生を受け入れていたら、」

 

「韓鶴子お母様」が「真の母」ではなく、「崔先吉様」が「真の母」として立っていたということを言われています。

 

「真の父母」が「独生子」「独生女」、「失われたアダム・エバの一カップル」であるとしたならば、

 

「本来、旧教と新教が一つになって先生を受け入れていたら、」

 

「御父様」と「崔先吉様」が「真の父母」・「独生子」「独生女」、「失われたアダム・エバの一カップル」になっていたということになります。

 

そして、「韓鶴子お母様」は、「独生女」でもなく、「失われたアダム・エバ」の「エバ」でもなくなってしまうということになります。

 

「本来、旧教と新教が一つになって先生を受け入れていたら、今のオモニはオモニになれなかったでしょう。聖進のオモニがそのまま維持されていたことでしょう。」
(み言選集、337巻p18、2000年10月16日)

 

の御言葉は、

 

二人の「独生女」、「失われたエバ」候補が存在していることが明らかにされていると理解するべきです。

 

盲目的に、「独生女」=「韓鶴子お母様」としてしまうことは、少し、浅はかなことではないでしょうか。

 

そもそも、聖進のオモニがなる「独生女」と「独生女」としてお生まれになられた「韓鶴子お母様」の「独生女」の意味合いが違うことを、理解すべきではないでしょうか。

 

「それらは失われたアダム・エバの一カップルのみです。」という概念が、「真の父母」は「一組」だけという固定概念が、生み出しているということを知るべきです。

 

本来「失われたアダム・エバの一カップル」は、「御父様」と「崔先吉様」です。

 

「韓鶴子お母様」は、「御父様の相対者」としてお生まれになられていないということを明確にされる必要があります。

 

「韓鶴子お母様」は「独生女」としてお生まれになられていますが、決して、「御父様の相対者」としてお生まれになられたのではなく、本来、御聖婚される「お相手」が、他におられたということを知らなければなりません。

 

「失われたアダム・エバの一カップル」・「独生子」「独生女」が、「失敗」してしまったために、

本来、御聖婚される「お相手」が居たにもかかわらず、その方とご夫婦になる運命が変更されて、「御父様」と御聖婚されることになってしまったということになります。

 

私の見解は、

 

本来、「真の父母」・「独生子」「独生女」・「失われたアダム・エバの一カップル」となるべき、、「御父様」と「崔先吉様」が「失敗」されたため、「蕩減」として、御父様の娘としてお生まれになり、「御父様」と「崔先吉様」のご長男・聖進様と「同じ父の血統を受け継ぐ異母姉弟」として、「真のご家庭」を出発させるご使命を持たれた「韓鶴子お母様」が、父親である「御父様」と御夫婦になられたという見解です。

 

今まで母子協助して復帰摂理をしましたが、これからは父子協助時代です。アダムさえ堕落しなければ、エバはいくらでも創ることができるのです。

資料:み言選集 311巻192ページ 1999.09.04 <環境創造の能力者となれ

という御言葉も、

 

「失われたアダム・エバの一カップル」・「独生子」「独生女」も一カップルという勝手に作り上げた「定義」が違うことを明らかにされています。

 

固定観念を中心とした「信仰」を持たれたシックにとって、受け入れがたいことでしょうが、

 

「韓鶴子お母様」は、「御父様の相対者」となるために、「独生女」としてお生まれになられたのではないということが、重要なポイントではないでしょうか。

 

 


 

 

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