投稿『「真のご家庭」研究 マリア信仰と大母様(テモニム)信仰』のコメントの返信で、

「もし第一のお母様が使命を全うされていたならば、韓鶴子お母様が摂理史に登場することはなく、従って洪順愛大母様がマリア信仰を集めることはなかったと思われますが、」

と書かれていましたので、

「事は複雑のようで、もし、もし第一のお母様が使命を全うされていたならば、韓鶴子お母様には、また別の重要な立場に立ち、摂理史に登場する道が準備されていたと思われます。
そして、洪順愛大母様が清平役事とは違った形でマリア信仰を集める道がうまれていたと私は思っています。」

と書きました。

あくまでも私の推論であることをお断りしておきたいと思いますが、

1943年 12月 18歳の崔先吉と「婚約」
1944年 ?月の終わり 洪順愛、韓鶴子の実の父と出会う。
?月の終わり 洪順愛、妊娠
1944年 5月 御父様と崔先吉女史(一番目のお母さま)「御聖婚式」
1944年 ?月~?月 韓鶴子誕生
1946年 3月? 文聖進 生誕

一番目のお母さまである「崔先吉女史」の責任分担が全うされていたならば、

御父様の再婚はなかったと思われますので、

「韓鶴子お母様」は、御父様と御聖婚されることなく、他の方と「祝福」を受けていたと
思われます。

その相手の方は、「聖進様」であると私は思っています。

実際の「聖進様」の相対者は、金元弼先生の娘さんの金東淑様であるということです。

1946・4・7  文聖進 誕生
1960・4・16 金元弼・鄭達玉 祝福(36家庭(3家庭)) 
1955・2・22 金東淑 誕生
1973・7・18 文聖進・金東淑 祝福
(金元弼先生の子供で祝福時できたお子さんであれば
13歳で結婚した計算になる)

ちゃぬさんのブログの「六マリアと真の家庭(2)」に書かれていますが、

「聖進様」と「金東淑様」のご結婚が「腹違いの兄妹の結婚」である可能性があると書かれています。「血分け」の理論により、神の純粋血統に近づけるための「兄妹婚」であるということです。

《兄妹婚?》
崔先吉(聖進の母)----文先生(父)----鄭達玉(東淑の母)
     
          |      (近親相姦)  |
             文聖進-----------金東淑
             1973年7月18日に祝福


「聖進様」と「金東淑様」の年齢差は、約9歳となります。

もし、お母様とお父様が親子であるならば、

《兄姉婚?》
崔先吉(聖進の母)----文先生(父)----洪順愛(鶴子の母)
     
          |        (近親相姦) | 
             文聖進-----------韓鶴子.....「真のご家庭の長子」の御夫婦

となられていたのではないでしょうか。

「聖進様」と「韓鶴子お母様」の年齢差は、約2,3歳となります。

御父様と第一のお母様が破たんされたので、「韓鶴子お母様」が、「御父様の相対者」へと繰り上げられたと思われます。


御父様と崔先吉様から生まれた「聖進様」は、「再臨主」の血統を受け継ぎ「無原罪のイエス様の立場」

御父様と洪順愛様から生まれた「韓鶴子お母様」は、「再臨主」の血統を受け継ぎの「無原罪の女イエス様の立場」

そのお二人の間に生まれる「お子様」は、歴史上、初めての本然のアダムとエバの「お子様」の立場に立つことができたのではないでしょうか。

「韓鶴子お母様」は、神様が準備された「特別なエバ」であることが解ります。

摂理が失敗せず、「韓鶴子お母様」が、「聖進様」と御聖婚されていれば、「真の御家庭」の状況も変わっていたかも知れないと思います。

実は、「再臨主」であるお父様と「無原罪の女イエス様の立場」であるお母さまが、本然のアダムとエバ(それでも象徴的であると思いますが)の立場に立った時があります。

1967年 「お母様の7年路程勝利」

1968年 1月1日「神の日」 四大名節の制定がなされ、

御父様は、

『「神の日」の決定と同時に、先生の使命は完成されました。』と言われました。

そして、その状況で、

1969年 顕進様 御生誕 

ということになります。

「顕進様」が特別な立場でお生まれになられたことが解ります。



続く。


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