今回は、御父様と洪順愛大母様の共通の「信仰遍歴」についてみていきたいと思います。
● 御父様の信仰歴は、
15歳 家族全員が、キリスト教に入教
16歳 イエス・キリストからの啓示
18歳 ソウルに上京して「イエス教会」の所属教会である明水台教会に通った
『教祖である文鮮明は 1920 年に平安北道定州に生まれた。曾祖父の代までは裕福な儒教家門
であったが、15 歳の時に兄弟が精神病を発症したのをきっかけに、家族全員がキリスト教に
入教する。16 歳の時、祈祷中にイエスと霊通し、再臨主の使命を継承してほしいと召命され
る71。18 歳の時にはソウルに上京して学校に通い、「イエス教会」の所属教会である明水台教
会に通い始め、そこで日曜学校の講師をするなど熱心に活動する。「イエス教会」のリーダー
である李許彬が明水台教会を訪問した際に二人は会っており、文がそこで「神の摂理」と「究
極の真理」を体得したと語っているだけでなく、文の初婚時には李許彬が主礼を引き受ける72
など両者は深い関係にいたことが推察できる。また、文は李龍道を自分の思想的、歴史的なル
ーツと捉えており73、李龍道の妻を統一教に入教させようとした74 という記録もある。こうい
った状況証拠からも、文が「イエス教会」から多くの影響を受けていたことは間違いない。22
歳で日本留学からの帰国後には、柳明花を信奉した一人である白南柱の弟子、金百文が建てた
「イスラエル修道院」に通っていた。』
(韓国キリスト教系新宗教のイエス観 古田 富建)
22歳 地下教会(神霊集団)の本格的遍歴を開始
『先生はまず、地下教会(神霊集団)を遍歴しました。日本の神社を参拝した汚された人々が現れるために、解放の三年前から、つまり数えの二十三歳(満22歳)から、地下教会(神霊集団)の遍歴を始めたのです。「神霊的な人たちは、どのような道を行くのだろうか。神様の摂理はこうこうでなければならないはずだ。そのために準備団体が必ずなければならないはずだ」と考えて、地下教会を探査し、有名だという神霊的な人々にすべて会ってみました。しかし彼らも神様のみ旨を知らずにいたというのです。神様のみ旨の方向を知らずにいたのです。』(真の御父母様の生涯路程1)
23歳 『18歳の崔先吉(チェ・ソンギル、教団では「真の母」としての第一候補だったとされる)と婚約。「年齢は10代で、篤実なキリスト教徒であり、洗礼ヨハネの使命を果たす女性」という条件で文鮮明は選んだという。なお、崔先吉は母親と共に、大韓イエス教長老会(再建派)の信者であった。』
25歳 「京畿道の坡州のイスラエル修道院 の金百文(キム・ペグムン)のもとで学ぶ。京城の永登浦区域所(現:永登浦区)上道洞の礼拝所で補助引導師を務める。」
34歳 世界基督教統一神霊協会創立
● 洪順愛大母様
1933年(19歳)から1936年(22歳)ごろまで李龍道・李浩彬・韓俊明氏らと共にイエス教で信仰をしています。その後は、聖主教・腹中教で信仰します。
「クリスチャントゥデイ異端・カルト疑惑」というブログに、御父様と洪順愛大母様が信仰していた「韓国の神霊神秘主義」について解説しています。
『ここに登場する人物はみな韓国の神霊神秘主義=異端・カルトにおける登場人物たちである。
①男性を中心とする準備
朴東基・・・・旧約的エデン復帰派
白南柱・・・・予言と奇跡、元山のイスラエル修道院長
李龍道・・・・監理教の牧師、復興師
金百文・・・・新約的エデン復帰派、神の側の天使的・洗礼ヨハネ的立場
白南柱の弟子、イスラエル修道院を京畿道玻州につくる。
③女性を中心とする準備(愛を中心とする)
金聖道(聖主教団)___(長男)鄭錫天
(平壌教会責任者)李一徳
(妻)許孝彬
「愛の世界」韓鶴子著光言社より』
『★洪順愛ハルモニの証
李龍道・黄国柱との出会い
「19歳になった年に、李龍道牧師が新しい役事を起こし始めたのですが、私も三日間恵みを受けました。また同時に、李龍道牧師と同じ復興師であった黄国柱氏が人々に多くの恩恵を与えました。黄国柱氏の一派は、五十余名でしたが、間島から始まって新しい役事を起こしながら、韓半島を巡回していました・・・私は黄伝道師の妹からも大きな感銘を受けました・・・」。
☆新イエス教
「新イエス教会は、黄国柱氏と李龍道牧師ら恵みを受けた人たちでつくられており、既成
教会からは異端として追われた教会だったのです・・・・」。
☆聖主教
友達に知らせれば「あなたは新しいものがあると言えば、また行く」と反対されそうな、
ので、友達には知らせずに鉄山に行きました・・そのおばあさんは、聖書も正式に学ん。
だことのない人でしたが、説教も立派にされたのです」。
↓
◎聖主教団(金聖道)の教え
神との一問一答
年4月2日空中の門が開かれ、天上に上り・・・一問一答が交わされた。1923
①罪の根は何であるか。
原罪の根は、果実を取って食べたことにあるのではなく、淫行関係によって堕落したのである。
②イエスは十字架で殺されるために来たのではない。
③再び来られる主は、雲に乗って来られるのではなく、肉身を持って来られるのである。
④再び来られる再臨主は東方の日出ずる国、韓国に来られる。』
御父様と洪順愛大母様は、共通の神霊神秘主義の教団、あるいは、教会の教義のもとに信仰を持たれていることが解ります。
「私と二月の終わりに出会い、三月の終わりに真のお母様がおなかの中に宿りました。」
個人的な意見ですが、その時の御父様は、「祭司長ザカリア」の立場で、洪順愛大母様が、「マリア」の立場に立っていたように思います。
お母様は、「女イエス」というところでしょうか。
月曜日の夕方まで、コメント返信は、できません。最近、コメントもありませんが、お伝えしておきます。また、間違っているところがありましたら、御指摘ください。訂正します。
続く。
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● 御父様の信仰歴は、
15歳 家族全員が、キリスト教に入教
16歳 イエス・キリストからの啓示
18歳 ソウルに上京して「イエス教会」の所属教会である明水台教会に通った
『教祖である文鮮明は 1920 年に平安北道定州に生まれた。曾祖父の代までは裕福な儒教家門
であったが、15 歳の時に兄弟が精神病を発症したのをきっかけに、家族全員がキリスト教に
入教する。16 歳の時、祈祷中にイエスと霊通し、再臨主の使命を継承してほしいと召命され
る71。18 歳の時にはソウルに上京して学校に通い、「イエス教会」の所属教会である明水台教
会に通い始め、そこで日曜学校の講師をするなど熱心に活動する。「イエス教会」のリーダー
である李許彬が明水台教会を訪問した際に二人は会っており、文がそこで「神の摂理」と「究
極の真理」を体得したと語っているだけでなく、文の初婚時には李許彬が主礼を引き受ける72
など両者は深い関係にいたことが推察できる。また、文は李龍道を自分の思想的、歴史的なル
ーツと捉えており73、李龍道の妻を統一教に入教させようとした74 という記録もある。こうい
った状況証拠からも、文が「イエス教会」から多くの影響を受けていたことは間違いない。22
歳で日本留学からの帰国後には、柳明花を信奉した一人である白南柱の弟子、金百文が建てた
「イスラエル修道院」に通っていた。』
(韓国キリスト教系新宗教のイエス観 古田 富建)
22歳 地下教会(神霊集団)の本格的遍歴を開始
『先生はまず、地下教会(神霊集団)を遍歴しました。日本の神社を参拝した汚された人々が現れるために、解放の三年前から、つまり数えの二十三歳(満22歳)から、地下教会(神霊集団)の遍歴を始めたのです。「神霊的な人たちは、どのような道を行くのだろうか。神様の摂理はこうこうでなければならないはずだ。そのために準備団体が必ずなければならないはずだ」と考えて、地下教会を探査し、有名だという神霊的な人々にすべて会ってみました。しかし彼らも神様のみ旨を知らずにいたというのです。神様のみ旨の方向を知らずにいたのです。』(真の御父母様の生涯路程1)
23歳 『18歳の崔先吉(チェ・ソンギル、教団では「真の母」としての第一候補だったとされる)と婚約。「年齢は10代で、篤実なキリスト教徒であり、洗礼ヨハネの使命を果たす女性」という条件で文鮮明は選んだという。なお、崔先吉は母親と共に、大韓イエス教長老会(再建派)の信者であった。』
25歳 「京畿道の坡州のイスラエル修道院 の金百文(キム・ペグムン)のもとで学ぶ。京城の永登浦区域所(現:永登浦区)上道洞の礼拝所で補助引導師を務める。」
34歳 世界基督教統一神霊協会創立
● 洪順愛大母様
1933年(19歳)から1936年(22歳)ごろまで李龍道・李浩彬・韓俊明氏らと共にイエス教で信仰をしています。その後は、聖主教・腹中教で信仰します。
「クリスチャントゥデイ異端・カルト疑惑」というブログに、御父様と洪順愛大母様が信仰していた「韓国の神霊神秘主義」について解説しています。
『ここに登場する人物はみな韓国の神霊神秘主義=異端・カルトにおける登場人物たちである。
①男性を中心とする準備
朴東基・・・・旧約的エデン復帰派
白南柱・・・・予言と奇跡、元山のイスラエル修道院長
李龍道・・・・監理教の牧師、復興師
金百文・・・・新約的エデン復帰派、神の側の天使的・洗礼ヨハネ的立場
白南柱の弟子、イスラエル修道院を京畿道玻州につくる。
③女性を中心とする準備(愛を中心とする)
金聖道(聖主教団)___(長男)鄭錫天
(平壌教会責任者)李一徳
(妻)許孝彬
「愛の世界」韓鶴子著光言社より』
『★洪順愛ハルモニの証
李龍道・黄国柱との出会い
「19歳になった年に、李龍道牧師が新しい役事を起こし始めたのですが、私も三日間恵みを受けました。また同時に、李龍道牧師と同じ復興師であった黄国柱氏が人々に多くの恩恵を与えました。黄国柱氏の一派は、五十余名でしたが、間島から始まって新しい役事を起こしながら、韓半島を巡回していました・・・私は黄伝道師の妹からも大きな感銘を受けました・・・」。
☆新イエス教
「新イエス教会は、黄国柱氏と李龍道牧師ら恵みを受けた人たちでつくられており、既成
教会からは異端として追われた教会だったのです・・・・」。
☆聖主教
友達に知らせれば「あなたは新しいものがあると言えば、また行く」と反対されそうな、
ので、友達には知らせずに鉄山に行きました・・そのおばあさんは、聖書も正式に学ん。
だことのない人でしたが、説教も立派にされたのです」。
↓
◎聖主教団(金聖道)の教え
神との一問一答
年4月2日空中の門が開かれ、天上に上り・・・一問一答が交わされた。1923
①罪の根は何であるか。
原罪の根は、果実を取って食べたことにあるのではなく、淫行関係によって堕落したのである。
②イエスは十字架で殺されるために来たのではない。
③再び来られる主は、雲に乗って来られるのではなく、肉身を持って来られるのである。
④再び来られる再臨主は東方の日出ずる国、韓国に来られる。』
御父様と洪順愛大母様は、共通の神霊神秘主義の教団、あるいは、教会の教義のもとに信仰を持たれていることが解ります。
「私と二月の終わりに出会い、三月の終わりに真のお母様がおなかの中に宿りました。」
個人的な意見ですが、その時の御父様は、「祭司長ザカリア」の立場で、洪順愛大母様が、「マリア」の立場に立っていたように思います。
お母様は、「女イエス」というところでしょうか。
月曜日の夕方まで、コメント返信は、できません。最近、コメントもありませんが、お伝えしておきます。また、間違っているところがありましたら、御指摘ください。訂正します。
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