自殺予防の言葉たち



1.ひとりじゃない

一人でも悲しんでくれる人が
いるのなら
その人を一番悲しませるような
事だけはしないでね。

泣いてもいい、休んでもいい、逃げてもいい、何したっていい

ただ、その人を一番悲しませる様な事だけはしないでね。



2.がんばれる理由


君を追い込むバカ達は
君が死んだところで苦しむどころか
それをネタに笑い続ける様な
どうしようもないクズ達だ

君が今すべき事は
ネタを提供する事じゃない

あのバカ達をあっさり追きざりにして
いつか妬まれる様な存在になる事だ

動機がある方が絶対頑張れる
目標がある方が絶対速く走れる

君はもうすでに
あのバカ達よりも頑張れる理由を
いくつも手にしているじゃないか

だったらもう死ぬなんて勿体無い事は
考えなくていいんだよ



3.翼なき言葉の力


もしもこの詩を君が誰かに
教えてもらったのなら

君はもう誰かに必要にされている

言葉は足も翼も持たないから
勝手にその人の元へとやってきたりはしない

運んできてくれる人がいて
それは初めて君の元へと届くんだ。

『生きてるだけで、もうそれだけで
君は誰かを温めている』

だからもう誰からも必要とされてない。なんてバカな事は
もう二度と思わなくていいんだよ。


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大塚訓平さんの”車いす社長の「命があれば、あとはかすり傷!」”というブログの  


『2011-11-13 11:27:00 障がい者にみえない…』に対するコメント!


※コメント書いてたら長くなっちゃったのでこちらに書きます・・(^^ゞ




どのケースも”あるある~”という話ですね!



車椅子の自分がこれだけ”駐車時に嫌悪感を持って見られる”ということは、

きっと健常者で他の所でも大丈夫なのに停めちゃってる人もきっとその視線を感じてるはず・・。

なのに平気で駐車してる根性には脱帽です。



そう考えると解決するには普通にやったんじゃなかなか難しいのかなぁとも思います。。



ただ!

日ごろから1つ思っていることがあって、

単純に車椅子な自分にとってはですが、

何よりも”降りれる事が最優先”なんですよね、

だから店の入り口に一番近い所に無くてもいいんです。

むしろ乗り降りでズボンがちょっと下がるハプニングが無きにしも非ずなので、見られない場所の方がいいかも。


それに健常者で停めちゃう人も一番近いから停めるんですよね?

車椅子の人にいじわるしようとか考えてるわけじゃなく、

ただただ誰の事も考えず自分がただ楽だからという理由だと思うんですよね。



確かに近ければより楽だし安全だし雨とかでも助かるけど、

自分は優遇され過ぎちゃって逆効果になってる部分があるのかなとも思ったりもします。



”車椅子の人はずるい~”って思う人が世の中にはいて、

それは必ずしも思っちゃダメと自分らは強制できないじゃないですか。



優遇という言葉は正しくないのかもしれませんが、

あまりにも自分達にはありがたすぎて、

他の人との差が出ちゃって申し訳ないと。


訓平社長の”あいまい”に共感する自分は、

その事も、それに甘えて利用させてもらっていることにも少し後ろめたさがあります。



自分の理想のバリアフリーは、あくまで理想ですが、

どの場所でも車椅子が降りれる駐車場(ディズニーの車椅子用駐車場?みたいな感じ)で、

その中で誰かが”自分の意思”で車椅子の人や高齢者などを思って近いところに停めずちょっと離れた位置に停めてくれる。

っというのが良いですよね。



もちろん近くに健常者が停めてもダメじゃありません。

それが健常者にとってのバリアフリーでもあるのかもしれませんしね。



”停めちゃだめ”という健常者に対するバリアなルールがあるから、

”それを破る人”という概念が生まれ、

"悪質駐車”という見たくない風景が生まれるんですかね。



もちろん症状によってはそこじゃないときつい人もいると思うので


色んな見解が自分の中にもありますけど、その中の1つです。




これからどんどんそういう壁が無くなっていったらいいなと思います。