クローズアップ現代で地方から都会へ若い女性が圧倒的に転出超過であることについて特集していたが

 

 

なんか見ていて切なくなってしまった。

 

地方としては若い女性に留まって結婚し子供を作ってもらって人口を維持したい。

しかし若い女性たちはそもそもそういう圧が嫌で出て行ってしまうというパラドックスがある。

これは会社とかでもある話で、新卒女性を採用するに当たって地方なら職場の華的役割を期待するのだが、女の子としてはそういう役割を求められるのが嫌で普通に働きたいという意識があって思惑が食い違っている。

 

悲劇的なのは地方のおっさんたちは根本的にこの思惑の違いに気付いていないということである。

 

さて、パパ活ブログでなぜこのような社会問題に触れるかというと、パパ活では最初からお互いの思惑が違っていることが前提になっているからだ。

おっさんは女の子との楽しい時間を求め、女の子は金を求めている。

まあ中には勘違いするおっさんもいてガチ恋してしまう場合もあるわけだが、女の子の方では金をもらう代わりにおっさんと楽しく振る舞い、大人ありの場合はセックスもすると言う役割を演じているわけだ。

 

これが成り立っているのは女の子としての役割には金銭的価値があるという共通認識があるからである。

 

翻って地方のおっさんたちは女の子を地域や職場の華として扱いながらこれに対する対価を支払うという発想がないからダメなのだ。

 

田舎の会社が求めるように、新卒のかわいい女の子が会社でおっさんに愛想よく振る舞い、雑用をこなしてくれ、飲み会にも付き合い、場合によっては将来有望な男子社員と結婚したりしてくれるというのは希有なことであるから、今までのように手取りで月給10万そこそこみたいな待遇では逃げ出したくなってもやむを得ない。

特筆した学歴能力があるわけではないが顔がかわいい女に都会のIT企業とかのようにスタートから年収500万ぐらいやってただし職場の華としての役割を求めると最初から決めておけばどうだろうか。

自治体が若い女が留まって人口維持に貢献してくれることを求めるのもそうで、若い女が地元で就職したらいくら、結婚したらいくら、出産したらいくらと金をやるしかない。

もちろん今でもある程度の手当制度とかあるのだろうが、結局それでは十分でないから出て行くということだと思う。

 

資本主義では対価は金な訳で、金を払えばたいていのことは実現できる。

パパ活関係が成り立っていることがその証左となるのではないかと思うのである。