【ふぁんそんの正体/気づき・思索】11月16日 | ふれあいと癒しの交響曲(名古屋/京都/気功/教室/講習/和気信一郎)
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【ふぁんそんの正体/気づき・思索】11月16日

 ある気功の仲間が「ふぁんそんは拮抗だ」と言った。
 彼の中では概念的に把握はしているんだろうが、これをもう少し分析してみる。

〔拮抗①〕
 合掌し、両手で力一杯に押し合っても両手の力は拮抗しているために合掌した手は動かない。
 これは「ふぁんそん」ではない。

〔拮抗②〕
 綱引きなどで両者の引き合う力がつり合っている場合も「拮抗している」と言うが、これも「ふぁんそん」ではない。

 ①②のように、二者の力が同等で勝負がつかない場合も、力は「拮抗している」と言うが、これは「ふぁんそん」ではないのだ。

〔拮抗③〕
 筋トレの手法に等尺運動というのがある。
 例えばダンベルを持ち、肩先まで引き上げた後、ゆっくり降ろして行き、肘が90度くらいのところで止めてみる。
 これはダンベルを持たなくても、グーを握り、力を入れてしても同じことだ。
 これは、肘を伸ばそうとする力と肘を曲げようとする力が拮抗する形で力を入れているのだ。
 この〔拮抗〕も「ふぁんそん」ではない。

〔拮抗④〕
 膨らませた風船やシャボン玉を空中で放ち、それが沈みもせず浮かび上がって行きもせずに、その場でふわふわ浮いているとすれば、その拮抗は「ふぁんそん」に近い。

〔拮抗⑤〕
 何かの物体を水中に沈めて手を放った時、その物体が沈みもせず浮かび上がりもしないで、その水中でふわふわしている場合、これも「ふぁんそん」に近い。

〔拮抗⑥〕
 では、「気のボール」を持っている場合はどうか。
 等尺運動のように、間の空気を雄運動と両手を離す運動を力一杯にして拮抗させている訳ではない。
 かと言って、両手をただ向かい合わせている訳でもない。
 微かではあるが、空気を圧迫する力があり、それが行き過ぎないようにと止める力が働いているのだ。
 言ってみれば、0に近い拮抗的な力で両手を向かい合わせている訳で、これも「ふぁんそん」に近いと考える。

〔拮抗⑦〕
 両手を垂らし、手の甲を前に向ける。
 そこから前腕を前に持ち上げていくように、ゆっくり肘を90度ほどに曲げていって止めてみる。
 その場合、前腕の手の甲側と同時に胸腹部にも力が入っている。
 これは「ふぁんそん」ではない。

〔拮抗⑧〕
 今度は、肩の横で掌を前に向けて構えてから、肘が90度になるくらいまで前にゆっくり降ろしていき、何か別の空気の上に手が乗っているようにしてみる。
 すると、⑦の時と同じような形だが、感覚は掌側になっていて、⑦のような力は入っていない。
 ここに「ふぁんそん」を考えるヒントがある。

〔拮抗⑨〕
 気功の動きの基本である昇降(掌を下に向けた形で体の前で両手を上げ下げする動き)の場合、腕を上げ下げするのではなく、浮き上がってきたり膨らんできたりする腕の下の空気の上に両手を乗せているようにしてみる。
 また、開合(体の前で掌を向かい合わせた形で両手を遠ざけたり近づけたりする動き)の場合も、両手の間の空気が膨らんできたり、その空気を圧縮していくようにしてみる。
 つまり、掌側の空気の浮き沈みや拡張収縮などの感覚で手が動かされているようにしてみるのだ。
 すると、筋肉による腕の力の感覚は薄れ、力を入れないでも腕が動いている、つまり、動かされているという感覚になる。
 これは「ふぁんそん」して動いている動きに近い。

〔結論〕
 ふぁんそん的な動きは、上下であれ左右であれ、常に掌側の空気を感じ、掌側への0に近い力と、それに抵抗している更に0に近い力とのバランスの中で動いている。
 ふぁんそん的な拮抗は、力を入れた拮抗でないのは勿論だが、固体のような動きのないものでもない。
 0ではなく、0に近い掌側への力と、それに反発する更に0に近い力による微かな「ゆれ」によって作られている。
 というのが、主にふぁんそん的な腕の形や動きのまとめである。
 但し、腕の中で気を通す感覚が出て来れば、また違った感じになるし、胸の中や丹田での「ふぁんそん」は動きではないので〔拮抗〕の理論は当てはまらないかも知れないが、これらについてはまた考えてみることにする。