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ジャーナリスト、櫻井よしこが読む『メディアは死んでいた 検証 北朝鮮拉致報道』 拉致未解決は誰の責任か
「日本海の方で変なことが起きている」
小耳にはさんだつぶやきから阿部記者は動き始めた。本書は一人の社会部記者の事実を探り当てようとする、記者として最も本質的かつ真っ当な取材の記録である。
 
読みながら、度々私は胸の動悸に襲われた。「そうだったのか」という心揺さぶられる思いに打たれた。
 
突然消えたアベックの事例を探しに行った新潟では見えない壁に阻まれた。執念と努力、拒絶と孤独と偶然の入り交じる中で、田畑の点在する民家に辿り着き、そこに「蓮池」の表札を見いだしたときのくだりで、私はまたもや圧倒された。記者の地道な取材の、凄まじい迫力に、なぜか、涙が出た。
 
ついに阿部氏の取材が「産経新聞」の大スクープとなって報じられた1980年1月、すべての他社と専門家がこれを無視した。その中でただ一人反応したのが横田早紀江さんだった。
 
早紀江さんは「瞬間的に、これかもしれないと思った」のだ。彼女は直ちに産経の新潟支局を訪ね、めぐみさんの件と一連の拉致事件がつながっているのではないかと尋ねている。
 
〈早紀江さんの“母の直感”は、当たっていた。めぐみさんは北朝鮮に拉致されていたのだが、それが明るみに出るのは17年も後のことだった〉と阿部氏は書いている。
 
その時から40年以上が過ぎた。安倍晋三首相は世界の指導者に拉致問題を説明し、国連で拉致をテロとして北朝鮮に対する非難決議を実現し、国際包囲網を築いてきた
 
ここまで国際政治を動かしても、さらに米朝会談が行われても、結局、拉致問題解決の最後の決め手は、わが国のあり方である。
 
国民を守るという国家の最重要の責任を、わが国は果たせてこなかった。防げたはずの第二、第三の拉致も防げなかった。なぜか。政府とともに、「死んでいた」メディアに大きな責任がある。
 
とりわけ拉致を密出国と報じるなど、産経の対極を行った朝日新聞はひどく死んでいた。彼らは「モリカケ問題」で今も「死んでいる」と思う。
(平成30610日 産経新聞)
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「拉致」「密出国」と報じていた朝日新聞。さらわれた日本人被害者のことよりも北朝鮮におもねる朝日新聞のスタンスが拉致を助長していたといえる。
 
櫻井女史は「政府とともに死んでいたメディアに大きな責任がある」「朝日新聞はひどく死んでいた」「彼らはモリカケ問題で今も死んでいると思う」と書いている。
 
ここで言う「死んでいた」「日本のために役に立たない」という意味である。
 
安倍総理はトランプ大統領や各国首脳、国連の場などで拉致を訴え続けている。拉致をここまで訴え続けてきた総理はそういない。
 
しかし制裁や圧力をしても、日本が拉致解決で出来ることは限界がある。
 
以前、レバノンで女性4人が北朝鮮に拉致されると、レバノン国内では連日拉致を報道し、国民の怒りは頂点に達し、ついにレバノン政府は北朝鮮に“国交断絶”して「武力攻撃する」と言ったら、拉致被害者を返してきた。
 
国家として国民や領土を守るということは、時に戦争も辞さない“覚悟”が必要なのである。
 
しかし、今の日本ではそれが出来ない。
 
安保法制が出来るまで、日本は内閣法制局長官の「海外にいる日本人を武力を行使して救出することは出来ない」という発言に縛られ続けていたのだ。
 
日本は占領憲法を変えない限り、13歳の少女さえ守れない国である。
 
つまり、櫻井女史が言うように「拉致問題解決の最後の決め手は我が国のあり方である。国民を守るという国家の最重要の責任を我が国は果たせてこなかった」に尽きる。
 
社会党は昭和30年代以降、朝鮮総連から莫大な献金を受け取り、土井たか子は小泉訪朝まで「拉致は右翼のでっち上げ」と言っていた。
 
昭和62年の訪朝時、土井たか子は金日成に「自分の家に帰ったようです」とまで言った。有本恵子さんの母親は「土井さんは国賊です。国民に謝るべきです」と言った。
 
冒頭の新聞や政治家に”国賊”がいるのは今も同じである。
 
拉致解決は口先だけではなく、それを裏付ける“”がなければ取り戻すことは出来ない。
 
武力行使できる憲法、自衛隊を国際法で動けるようにする、拉致被害者の居場所を含めた情報収集能力、国賊を含めたスパイ工作員を捕まえるスパイ防止法、そして抑止力としての核武装である。
 
特に朝日新聞は反国家と外観誘致の強制捜査とし、内部を徹底して調べ上げて、どういう国や人物とつながっているか、背後関係を日本国のためにも暴き出す必要がある。
 
本来、日本のためにやるべきは「もりかけ」ではなく、これである。