勉強は、人生の縮図です。生き方あり方の練習です。

ということを、今日も実感しました。


こんばんは。

高校1年生の気持ちを代弁する家庭教師水田富美子です。



数学の問題を解くときに、問題を目の前にして、解く前に、解こうとする前に。。。



これ、解けるかな?解けないかな?と客観的に判断するのかと思っていました。


いや、何をもって客観的とするかは置いておいて。




先に決めていました( ゚Д゚)


解けないハズだと…



だから、白紙でした。

チャレンジすらしていませんでした。



でも、私が見ている前で解いてみたら、少なくとも(1)は、自力でスラスラ解けてたし(>_<)



本当は解ける(1)

解けないと決めて、チャレンジすらしていない(1)



この、「本当は解けるのに、チャレンジしない」という選択を人生で積み重ねたときに、人生で何が起こるのか?


そこを語れる師でありたいなと思います。

数学の問題の解き方を教えるだけではなく。ゴールは、そこではない。



チャレンジしないという選択は、チャレンジしてみたけどできなかったというプチ挫折を経験するかもしれない恐怖から逃げるためです。見たくないものを見なくてすむので、ある意味ラクかもしれません。


もしかしたら、解けるかもしれないのに。


その解けた喜びを得られるチャンスであるということよりも、できない挫折を味わうかもしれないという恐怖のほうが強いということ。

喜びを味わうことよりも、不安や恐怖を避けることを優先しているということ。



逃げることが悪いわけではない。その選択に責任をもって味わえばいい。結果を人生で引き受ければいい。



ただ、自分がどんな選択をしたのか?を自覚できるようにサポートすることは、大切にしたいなと思うのです。