Schloss Belvedere ベルヴェデーレ宮殿 Ⅳ | 秘書OL キレイのヒ・ミ・ツ☆

Schloss Belvedere ベルヴェデーレ宮殿 Ⅳ


いよいよ2Fのクリムトコレクションへ。

グスタフ・クリムトは、1862年ボヘミヤ地方出身の金銀の線刻師だった父エルンストと
元ウィーン出身の母との間にウィーン郊外バウムガルテンに生まれました。
クリムトの生きた時代は、オーストリア・ハンガリー帝国、ハプスブルク帝国の最後の時代。
フランツ・ヨーゼフ皇帝の死後2年、1918年クリムトの死と同じ年この大帝国は崩壊する
激動の時代でした。

クリムトは奨学金を得て、工芸学校へ進学し、2人の兄弟とともに装飾壁画や緞帳デザイン
などに携わります。
時代は、ウィーンのリング計画の工事とともに市街地の開発、劇場やバーの建築ラッシュの中、
クリムトは、ブルグ劇場の階段装飾壁画において、皇帝フランツ・ヨーゼフから勲章を貰ったり、
旧ブルグ劇場の観客席を描いた下絵も、皇帝から賞金を得ました。
クリムト28歳の1894年、教育省からウィーン大学の大講堂の天井画の正式な注文を受けたりと
偉大な画家になっていくのです。
エゴン・シスレーやオスカー・ココシュカへ与えた影響も大きいとされています。


Der Kuss 接吻 1907-1908
あまりにも有名な「接吻」は、クリムトがクリムト自身と恋人エミーリエ・フレーゲをモデルに
描いた油絵。
1908年の総合芸術展「クンストシャウ」(ウィーン)で大好評を博し、展覧会終了と同時に
オーストリア政府に買い上げられた、クリムトの代表作のひとつ。
クリムトの作品には、金箔を多用され、これはしばしば琳派の影響を受けたものと指摘される。
うっとりするエミーリエの表情と、ゴールドに包まれた背景が美しい1枚。




Liebespaar Lovers 1908/1909 
  


クリムトの遺作 The Bride (1918・未完成)
完成することのなかったこちらの作品。
彼の内なる欲求と技術に対する魅力的な洞察を授けてくれる。
絵の女性が裸なのは、彼女に服を着せる前にクリムトが亡くなったから。
つまり、服を描く前に、まず裸体を描いていたという事実によって、クリムト作品の奥に潜む
性的妄想が明らかになったのである。


Bildnis Sonja Knips ソニア・クニップス 1898年
肖像画当時25歳のソニア・クニップスをリアルなタッチを基本に描いた作品。
斜めを向いた腰から上の半身像が画面の中央にある、という肖像画の伝統的手法を用い、
正方形の画面に、横向きのシルエット、右上方に顔、背後に花。
華やかなピンクの衣装、背景を暗くし、左上にも花が一輪。
クリムトの赤いスケッチブックを右手に持たせ、ふわっとしたピンクのドレスの背景を
思いっきり暗くすることで、左手に持ったバラが映えています。
これはイギリスのホィッスラーとジャポニズムの影響だそう。
ソニアはこの肖像画が描かれた後、大実業家と結婚。
この絵は大邸宅の食堂の壁面を飾っていたそうです。


Frit.Za Rie dler フリッツア・リードラー 1906
モデルのフリッツァ・リートラーはドイツ出身でありながらウィーンで高級官僚となった男の妻
フリッツァ・リードラー。クリムトのパトロンの1人。
フリッツァ・リードラーが座る椅子の孔雀の羽や生物の瞳を思わせる(やや奇怪な)抽象性や
平面性、背後の数箇所に散りばめられた小さな四角形のモザイク模様や、平坦な色面
によって面化された表現などは、ウィーン分離派独自の様式の特徴を良く示している。
さらにフリッツァ・リードラーの顔の写実性と背後の装飾性との対比はもとより、画面左上の
金色と背景の大部分を占める朱色、この朱色とフリッツァ・リードラーが身に着ける柔らかな
白地の衣服、そしてこの単色的な白地の衣服と椅子の複雑な文様性など至る箇所での
対比的表現も注目すべき点のひとつ。

裕福なブルジョワ階級らしく気品に溢れたフリッツァ・リードラーの顔は、古典的な自然主義的な
写実によって描写されているものの、その頭部の極めて独創的な装飾的表現はウィーン
美術史美術館に所蔵されている大画家 ディエゴ・ベラスケスの「マリア・テレーサ王女の肖像」や、
エジプト美術からの影響が何度も指摘されている。

Judith Ⅰ ユディトⅠ 1901
ユディトはベツリアの町に住む、大変に美しく、神への信仰が厚い裕福な未亡人であった。
ホロフェルネス率いるアッシリア軍がベツリアの町を包囲した際、ユディトは召使とともに
アッシリアの陣地へ行った。
ユディトは取り囲まれているベツリアの町に着き、もう神の加護のない町であるから、
攻略方法を教えると言って敵将ホロフェルネスに近づく。
ユディトの美しさに気を許したホロフェルネスは彼女を酒宴に招が、ユディトはホロフェルネスが
酔いつぶれて寝込んでしまうのを待ち、首を切り落としベツリアの街を救ったとされる逸話。
しかし、本作では英雄的な姿でユディトを描くのではなく、匂い立つような妖艶性と官能性を
全面に押し出し表現されているのが最も大きな特徴。
薄く唇をあけ、白い歯を見せるユディトは恍惚とも怠惰とも解釈できる不可思議な表情を浮かべ、
その視線はあたかも観る者を淫靡に挑発しているかのようである。
また金色で装飾されたユディトの身に着ける薄透の衣服や、そこから微かに見える右乳房などは、
観る者に対して直接的に肌を露出し表現するよりも、よりエロティックな妄想や官能性を
掻き立てる効果を生み出している。
Allee im Park von Schloss Kammer カンマー城公園の並木道 1912

Sunflowers ヒマワリ 1906-07
ゴッホとかゴーギャンとか、ひまわりを書いている画家は多いのですが、
クリムトは2枚の作品を描いています。
ゴッホが花瓶に挿した切り花のひまわりを描いたのに対して、クリムトは庭に咲く
ひまわりを描きました。

午後に少し首を下に向けたような様子の大輪のひまわりが正方形の画面中央に描かれ

ひまわりの肖像画のようでした。

Farm Garden with Sunflowers ヒマワリの咲く農家の庭 1905-16
上のひまわりに比べると、多彩な色を使った花々の装飾的な作品

Field of Poppies けしの咲く野 1907
クリムトの風景画は、印象派やポスト印象派、とくにホイッスラーや、モネ、ゴッホの作品を
参考にしています。

アッター湖畔のカンマー城 1910年
クリムトは、このアッター湖畔のカンマー城の絵を何枚も描いています。



コチラもカンマー城

クリムトの作品を作品を堪能する、素晴らしい時間でした♥

この後、クリムトの弟子 シーレ、そしてモネやゴッホ、ルノワールなど、偉大な絵画が続きます!