コトバンクより
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世界大百科事典 第2版の解説
びょうしき【病識 insight into disease】
自己の病気ないし障害について正しく認識でき,適切な態度がとれること。個々の症状,病気の性質,重さ,その全体などについて正しく判断できなければならないが,その程度はさまざまであり,漠然と病気と感じているにすぎない〈病感〉にとどまる場合もある。精神病ではしばしばこの病識が十分でなかったり,欠如したりする。【小見山 実】

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一般的な用語として「病識」とは、人間自身を指す言葉であるが、この項で重要なことは、
魚病「病識」:飼育者様が魚を見て、その魚が現在どのような状態にあるか把握できる能力
を、指す。

金魚に限らず、観賞魚に於ける魚病は、最終的には飼育者様個々人が主治医になり、判断を重ねていくことでしか克服ができないのが現状である。
各病態の転帰の段階はともかくとして、魚病克服の鍵は、
「如何にして早く対応を始めるのか?」
「全身状態が悪化する前に発病のサインをつかめるのか?」
そして、
「如何にして初動として的確な処置行なえるのか?」
これに尽きると言っても過言ではない。
言葉を出せない魚類のバイタルサインは、全てが「観察」によって計測される以外に把握方法は無い。
※細密にバイタルサインを数値として確認しようとすれば、尾筒からの採血で簡易にPHを確認する方法もあるが、これはシビアな手技が要求され、ほぼ必ず予後不調が伴うものであるので、病魚の治療方針の為に安易に行うべきものではない。ただでさえ具合の悪そうな個体を痛めつける行為は「治療」のためではなく、疾病集団の中から任意に選別された数尾の平均的な「データ」等、統計のための行為と認識して行なわれるべきである。

ここで「経験と勘」という漠然とした指標が出てくることが多いのだが、これは不思議なもので、金魚を飼い初めて数日の初心者様でも拾えることもあれば、飼育暦半世紀近くの超ベテランでも全く拾えていなこともある。寧ろ、それは珍しい現象ではない。
無論様々な病変を見て知って対処して体感したことは有意であることは間違いないのだが、ここで最も重要な経験は「元気な魚、全く何の病変もないクリーンで活動的な魚」をどれだけ見てきたか、その経験にかかるものである。
悲しいかな、現状の金魚流通の実際では、末端小売といわず市場基準として考えても、それらの「元気な魚、全く何の病変もないクリーンで活動的な魚」にお目にかかる機会は殆どなくなってしまっている。
むしろ、斯界の経験者方々は、
「ここまでならば大丈夫(死なない、たぶん)」的な、ある意味の「見切り」「トリアージとしてのブラックタグ(何をしても死ぬ)を回避する」、そういう悲壮な眼力ばかりが卓越してしまっていっているようにも見受けられる。
健康な魚を見極める能力と、ブラックタグの魚を回避する能力はもたらされる結果が近い意味を示すので、この2つの能力は兎角混同をされがちである。結果を追跡をすればそれらは明確に生存率の差として示されるものであるが、そこの価値観(一尾を確実に飼育し続けること)を認めなければ
健康な魚≒ブラックタグではない
と、極論として主張する輩もまた多い。

この2つの能力の差こそが、結局は「バイタルサイン」を的確に拾えるか見逃すかの分水嶺ですらあるのではないか?と、最近とみに考える。

安く魚を販売しているところなどでは「魚自体安いのだから病気の相談などもっての他」というところが段々と増えてきている。
これらの販売者は、自らバイタルを取れず、病変自体がわからないので、ただ飼育者様に責任を放り投げているだけなのである。そうやって安いと唄われる魚は本当に「安い」のか?何てことは無い、完璧な治療を施せばその魚の価格は10数倍に跳ね上がってしまうのだ。
自分達の無能っぷりを棚に上げ、銭だけ取ってサヨナラ的な所とはお付き合いをするべきではないし、我々から敢えて申し上げれば、それについて是とか非とか語る必要もなく、生体屋としての社会的価値は限りなくゼロ(無)であり、寧ろマイナスにすらなるものであると断ずる。

ブラックタグではない金魚を導入すること。それは全てのリスクを受け入れることに他ならない。結局はブラックでないだけで、レッドorイエロータグが付いてしまっているのであるからして、導入時の調整は「救急搬送受け入れによる治療開始」としなければ、ある一定の期間をもってその金魚はブラックタグに転落をする。何を行なっても反応が出なくなってから奔走をしても、命あるものには終わりがあると知らしめられるだけなのだ。

更には疾病ばかりが転落の原因ではない。
飼育水、濾過方法、バクテリアの有無、飼料など等、総合判断出来なければ、その一尾のバイタルサインを観察で拾うことは非常に困難である。
※その為弊店では、一つ質問をされれば10質問返しをするような、一見するととても面倒臭い返信を必ずする。

極論を言えば、我々が見て明らかに異常なバイタルサインを拾っても、飼育者様がそれを受け入れてくれなければ治療方針は立てられず、水環境の改善もかけられない。よしんば説得の果てに受け入れていただいたとしても、初動に躓けばそれらは必ず治療日数の増加をともなったカウンターとして、ダイレクトに飼育者様の懐を直撃する。
飼育者様の魚病「病識」の有無で、魚の今後は全て決まってしまうのだ。

例えば動作に何か異常が出ているとき。
-食前、食後のいずれか
-睡眠時、覚醒時のいずれか
-ライト点灯時、消灯時のいずれか
この如何なる時であっても、遊泳に異常が出れば、それは病気のシグナルであり、病期としては中期以降となる。
既に「初期」を過ぎ、「中期」に入ったという魚病病識をここで飼育者様がもてなければ、初動は全て過ちになり、何もかもが転落のトリガーとなる。

無論、拾ってもやりようのない「異常」というものは確かに存在する。
それは、先天的な要素や慢性的経過を辿る内臓疾病や骨形成異常からなる症状であったり、既に病期が終末期に近づいたが為に出現しているものなどである。これらの場合は、何もしないことが延命の鍵になることも非常に多い。
しかし、確率としてそれらの絶対数は少ない。その上、それらには「判断」を出来るだけの時間的猶予が与えられ、何らの指標として検証&証明がしやすいものでもある。
多くは、
「朝と比べて」「昨日と比べて」場合によれば「数時間前に比べて」
何かがおかしい、と、極めて短時間のうちに突如出現するものであり、時間単位で「微か」に感じられた異常は「誰の目にも明らかに」確認できるようになってくるものである。

現在、様々な疾病が猛威を振るっている。年々疾病は深刻化し、複雑になり、従来の手法では全く手がでなくなってきている。これは、飼育者様みなさまが十分体感なさっているものであると思われる。
ますます持って魚病病識を飼育者様個々人が持てるか否かが、飼育には絶対の条件となる。

そんな中、人づてに「中国金魚の検疫が廃止される」などという噂を聞かされた。
早くも今年の秋以降実施されるということである。
これは決して良いことではない。ユーラシア大陸の水系では「コイ春ウイルス血症」が猛威を振るい、遠隔水系出現型の散発的&局地的な流行が継続している。
よもや、公式の1号病魚を日本で記録したいがための検疫廃止であるのではなかろうかと疑いたくなる措置であるが、検疫を廃止したとたん、考えるまでもなく、現在検疫中に問屋で斃死している中国金魚は全て皆様のご家庭水槽で斃死することとなる。
そして、考えうるあらゆる疾病が日本金魚のみならず、水域を接する在来魚全てに襲い掛かる。
そろそろコイ春ウイルス血症ではない「何かの変異型」だと「あるもの」を主張することにも限界がきているようにも思う。
それにつけても、検疫廃止はただの与太話であることを、本心祈るばかりである。


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