クララ・ハスキル、53年のルートヴィヒスブルク城でのリサイタルを収めた一枚です。バッハに始まり、スカルラッティ、ベートーヴェン、シューマン、ドビュッシー、ラヴェルといったピアノの歴史の一端を辿るプログラムとなっています。この音源はセブンシーズになかったアンコールで奏されたバッハ(ブゾーニ編)のコラール「いざ来たれ、異教徒の救い主よ」とシューマン「森の情景」から「別れ」の二曲に加え、シューマン「色とりどりの作品」作品99からの三曲が加わっています。のモーツァルト弾きであったハスキルを特徴づけていたものは、音の粒立ちでした。スカルラッティ、力感あるベートーヴェンにもハスキルらしい音色を感じることができるでしょう。ロマンを超え、ドビュッシー、ラヴェルに至っても明晰な響きとなっています。ルーマニア出身、ユダヤ系でもあったハスキル。ユダヤ系の奏者は世界中に浸透しています。国を持たないために、各所で受け入れられる要素を見出していきました。音楽家は分かりやすく音楽の根本を抽出し、受け入れやすい形で展開していくのです。エネスコヤカザルスといった強力な個性を持つ演奏家とも共演し音楽を作り上げることができました。晩年のグリュミオーとの共演は有名です。ハスキル亡き後の喪失感はグリュミーに大きな打撃を与えました。作品演奏の理想的な形を見出す普遍的なもの。音楽を通じて個性的な演奏家ともともに個性を生かすことができたのです。
ベートーヴェンの最後のピアノソナタ第三十二番。ソナタ形式、ハ短調の第一楽章、変奏曲、ハ長調の第二楽章だけで構成された異形のソナタです。二つの楽章の性格は相違したものとなっています。晩年のベートーヴェンの破格の作品でもあります。同時に最後の作品らしく生涯の技法の集成的な意味合いを持っています。ハ長調で終止する第一楽章は、第二楽章に順当につながるように構成されています。第二楽章を異常に遅い速度で展開した例がありました。構成的には、変奏曲、変奏技巧の大家であったベートーヴェンの集成でもあって演奏時間も、比重もニ楽章が大きいのです。こういった構成のためにバランスを見出すのは難しい。ハスキルは、楽章の性格の違いを対比させます。第一楽章は第二楽章の序奏ではない。ソナタ形式という形式としては確固とした形で成り立ち、異例の楽章数でも一曲としての均衡を見出しているのでした。リサイタル自体のプログラム構成、語り口などにも深い考えがのぞく一枚です。