指揮者としてのシュライアー。89、92年に録音されたモーツァルト、戴冠ミサ K.317、ヴェスプレ K.339、アヴェ・ヴェルム・コルプス K.618を収めたものです。声楽を中心にしたシュライアーの指揮。モーツァルトでは82年のレクイエム K.626があります。レクイエムでは、アライサ、テオ・アダムなどで歌手も揃い、演奏の定型以上の成果を出したものでした。戴冠ミサではエディット・マティス、ヤドヴィガ・ラッペ、ハンス・ペーター・ブロホヴィッツ、トーマス・クヴァストホフと歌手の交代はありますが、こちらも揃っています。シュターツカペレ・ドレスデンに、ライプツィヒ合唱団。演奏は奇をてらったところのない素直な音楽が展開します。レクイエムも戴冠ミサも多くの指揮者がとりあげます。その比重はレクイエムの方がはるかに重い。晩年のモーツァルトの特殊な境地。作品が未完に終わり、劇性からも解くことのできる作品。多くの演奏を生むのは必然です。戴冠ミサの基となったコロレド伯爵の戴冠用での楽曲という逸話はまったく曖昧なものとなり、今日ではミサ曲ハ長調にすぎないものとなってしまいました。戴冠ミサの書かれた時期、ザルツブルクに埋もれて意に添わぬ教会音楽作家であったモーツァルト。その作品の壮麗は、教会音楽としても異質なものですが、この中にも劇性がみなぎります。このとき、教会音楽に求められたものは大きさではありません。シュライアーの指揮は、声を生かし、この小ささに対応。レクイエムにあっては、まとまりすぎたものが、戴冠ミサでも、宗教音楽を忘れさせる瞬間があります。大指揮者であっても、このミサにあっては厚塗りの交響的な効果を引き出してしまいがちなのです。それはヴェスプレにも共通。モテット、アヴェ・ヴェルム・コルプスは短い作品ゆえに、演奏規模はあまり気になりませんが、この作品の素朴と神聖という別の演奏の至難があります。作曲する環境としては窮屈な時期であったにもかかわらず、決して少なくなかったこの時期の傑作。旅で培われたモーツァルトの感性は、地域、環境といったものにもしばられることのないものでした。一方、その心境は窮屈な故にストレスのたまるものだったでしょう。

シュライアーは指揮者である前に、まず比類ない歌手でした。ドレスデンの聖十字架教会の聖歌隊員。ドレスデン空爆後の復旧の中、郊外の地下室で生活。多くのバッハ、モーツァルト作品で歌い、そこには宗教的声楽作品だけではなく、歌劇も含まれるものです。シャルプラッテンでのベートーヴェンの歌曲の全集録音をはじめ、2019年に亡くなったのもドレスデンの地でした。地域と、声の親密な環境。こうした素の姿のモーツァルトの演奏の呼吸のうちにも、神聖が宿る。ルカ教会での録音でした。


 


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