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価値あるブログってなんだろう?
価値ないブログってなんだろう?
try and error 、紆余曲折、のらりくらり。

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戻りたいとか、いつに戻りたいとかは、

ユーミンの、”あの日に帰りたい”という歌を聴いているので、

とてもロマンチックで、いいなぁ、と思う。

 

戻りたいというのは、過去に必ず幸せな日々があったと思う。

 

例によって、金がないので未来志向の記事は書けない。

たぶん、この記事で100記事になるようだ。

短期間で頑張ってきた。思えば遠くにきてしまった。

 

 

小学校のとき、お父さん、お母さんが、経済的なり、なんらかの事情があって、

子の為を思ってだと思う、育ててくれる施設があって、子をその施設に託し、

そこから通っている子がいて、同級生に幾人かいた。

全部とは言えないが、何人か、お名前と、なんとなくのイメージを記憶している。

面白いともだち、遠くを見つめる表情が誰よりも素敵なともだちだった。

 

大人になると、容貌は立派に変わってゆくので、今はまったくわからない。

僕は、自然と休み時間とかお話して、彼らは僕にも普通に話してくれた。

 

大人になって、たぶんだけど、という条件付きにならざるを得ないけど、

幾らかの子供たちは、

難しい境遇の子だから敬遠するように親御さんから教えられていた可能性が

あったと思う。クラスメートの雰囲気をなんとなく記憶している。

 

僕は、ある程度、つらいことが子供のころからあったので、

冗談を言ったりして真面目に頑張ったのだ。

 

僕なりに、真面目に考えると、

過去に思い出すは、なるべく良いことを思い出すほうがいい。

 

だから、今日のネタは、ある意味、いい。

 

でも、たぶん今日のネタを偶然にも見なくて済んでいる人もいるし、

偶然見る人もいて、僕は、見ている。

 

過去に戻ることは、バックトゥザフューチャーとか映画の世界のことで、

あの映画でも、博士いわく、”ジゴワット”、たぶん、ギガ、10の9乗ワットのことかな。

いずれにしても、莫大なエネルギーが必要。

聞きかじりだが、物理学の一説では、ワームホールとかタイムトラベルには、

べらぼうなエネルギーが必要で、タイムマシンは、

ドラえもんの世界だというのが僕の currently な考え、

僕は物理学者じゃないので、あくまで、僕の勘。

 

僕にとって、戻るということは、空想である。

 

僕の育った家庭は経済的には中流だったので、経済的には、さほど苦労していないほう。

しかし、苦労した人にとっては、戻りたいなんで、とんでもない、という答えが予想される。

 

実は、経済限度でなく考えていいならば、僕は、二度と戻るのは御免だ!という気持ちだ。

 

いいことも、いくないことも、あって、いくないことに着目するのは、芳しくないけど、

戻るということは、いいことだけでなく、いくないことにも戻るのではないか?

 

やさしさで、こういういいことあるよって、ある。

僕は、あ、そうか!と思うことがあるのだが、

どうしても、迷惑に感じる人がいるなら、

その感じ方はその人にとって正しいことだと思うようになった。

 

人間は考える葦という。

自然発生的に過去回想や未来の希望など、思うことがある。

特に、暇だとね。

 

だから、ちょっとだけ、いい風景のワンシーンとか、

そういう原体験というのかな、思い出すように

僕は、している。

 

もし、学生時代にもどれるなら、いつに戻りたい?の答えは、

いつのことを思い出しても、

楽しかったこと、僕は あの時ずるかったのではないだろうか、あれはヤラレタなぁ、

あの人は凄かったなぁ、僕は たいしておもしろくないよと言ったら転げるように笑った友達がいたなぁ、

いろいろあるわけで、

わかんない。

 

僕は、いつに戻りたいではなくて、

いつかの過去の記憶を回想するならば、どのようなのがいいか?

その答えは、学校に登校するとき野良犬が電柱にむかって用を足していたなぁとか、あの車はかっこよかったなぁとか、リレーのアンカーの彼はカッコよかったなぁとか、あの子はなぜか健康的できれいだなぁとか、オレンジ色の空はきれいだったなぁ、とか、そういうこと。

 

もしかして、こういうことから書き始めるのが常識なのだろうか?

 

幸せ体験談を語ってくれる人は、

その反対を語ってくれる人よりも、

いいものだと思う。

 

僕は、わざわざ、たのまないけどね。

 

もうちょっと、ふくらませればよかったかな。

 

バレリーナの真似を、どこまでも、どこまでも、やろうと思いたちかけた、とか、そういうの。

 

御免なさい、

蚊帳の真ん中がたるんでいるのが、どうしても気になり、直したかった。

どうしても届かなかったので、足で。

もう一方の足で。

両方の足で。

肘を外しました。

幼稚園か小学校1年生頃のことです。

たいしたことないけど、産婦人科以外、(ほぼ)すべてかかった。

やっぱり、僕は、戻ろうというモーメントは苦手かな。

余裕ができると、ときどきいいことも思い出しそうな気がする。

無駄なことだけどね。

 

 

良いことがあるなら、おなじくらい、良くないこともある、

これが理想ではないだろうか?

それは、物質的にでも、そうでなくても。

 

弱いところがあるので、全部、あまーい人生だったら、なんておもうけど、

そうは行かないもんだと、個人的には思う。

 

たぶん、この記事を読んでいる人は、あまりいないのかもしれない。

 

僕の記事は、これで たぶん100記事だと思う。

冗談と嘘でないことで読み物を書きました。

 

今時の若い者は!と言われ、

反対に、そんなに難しく考えなくても!とも言われ、

回転寿司のイカはいつ飲み込むのかわかんない、ということがあるように、

どうしたらいいのか、考えてきたみたいだ。

 

しゃれにならない読み物にならないように、大人世代のジャンルで投稿を繰り返した。

 

もしかするとだけど、

どうしたらいいのか、最後まで考え続け、

最後に、どうしても認めないほうに、半分を超えた原因が、

もしかしたらあるのではないか?という結論になるのかもしれない。

そんなこと言われたら、僕は嫌だけど。

 

みんな、どうやって、普通の自立した生活を成り立たせたのだろうか?

 

僕が、不足している、欠けているというなら、そうかもしれないのだが、

冷静に整理して考えて、なんとなくわかったような気がする。

 

もし仮にだが、100記事全部読んでくれた人の為に。

 

皮肉や、隠れた悪意ではなく、

よしあし、両方考えて、やるせない中、

なんとか、面白く書けないだろうかと、

頑張って書きました。

いま、できる唯一の仕事なので。

 

だいたい、おもしろかったならば、

うれしいです。

へんな文章は全部、液晶画面を指さして笑ってくださいませ。

 

 

付け足し:

100記事書いて、終わりのご挨拶のようですが、

続きを、未練がましく書く可能性があります。

 

そんなもんです、僕は。

 

どうぞご期待

 

 

 

 

しないでください。