『訳註中国正史日本伝』著者 石原道博 著

出版者 国書刊行会
 
の中で書かれている倭の様子は
とても詳しいです。
大陸の誰かがチラと垣間見たのではなく
あきらかにちゃんと話が伝わっている。
 
だから、言語が話せたということだと思われます。
でも、倭には文字がなさそうです。
古墳に誰が埋葬されているのかとか
当時文字が発達していれば
どこかに碑文のようなものが残されていたと思います。
 
でも、古墳時代でさえ、特定が難しい。
大陸から贈られたものに刻まれている文字で
いろいろとわかるという段階なので
どうやって大陸とやりとりしていたの?って
疑問だったんですよね。
 
でも、呉出身の人たちがいるのであれば
交流ができたのではないかと思います。
 
当時倭は沢山の国があったでしょうし
それぞれの文化や信仰もあったかもしれない。
で、その中で呉出身の人たちの一派が
交流をしていた、そんな印象を持ちました。
 
ですので、そこから大陸の人たちと交流が続いたり
行ったり来たり
もちろん、争いもあったと思いますしさまざまな出来事が
あったと思います。
 
ただ、ことの発端はどこから?と
思った時、呉の流れを汲む人たちからから
なのかな、と思いました。