数回に分けてレポさせていただく17日から19日の被災地でのレポのVOL4です。
VOL1のレポは下記からご覧ください
http://ameblo.jp/f440440/entry-10930431260.html
VOL2のレポは下記からご覧ください
http://ameblo.jp/f440440/entry-10931350915.html
VOL3のレポは下記からご覧ください
http://ameblo.jp/f440440/entry-10932330697.html
いよいよ19日最終日になりました。
公民館の雑魚寝から目覚めた優者16人は、山田町の豊間根中学校の避難所へと向かう。
今回ここの避難所に行くのが一番の不安でもあった。
なぜなら、初めていく場所であるからだ。
今回、回っている場所は全て一度は行っていて、どういう人かを分かってもらっている場所だ。
最初に行く時は、相当の気を使うのである。
それは到着時から悪い予感は的中する。
連絡ミスで、10時からスタートの所を10時に到着してしまったのだ。
数分遅れでメンバーが入っていくと、時間厳守してもらわないと困ります。
中止にしますくらいの勢いでした。
あわてて上映と、ライブの準備をする。
準備が整った所で、もうひとつ驚く情報が入ってくる。
ここの避難所は2カ所に分かれていて、ここで終わったら2カ所目でもやる事になっているらしく、その終わる時間も昼食の関係で11時40分くらいには終わらせなくてはいけないとのこと。
すでに時刻は10時半近くになろうとしている。
と言っても手は抜けない。
まずは挨拶をさせてもらい、全国の方から集めた応援メッセージのビデオを上映する
http://youtu.be/kXm9vkOvhhU
続々子供や大人が集まってくる。
そして村上由香ちゃんのライブを行った。
由香ちゃんの手をつないでと言う歌は、会場の皆さんの心にスーっと入って行くのが分かる。
子供たちもとても喜んでいる。
終わると、子供たちから似顔絵や、お花の首輪のプレゼント。
阿部ちゃんの歌で全ての人を心を音楽で包み込む。
最後に僕の話をさせてもらう。
いつも話をさせてもらうのはこんな感じです。
「僕は16歳の時にバイクで事故を起こし、全身が大やけどしました。
自分の変わり果てた姿に生きる事をあきらめようと思いました。
しかし、悔しくて、悔しくて、死ぬ事ができませんでした。
どうやって生きていけばいいのかと、もがきました。
でも、あきらめなかったから今の僕がここに居ます。
もう一人紹介したい人がいます。
14歳の時に広島の原爆で被爆した橋爪文さんと言う女性です。
彼女は原爆の日、変わり果てた死の街で生き残り、街は焼け人も多数死んでいる中で生き残った数人で肩を寄せ合い生き抜いたそうです。
放射能を被爆したため、癌が絶えなく、入退院を繰り返したそうです。
先日80歳の誕生日を迎え、文さんは僕にこう言ってくださいました。
『生きていて本当に良かった』と
『あきらめないで本当に良かった』
『今はとても幸せよ』
と笑顔で言ってくれたんです。
文さんは60歳から世界旅行をして回り、本も出版されました。
皆さんに伝えたい事は、あきらめなければ必ず希望の春はやってきます。
絶対にあきらめないでください。
僕達は精一杯応援して行きますので、共に考え共に生きていきましょう。
僕達は皆さんと家族だと思っています。
同じ日本に住む家族なんです。
ですから、つらい時は一緒に泣きましょう。
そして、笑いましょう。
必要なもの、欲しいものがあったら何でも言ってください。
僕は岩手が大好きです。」
話し終えた後、一人一人にメッセージ入りの物資を渡しながらコミュニケーションをとって行きます。
涙を流される方や、ギュッと手を握って離さない方もおられます。
どれだけの悲しみを味わっているのかは想像がつきません。
そうしていると避難所の担当の内田さんから次の場所への移動を急がされました。
時計を見ると11時になっていました。
あわててかたずけをして移動し要と思っている所に内田さんから話しかけられました。
「次の場所は45分までは大丈夫ですが、準備を考えると歌だけでも良いんじゃないですか?」と言われました。
僕は、ついこう返してしまいました
『すいません、僕は全国の皆さんのメッセージを伝える使命を背負ってきてますので』
『内容は、こちらで考えます』
もちろん歌も最高なのですが、全国のみんなが応援していてつながっているって事を伝えに来ているので曲げられない事もあるのは事実です。
しかし、実際にスタンバイしてはじめられたのは11時25分ころでした。45分までに終わらせるのは、かなり苦しい状況でした。
全国から集めたメッセージビデオは、途中カットし省略しました。
村上由香ちゃんには一曲だけ歌ってもらい、阿部ちゃんも一曲歌ってもらいました。
すると内田さんが僕の所に寄って来て
「古市さんの16歳で事故をした話も話してもらえませんか?」
「時間は12時までとりますので」
と言ってくれたのです。
内田さんに何かを感じてもらえたのだと確信しました。
僕は阿部ちゃんが終わった後、皆さんの前で話を始めました。
すると一番前のおばあちゃんが号泣しだして、それを見た僕も泣いて話す事が出来なくなりました。
泣きながら話し終え真っ先にそのおばあちゃんの所に行きました。
おばあちゃんは「今までで一番良かった。本当に来てくれてありがとう」って手をぎゅっと握りながら言ってくれました。
もう一人のおばあちゃんともお話をしました。
「津波の後、今日はじめて泣きました」と言って泣いていました。
津波の後はただ逃げるのが必至で、たすか手からも3カ月たった今も無く事はできませんでした。しかし、僕達が行った事でおばあちゃんは泣いてくださいました。
おばあちゃんは僕のことまで心配してくれました。
「若い時に大変だったでしょう、つらかったでしょうね。」
なんて優しい人なの?常に人の事を考えられる人って尊敬できます。
そして、交流を持つ事が出来ました。
一緒に行った優者もそれぞれ色々な人と話をして涙を流しながら抱き合ったり、握手をしたりと、素敵な光景でした。
表では子供たちと本気で交流をする優者。
お時間を与えてくださった内田さんにも感謝の気持ちでいっぱいになりました。
どんな状況でもベストを尽くす。
これには、一点の迷いもありません。
豊間根中学校の避難所の皆さん、又きっと逢いましょう。
それまで元気でいてください。
最後は校門でおばあちゃん達とハイポーズ。
今回の予定が全て終わりました。
吉井さん家族は陸前高田市を廻って帰ると言う事でここでお別れ。
そして福士さんとヨッシーともお別れの時が来る。
福士さんの側に行くと、泣きそうな福士さんがいる
「なんか、さびしいっす」
と言って泣き始める。
僕も、泣くのこらえるの必死です。
みんなでコンビニまで行き最後のお別れ。
福士さんもヨッシーも泣いてしまうのよ。
また会えるよ、皆又来るから。
少しのお別れだよ。
僕達は福士さん達を見送った。
最後に残った11人の優者はマイクロバスに乗り盛岡ICへと向かい始めたその時とんでもない光景が・・・
先に行ったはずの福士さんとヨッシーが道の脇でぴょんぴょんとびはねてタオルを手にバイバイしているのです。
それも恥も何も関係なく大胆な振る舞いに僕も皆も涙腺が壊れてしまった。
なんて、良い人なの?
そしてなんてアホなの?
もう、一生付き合ってください。
ありがとう。
帰りのバスの中は9時間の旅となる。
僕はこの時間を無駄にしてはいけないと思い。
すかさずマイクをみんなに回し、今回の岩手で感じた事を話してもらう。
それぞれが色々な事を感じそれを口にすることで、僕達の絆は深まっていく。
そして、次に今までで辛かった事を話し、これからやりたい事を話してもらう。
最初は戸惑っていたが、皆が話し始める。
泣きながら話す者もいてバスの中は一つになっていく。
今まで人に話した事もなかったような事をここの空間では安心して話ができる。
そして誰もそれを否定せず肯定して行く。
語りは続きあっという間に9時間が過ぎる
そしてバスに乗っていた11人は、かけがえのない仲間となった。
こうした人間関係作りも、マイクロバスを貸して下さったよしかわ温泉ゆあみさんの御厚意とつなげてくださったレイアさんのおかげです。
そして、運転を引き受けてくれたげんちゃんと次元さんも本当にありがとうございました。
そして今回集まってくれた優者の皆さんに感謝の言葉を贈りたい。
ありがとう。
そして僕は一生岩手に係わっていくつもりだ。
皆さんもぜひ次回はご一緒しましょう。