先週の金曜日は朝から新しい仕事の説明会的なのがあり、その後は新しい住まいの物件探しをし、いつもの仕事に行きと、一日中外に出ておりブログが書けませんでした!あ~あ、穴が開いちゃったなー。
で!もう京都に引っ越すことに決めました。でも住み続ける為に、あともう1つ仕事を探さねば…!
ということで週末はドタバタしてたのですが、物事を決断、そして再び一人暮らしをするということで
ワーズワース・決意と独立
という大学の時ゼミで読んだ詩が脳裏によぎりました。ここで超久々に英詩紹介コーナーをしようと思います(簡単に)。
※以下、個人の見解です。
VII
By our own spirits are we deified:
We Poets in our youth begin in gladness;
But thereof come in the end despondency and madness.
詩人の若い青春時代は喜びに満ち、そこから(詩人としての人生が)スタートするが、
それは同時に落胆と狂気への終わりへと向かうこととなる。
詩人としての生活は、昔も今も“不安定”です。他に別の仕事をしてないととても食っていけません。
歳を取るほどその“不安”は自分を責めるものになったりします。
詩人はろくに働かず、金を稼がず、ずっと養ってもらっている身であると、精神的に追い詰められてしまいます。
なのでワーズワースは明るい自然を見ても、ウサギが楽しそうに走り回っている姿を見ても、「こんな日とは違う一日が来るかもしれない」と超ネガティブに恐怖に怯え、純粋に喜べない様子がここまで描かれています。
優れた詩は若い時にしか書けない。大人になるほど(自他ともに)色んな部分が見えてきて、現実、責任というのに直面し、夢を諦めないといけないかもしれない。良い夢を見ても、絶望と狂気が襲い来るのが運命だ…。(と多分作者は思っています。)
XV
Employment hazardous and wearisome!
And he had many hardships to endure:
危険で疲れる仕事でも、彼はたくさんの困難に耐え乗り越えてきた。
蛭(ひる)取り老人というのが詩の途中に出てくるのですが、彼=老人のことです。
ここで詩人は人の人生というものを知った・学んだ気がします。辛いことで悩んでいるのは私だけではない、とも思ったかもしれません。
Housing, with God's good help, by choice or chance;
And in this way he gained an honest maintenance.
家計は神の良きお助けにより、正直一筋な生活が維持できた。
どんなに辛い仕事でも何か自分の為になる。自分の選択は間違っていない。
ここのheも老人のことですが、長く生きてきて「すべては繋がっている」ようなことを詩人は書いているように思います。
XVIII
"Once I could meet with them on every side;
But they have dwindled long by slow decay;
Yet still I persevere, and find them where I may."
かつてはどこにでもいた蛭も、今はほとんど絶滅してしまった。
しかし私はまだ諦めずに(行く所々で)彼らを探すのです。
これは老人の言葉です。諦めない心、貫く心というのが強く伝わってきます。
ワースワースはこんな年老いた老人でも生き生きとした強い心を持っているのを目の当たりにして、「良い詩を書けるのは子供の時だけでない。これからもずっと書けるはず」と思いに至ったと考えられます。
少し戻りますが、老人は詩人を見て、過去の自分を見ているように思ったかと、私は思います。
「仕事は何ですか?」と聞いた詩人の声に、
XIII
Ere he replied, a flash of mild surprise
Broke from the sable orbs of his yet-vivid eyes.
返答する前に、彼の目の黒い眼球は生き生きと、少しの驚きとともに輝き出した。
思い悩む過去のような自分に手を差し伸べたいと思った老人の言葉は、弱い身体とは別にしっかりとしていた。
(実際には喋ってませんが←直接話法ではない。川の流れる音のように、愛する自然の声を聞いたかのように)
XIV
His words came feebly, from a feeble chest,
But each in solemn order followed each,
With something of a lofty utterance drest---
Choice word and measured phrase, above the reach
Of ordinary men; a stately speech;
Such as grave Livers do in Scotland use,
Religious men, who give to God and man their dues.
弱々しい胸から出る言葉は、どこか気高く荘重で
ありきたりとは違う、まとまった単語・フレーズが並んだ堂々としたもので
神と人に語りかける信仰なスコットランド人が使う言葉のよう
老人が実際に喋った言葉は第18連目の「それでも私は蛭を探す」のところしかなく、他は全て“ ”マークのない間接話法になっています。
そのことから詩人はどこか、老人と喋りながら自然と話しているようで、そしてそれは自分の詩文になっている
老人=自然=詩
という構図が、私には感じられます。詩=自分の言葉ということから、老人=自分と繋がり、老人の存在は詩人から見れば「未来の自分」だったのかもしれません。
XX
"God," said I, "be my help and stay secure;
I'll think of the Leech-gatherer on the lonely moor!"
神よ、我が助けとなり、我が身の安全を守り給え
また深淵の沼に迷ったら、私はあの蛭取り老人を思い出すでしょう。
詩人は第15連目の老人のように、神の助けを賜り、真っ直ぐと自分の道を歩いていくでしょう…。
そんな感じで、確実な収入もないまま京都で一人暮らしを始めようとする自分の状況に非常にピッタリな詩でした。
詩を書く者同士ということもあり、ということで。。
スタートは困難への始まり、苦しい状況でも耐える、選んだ道は間違っちゃいない…などのことは、今のコロナ禍の中、同じことを思っている気持ちの人は多いのではないかと思います。
おそらく昔の先人たちも、幾多の問題や苦難に立ち向かいながら、あらゆる場面を乗り越えてきて、今の私たち・世界があるのでしょう。
1807年に書かれた詩ですが、昔も今も同じように人間は思い悩んでいるんですね。。
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