好中球減少症から復帰して1年。
随分ご無沙汰なのに、「いいね!」を下さる皆様に感謝します。

色々ありました。
お札も何千体かを作らせて頂く事が出来、何か所かで流すことも出来ました。

そしてつい先日…。
十数年間連れ添った愛犬を亡くしてしまいました。

1歳で飼い主に捨てられ、3歳までたらい回しにされて虐待を受け、人間不信になって咬みまくる小型犬。

ここまで人間不信になってしまったのは、メインて関わっていたボランティアの方の自宅での虐待や、マッチングを見極めずに里親希望があれば出しては引き取るを繰り返した為。
言わばこちらサイドのあってはいけないミスなのに、保健所行き手前でした。

少し難しい犬をお預かりして、可愛くなった頃に里親さんにお渡しするボランティアをしていた私の元へも、あなたが預からないなら保健所行きだと捨て台詞付きで辿り着いたこの子。

この子との信頼関係が出来た頃、もうこれ以上人間の都合で落ち着かない生活をさせてはいけないと、動物病院の先生から意見を頂きました。

私は独り身の独り暮らしなので、この子を引き取る事ではそのボランティアの方と一悶着ありました。

この子が亡くなるまでボランティアはしない事。
多頭飼いをしない事。
その他諸々の条件を叩きつけられ、この子を引き取る為に全て飲みました。

それから14年。
若い頃には咬まれる事もありました。
それでも私だけを見てくれたこの子と、寄り添うように生きてきました。

年取って丸くなってきたこの子を見ていると…。


この子は私に引き取られて、本当に幸せだったんだろうか…。
私の精一杯は、この子にとって十分だったのかしら…。
可哀想な一生ではなかったかしら…。


そんな気持ちが過ぎり、ある日動物病院でお隣に座ったお母さんに、思わずその想いをもらしてしまうと…。


『あなた。良くご覧なさい。
 この子のどこが不幸な顔をしているの?
 こんなに穏やかな目をして…。
 愛されてるお顔をしているじゃない。』


その言葉を頂いた途端に涙がこぼれました。


この子は最後まで私の側がいい。
家に居たい…と言っていました。

これだけ家と私を求めてくれていたのなら、この子は私でも満足してくれていたのかも知れません。

でも私にはあれもこれも、もっともっとしてあげたかったと後悔が残ります。

今この時にも14年前のこの子の様に、殺処分を待つ犬や猫が沢山居ます。
そんな子達を助けるために、頑張っているボランティアの方々が沢山居ます。

この子が亡くなった今、この子が私で良かったと思ってくれるなら…。
私は自信を持って、次の命を迎えたい。
それで助かる命が1つでもあるなら、一日も早くと思うけれど…。

まだ悲しくて動けません。
私は私の精一杯で、この子を愛していたんです。
あの子はあの子の精一杯で、私を愛してくれていたんです。
今更ながらですが、居なくなってそれを実感しています。