greed
現象にスポットを当て
その中の全体から見て
こういう機能、働きがあって
それを支えている構造がこれ(これら)で
その構造の基底となっているのがこれ(これら)だ
という見方で様々なものを見ると
なんとなく理解した気になり
その現象に対しアプローチしたり
なんらかの応用ができると思います
規模に関わらず
スポットの範囲次第で何が基底で
何が構造で何が機能となっているかが変わることもあります
台風を分析するとき
発生した後の台風を分析したときと
発生から消滅まで現象を見たときでは
基底も構造も働きも違います
発生した後の台風は強力な風で
大気をかき回し天候を左右しますが
発生から消滅まで見た台風の働きは
だいたい同じ場所で発生し
だいたい同じ経路をたどって
だいたい同じような場所で消滅し
地域の季節イベントになっている働きがあるなど
(専門的にはわからないので勘弁してください)
もちろんこれは人の意見にも当てはまって
常識が違えば意見も違います
歴史で認識が違うのは
起きたことに対するスポットが違うのです
(だいたい始まり(起点)が違うみたいです)
このブログで度々歴史の経緯と政治で起きてる問題を
勝手に取り扱って意見してますが
欧米に文句言ったり
日本に文句言ってる人を非難したり
かといって日本の経営層の人にも文句言ったり
パーサーカー状態みたいかもしれませんが
(イスラム社会以外に噛みついてる気が・・・)
何が言いたいかというと
肥大化したエゴに対して噛みついているのです
エゴ自体ではありません肥大化したエゴにです
まず欧米には自分たちだけの努力で
国力を増したわけではないのに
他社会を自分たちのエゴに従わせようとし
自分たちの都合の良いように変えようとしていることです
欧米に恩恵を与えた社会も含めて。
そして日本に文句言っている人たちに噛みついているわけは
昔の日本がしたことの恩恵を受けているにもかかわらず
(日本が自分たちだけがよければいいという考えで
仕事をしていたわけでもないのにあたかも日本を悪のように扱う発言です)
その日本に対してエゴを満たそうと
政治的経済的軍事的圧力で働きかけ
日本から受けた恩恵を自分たちの手柄にし
世界をエゴにまみれた社会にしていることです
そして日本の経営層に噛みついているわけは
いつまでも若年層を安い賃金で利用し
性的経済的政治的搾取していることで
現在までの日本を不活性化させてることです
性的には今の経営層が援助交際を生み
今でもその文化が残っていること
(経済的豊かな年寄りが金銭をちらつかせ
世間がよくわかっていない学生を買春するのは如何なものか)
経済的には賃金が語ります
政治的には富を家庭を作る年頃の人材に分けず
老後の蓄えにし少子高齢化の主体を高齢者にしていること
少子高齢化を支える人がこのツケを償わないといけません
家庭を育む時間を高齢者を支える時間に捧げないといけません
社会が悪いのはこれまでの行いが影響しているのに
高齢者はその責を問われず
国の借金を押し付けてわずかな功績を称えなきゃ文句を言うのです
介護に文句が言いたいのではなく
高齢者に従わせるように働きかけ
社会をよくしようとしている若者を
「社会を壊してる」「生意気」などと
元気に足を引っ張るのはやめていただきたい
高齢者がどうしようもない問題に取り組んでいるのです一部の若者は!
逸脱者と不正者は必ずしもイコールではないのです
なぜ肥大化したエゴに噛みつくか?
それは社会の発展にはだいたい社会の外の協力という形
(もしくは影響)が一つの条件となっているため
社会をよくしようと思ったときに
必ず邪魔になるのはエゴ、それも強力なエゴです
この肥大化したエゴが公や良心などの仕事の
良い効果を消すのです
国としてのエゴもそうです
それも歴史上の発展などの良い効果を歪め
それを伝播し社会を歪めるのです
現代社会はそんな単純じゃないこともわかってます
誰かを悪者にし自分たちのエゴを隠し
悪者扱いした者から利得を得るなど
政治的巧妙さも含んでます
テロに標的にされている国は
テロリストに肥大化したエゴを非難されていると思います
それらの国の国民が得ている富は
違う人が得るべき富で
政治的に不当に搾取しているのではないでしょうか
それこそ社会的に悪者にし不当に扱っているのではないでしょうか
イラク戦争だけでなく
非難されている国の常識が
肥大化したエゴを満たすことを理由をつけて当たり前に思って
その当たり前がテロリストには不当に感じるのではないでしょうか
元凶はそれぞれの国の当たり前かと
それも国益にもなってる当たり前じゃないかと・・・
消費してしまって取り返しがつかないかもしれません
(わざわざ自爆テロをするほどの理由が標的の国はしてきたのかもしれません)
テロリストに聞いてきたわけじゃないから本当のところはわかりませんが
わたしはテロ組織とは別に
対象を非難し肥大化したエゴを非難します
人間社会を貶めるとも思えるからです
ほとんど誰もが獣と同じように生きるしか無くなるのが
私は不満です
ご先祖様に顔向けできません
そのように生きてしまったらね!
だから私はブログであれこれ書きます
知らないで済むとは思えません
知らないということを知らないわけにもいきませんが
だけどこのブログは見ないでも済みます
ここに書いてることをヒントに(基底に)
何かを考え何かを思い浮かぶのも自由だとも思います
(何かを基底に構造がある機能をそれを包括する
何かの基底にすることはできますそしてそれを機能させることも)
その中の全体から見て
こういう機能、働きがあって
それを支えている構造がこれ(これら)で
その構造の基底となっているのがこれ(これら)だ
という見方で様々なものを見ると
なんとなく理解した気になり
その現象に対しアプローチしたり
なんらかの応用ができると思います
規模に関わらず
スポットの範囲次第で何が基底で
何が構造で何が機能となっているかが変わることもあります
台風を分析するとき
発生した後の台風を分析したときと
発生から消滅まで現象を見たときでは
基底も構造も働きも違います
発生した後の台風は強力な風で
大気をかき回し天候を左右しますが
発生から消滅まで見た台風の働きは
だいたい同じ場所で発生し
だいたい同じ経路をたどって
だいたい同じような場所で消滅し
地域の季節イベントになっている働きがあるなど
(専門的にはわからないので勘弁してください)
もちろんこれは人の意見にも当てはまって
常識が違えば意見も違います
歴史で認識が違うのは
起きたことに対するスポットが違うのです
(だいたい始まり(起点)が違うみたいです)
このブログで度々歴史の経緯と政治で起きてる問題を
勝手に取り扱って意見してますが
欧米に文句言ったり
日本に文句言ってる人を非難したり
かといって日本の経営層の人にも文句言ったり
パーサーカー状態みたいかもしれませんが
(イスラム社会以外に噛みついてる気が・・・)
何が言いたいかというと
肥大化したエゴに対して噛みついているのです
エゴ自体ではありません肥大化したエゴにです
まず欧米には自分たちだけの努力で
国力を増したわけではないのに
他社会を自分たちのエゴに従わせようとし
自分たちの都合の良いように変えようとしていることです
欧米に恩恵を与えた社会も含めて。
そして日本に文句言っている人たちに噛みついているわけは
昔の日本がしたことの恩恵を受けているにもかかわらず
(日本が自分たちだけがよければいいという考えで
仕事をしていたわけでもないのにあたかも日本を悪のように扱う発言です)
その日本に対してエゴを満たそうと
政治的経済的軍事的圧力で働きかけ
日本から受けた恩恵を自分たちの手柄にし
世界をエゴにまみれた社会にしていることです
そして日本の経営層に噛みついているわけは
いつまでも若年層を安い賃金で利用し
性的経済的政治的搾取していることで
現在までの日本を不活性化させてることです
性的には今の経営層が援助交際を生み
今でもその文化が残っていること
(経済的豊かな年寄りが金銭をちらつかせ
世間がよくわかっていない学生を買春するのは如何なものか)
経済的には賃金が語ります
政治的には富を家庭を作る年頃の人材に分けず
老後の蓄えにし少子高齢化の主体を高齢者にしていること
少子高齢化を支える人がこのツケを償わないといけません
家庭を育む時間を高齢者を支える時間に捧げないといけません
社会が悪いのはこれまでの行いが影響しているのに
高齢者はその責を問われず
国の借金を押し付けてわずかな功績を称えなきゃ文句を言うのです
介護に文句が言いたいのではなく
高齢者に従わせるように働きかけ
社会をよくしようとしている若者を
「社会を壊してる」「生意気」などと
元気に足を引っ張るのはやめていただきたい
高齢者がどうしようもない問題に取り組んでいるのです一部の若者は!
逸脱者と不正者は必ずしもイコールではないのです
なぜ肥大化したエゴに噛みつくか?
それは社会の発展にはだいたい社会の外の協力という形
(もしくは影響)が一つの条件となっているため
社会をよくしようと思ったときに
必ず邪魔になるのはエゴ、それも強力なエゴです
この肥大化したエゴが公や良心などの仕事の
良い効果を消すのです
国としてのエゴもそうです
それも歴史上の発展などの良い効果を歪め
それを伝播し社会を歪めるのです
現代社会はそんな単純じゃないこともわかってます
誰かを悪者にし自分たちのエゴを隠し
悪者扱いした者から利得を得るなど
政治的巧妙さも含んでます
テロに標的にされている国は
テロリストに肥大化したエゴを非難されていると思います
それらの国の国民が得ている富は
違う人が得るべき富で
政治的に不当に搾取しているのではないでしょうか
それこそ社会的に悪者にし不当に扱っているのではないでしょうか
イラク戦争だけでなく
非難されている国の常識が
肥大化したエゴを満たすことを理由をつけて当たり前に思って
その当たり前がテロリストには不当に感じるのではないでしょうか
元凶はそれぞれの国の当たり前かと
それも国益にもなってる当たり前じゃないかと・・・
消費してしまって取り返しがつかないかもしれません
(わざわざ自爆テロをするほどの理由が標的の国はしてきたのかもしれません)
テロリストに聞いてきたわけじゃないから本当のところはわかりませんが
わたしはテロ組織とは別に
対象を非難し肥大化したエゴを非難します
人間社会を貶めるとも思えるからです
ほとんど誰もが獣と同じように生きるしか無くなるのが
私は不満です
ご先祖様に顔向けできません
そのように生きてしまったらね!
だから私はブログであれこれ書きます
知らないで済むとは思えません
知らないということを知らないわけにもいきませんが
だけどこのブログは見ないでも済みます
ここに書いてることをヒントに(基底に)
何かを考え何かを思い浮かぶのも自由だとも思います
(何かを基底に構造がある機能をそれを包括する
何かの基底にすることはできますそしてそれを機能させることも)
deal
今まで書いた内容を
今回はまとめてみます
現状の社会には下記のような問題がある
・社会不正の逸脱者と学識に関する常識の逸脱者の分別が無い
・問題の社会現象の発生条件に問題を抱える
社会の常識(などが)が関わっている
・昔からの知恵で克服していたはずのエゴから生まれる問題が
大規模な社会の中で解決できない
とりあえずこの辺で
そして下記のような展望がある
・高度な視座から見た経済政策(インフラ、社会、経済問題解決)による
経済未開発地域(も)の開発が可能
・教育による経済維持発展が可能
高度な視座とは良心、俯瞰、弁証法、神の視点などの意で
現象をシステムとしてこのような視点から見、基底、構造、機能を変えて
現象を改善などができるので
これを経済発展の手段とし経済、社会問題に応用する
展望により利点としては
それぞれの地域の問題を経済で解決する事により
社会の発展が起き発展した社会が
他の地域にも影響してさらに発展する地域が増える
初期投資が必要だが既に発展した地域はあるので
発展した地域のエゴをどれだけ控えられるかであり
問題を抱える社会を包括的した高度な視点により
エネルギー、貧困、健康、環境が解決される
経済を手段とした人間社会の幸福に寄与し
望む人に望む恩恵を与えるべきである
ちなみに経済は手段だが経済の手段として
高度な視座がある階層的になっている
現状の社会問題に対する経済を主な手段とした
問題解決したところでその先に人間の幸福が
待っているのかという話には答えられません
人間の目的を設定しているのではなく
仕事の意味で必要ではないかと思うのです
EUで経済の大連合が既にあり
そこで起きているギリシア問題を教訓に
これから経済関連する社会は監視を強めるべきです
問題現象が大きくなる前に手を打つべく
協力し手を貸さないまでも問題を大きくするような
働きかけは控えるべきです
エゴによる問題の長期化は社会を不幸にします
(我慢しても解決にはならないはずですけど)
しかし西洋化が起こるとこれまでの社会が
抑えていたエゴが肥大化していき
経済発展しないほうが物質的には貧しくとも
問題が少なく精神的に豊かだったのではないかと思うほどです
捕鯨問題を含め西洋は他地域に自分たちの常識を押し付け
他地域の常識の流入を拒むというパターンがあります
(自分は変わらず相手を変えるのが西洋の常套手段です)
私は善意でも相手が望まないことを無理に押し付けるのは
本当の善意ではないと思ってます
(悪意のないエゴかもしれません)
しかも今の時代は差し迫った脅威というのが
あまりはっきりしないというのが現状だと思います
私が問題に思っていることも
緊急性は特にありません
が、常態化しているとも思いますので
そういう仕事も必要かと思ってます
別に命をかけてやるほどの仕事でもないんですけどね
これより良い考えだって探せばあるでしょうし
たまたまこのブログで今はこのようなことを書いています
その程度の話です
今回はまとめてみます
現状の社会には下記のような問題がある
・社会不正の逸脱者と学識に関する常識の逸脱者の分別が無い
・問題の社会現象の発生条件に問題を抱える
社会の常識(などが)が関わっている
・昔からの知恵で克服していたはずのエゴから生まれる問題が
大規模な社会の中で解決できない
とりあえずこの辺で
そして下記のような展望がある
・高度な視座から見た経済政策(インフラ、社会、経済問題解決)による
経済未開発地域(も)の開発が可能
・教育による経済維持発展が可能
高度な視座とは良心、俯瞰、弁証法、神の視点などの意で
現象をシステムとしてこのような視点から見、基底、構造、機能を変えて
現象を改善などができるので
これを経済発展の手段とし経済、社会問題に応用する
展望により利点としては
それぞれの地域の問題を経済で解決する事により
社会の発展が起き発展した社会が
他の地域にも影響してさらに発展する地域が増える
初期投資が必要だが既に発展した地域はあるので
発展した地域のエゴをどれだけ控えられるかであり
問題を抱える社会を包括的した高度な視点により
エネルギー、貧困、健康、環境が解決される
経済を手段とした人間社会の幸福に寄与し
望む人に望む恩恵を与えるべきである
ちなみに経済は手段だが経済の手段として
高度な視座がある階層的になっている
現状の社会問題に対する経済を主な手段とした
問題解決したところでその先に人間の幸福が
待っているのかという話には答えられません
人間の目的を設定しているのではなく
仕事の意味で必要ではないかと思うのです
EUで経済の大連合が既にあり
そこで起きているギリシア問題を教訓に
これから経済関連する社会は監視を強めるべきです
問題現象が大きくなる前に手を打つべく
協力し手を貸さないまでも問題を大きくするような
働きかけは控えるべきです
エゴによる問題の長期化は社会を不幸にします
(我慢しても解決にはならないはずですけど)
しかし西洋化が起こるとこれまでの社会が
抑えていたエゴが肥大化していき
経済発展しないほうが物質的には貧しくとも
問題が少なく精神的に豊かだったのではないかと思うほどです
捕鯨問題を含め西洋は他地域に自分たちの常識を押し付け
他地域の常識の流入を拒むというパターンがあります
(自分は変わらず相手を変えるのが西洋の常套手段です)
私は善意でも相手が望まないことを無理に押し付けるのは
本当の善意ではないと思ってます
(悪意のないエゴかもしれません)
しかも今の時代は差し迫った脅威というのが
あまりはっきりしないというのが現状だと思います
私が問題に思っていることも
緊急性は特にありません
が、常態化しているとも思いますので
そういう仕事も必要かと思ってます
別に命をかけてやるほどの仕事でもないんですけどね
これより良い考えだって探せばあるでしょうし
たまたまこのブログで今はこのようなことを書いています
その程度の話です
setting
わからない事がわかると
すっきりしますよね
答えがわからないとモヤモヤします
それは知識の上でですが
わからない事がわからないと
答えは導けないはずです
当たり前ですよね
みなさん試験や質問などで問いが
何を問いているのかがわかって
方法を用いたり
思い出したりして答えを導きます
前回は何かよくわからない社会の問題を
なんとなく挙げてみましたが
今回は「問題」自体について書いてみます
人は昔から自然現象などを擬人化した存在の
仕業にしてきましたが
疑問に思う人が擬人化ではなく
数学的な概念を応用してだと思うのですが
(幾何学だと思います)
論理的に答えを導いたのだと思います
擬人化では無い原因があるのだと
いろいろな事に疑問を張り巡らしたらしく
現代も扱われる原子論なんかも既にあったとか
詳しい事はわかりませんが
いろいろな考えがあったのでしょう
しかもそれはDNAのせいというより
社会システムが大きな条件でもあったようで
どの地域のどの人でも対象に疑問を持っていたわけでもなく
ごく限られてたみたいです
多分それは人間が子供さえ作ってさえいれば
自然と起きた現象ではなく
様々な条件が整ったからでしょう
起きなかった可能性もあるのです
その場合は今の科学の発展はなかったのかもしれません
必然では無いはずです
偶有性というらしいです
Cという状態になるのに
Aという過程を経る事もありえたし
Bという過程を経る事もありえた
Cとは現在の事でABは過去といったところで
現在の形をとる社会にはAという過去が無視できなくても
Bという可能性もあったのは違いなく
運命といったものではなく
たまたまそうなったのだと
そういう感じを偶有性と受け取ってもらえればと思います
さて疑問を持って知識を増やすのは
誰もがしてるとは言いにくいかと思います
この疑問は必ず本に載っているわけでもなく
見えるわけでもなく
聞けるわけでも無いからです
誰もがそんな時間を持っているわけではなく
経験も知識を導くのに必要でしょう
以前シンボルについて書きましたが
疑問についてこれが関わる事があります
頭の中で地震を起こしたりするとき
知識に基づいた絵を動かす
つまりシミュレートするのです
そして重力の影響で地球のプレートが動き
プレートの摩擦と滑りの関係で
地震が起き津波が起き
構造などに影響が起き人的被害が出るのです
地震の大きさなどを想定しても
条件によっては震度9も起こらないとは言えないはずです
日本の学者はあの地震のあの災害を目の当たりにして
まだ原発を建てようなどと
日本を誰も住めなくしても
責任は自分たちには無いと言わんばかりです
原発の研究よりも日本のためになるエネルギーの研究を
しても良いのでは無いかと思うのですが
アメリカはアメリカの常識上にしか
ものごとを考えられません
日本の災害の歴史を知らないで
政策に口を出しているのです
ただのお金の計算のみで良いことを言ってるつもりなのです
もちろん日本で何か起きても
自分たちは困りません責任は取りません
学者も責任は取りません、もちろん官僚も
また福島原発のような事が起きるでしょう
科学が発展しているのにもかかわらず
社会は問題を解決できないのです
お金を追い続けて何百年も何千年も苦しむ問題を
抱えるのです
そして得られる経済的利益より
はるかに多くの損失を被るのです
経済的のみでなく祖先から受け継いだ土地なども・・・
自らが関わった事に責任を持たなければ
問題が起きたときに対処できません
マンションの杭打ちを改ざんした人が特定できれば
責任を明らかにする事ができれば
対処はできます
再発を防ぐ対策が可能なのです(ある程度の限界はありますが)
アインシュタインが問題を考えたとき
光の速さよりも早い速度で鏡を見たらどうなるか
と考えたとき論理的にしか考えなかったわけでなく
頭にその状態を思い浮かべて考えたと思います
列車で物を落とすのを列車の外から見たらどうかとか
想像を膨らませないと実際に見れない事は
答えを導くのは難しいはずです
社会もそうです
社会の現象が起こるまでの経緯と
起きてる現象を明らかにし
現象の全体を思い浮かべて
何が基底(条件の要素)で
何が構造(条件などが構成する関係、機能を支えてる関係)で
何が機能(発現してるか)となっているかがわかることで
解決するアイデアが生まれるのです
欲を言えば良心といった高次元から見た問題であれば
そこから導くアイデアも自己満足で終わらないと思います
誰かが困っている問題を理解し
良心をもって解決すれば(弁証法的でも良いですが)
困ってる誰かの助けにもなるし
自分がその状況に陥ったときは
自分の助けにもなるし
自分の子孫にも恩恵を受けるかもしれない
きっかけは自分が困ってたことでも別に構わないと思いますが
(同じような状況に困っている人はいるかもしれないから)
自分が困ってなくても誰かの問題を解決する事は
自分の環境でもある社会を良くし
環境の影響を受ける自分にも
悪い事が起きにくいということでもあるはずです
現実にある問題は人間社会の都合良くできておらず
ときに答えどころか問題自体も
受け入れられないこともありますが
「何が」だけでなく
「どうやって」というのも問題の設定の仕方としてあります
前者が「What」昔から使われてきました
後者が「How」方法を探すときに使われてきました
組み合わせて解決するのがベストかと
特に答えの無い問題に取り組むのには
どちらかのみでは難しいかと
哲学と工学って手を組めないんですかね?
科学哲学で科学の発展を分析し
方法にまで一般化し
科学の発展を意図的に進めるとか・・・
できれば社会の発展に応用するとか
悪い話では無いと思うんですけど
殺されちゃうのかな?社会的にも(笑)まだダメか。
すっきりしますよね
答えがわからないとモヤモヤします
それは知識の上でですが
わからない事がわからないと
答えは導けないはずです
当たり前ですよね
みなさん試験や質問などで問いが
何を問いているのかがわかって
方法を用いたり
思い出したりして答えを導きます
前回は何かよくわからない社会の問題を
なんとなく挙げてみましたが
今回は「問題」自体について書いてみます
人は昔から自然現象などを擬人化した存在の
仕業にしてきましたが
疑問に思う人が擬人化ではなく
数学的な概念を応用してだと思うのですが
(幾何学だと思います)
論理的に答えを導いたのだと思います
擬人化では無い原因があるのだと
いろいろな事に疑問を張り巡らしたらしく
現代も扱われる原子論なんかも既にあったとか
詳しい事はわかりませんが
いろいろな考えがあったのでしょう
しかもそれはDNAのせいというより
社会システムが大きな条件でもあったようで
どの地域のどの人でも対象に疑問を持っていたわけでもなく
ごく限られてたみたいです
多分それは人間が子供さえ作ってさえいれば
自然と起きた現象ではなく
様々な条件が整ったからでしょう
起きなかった可能性もあるのです
その場合は今の科学の発展はなかったのかもしれません
必然では無いはずです
偶有性というらしいです
Cという状態になるのに
Aという過程を経る事もありえたし
Bという過程を経る事もありえた
Cとは現在の事でABは過去といったところで
現在の形をとる社会にはAという過去が無視できなくても
Bという可能性もあったのは違いなく
運命といったものではなく
たまたまそうなったのだと
そういう感じを偶有性と受け取ってもらえればと思います
さて疑問を持って知識を増やすのは
誰もがしてるとは言いにくいかと思います
この疑問は必ず本に載っているわけでもなく
見えるわけでもなく
聞けるわけでも無いからです
誰もがそんな時間を持っているわけではなく
経験も知識を導くのに必要でしょう
以前シンボルについて書きましたが
疑問についてこれが関わる事があります
頭の中で地震を起こしたりするとき
知識に基づいた絵を動かす
つまりシミュレートするのです
そして重力の影響で地球のプレートが動き
プレートの摩擦と滑りの関係で
地震が起き津波が起き
構造などに影響が起き人的被害が出るのです
地震の大きさなどを想定しても
条件によっては震度9も起こらないとは言えないはずです
日本の学者はあの地震のあの災害を目の当たりにして
まだ原発を建てようなどと
日本を誰も住めなくしても
責任は自分たちには無いと言わんばかりです
原発の研究よりも日本のためになるエネルギーの研究を
しても良いのでは無いかと思うのですが
アメリカはアメリカの常識上にしか
ものごとを考えられません
日本の災害の歴史を知らないで
政策に口を出しているのです
ただのお金の計算のみで良いことを言ってるつもりなのです
もちろん日本で何か起きても
自分たちは困りません責任は取りません
学者も責任は取りません、もちろん官僚も
また福島原発のような事が起きるでしょう
科学が発展しているのにもかかわらず
社会は問題を解決できないのです
お金を追い続けて何百年も何千年も苦しむ問題を
抱えるのです
そして得られる経済的利益より
はるかに多くの損失を被るのです
経済的のみでなく祖先から受け継いだ土地なども・・・
自らが関わった事に責任を持たなければ
問題が起きたときに対処できません
マンションの杭打ちを改ざんした人が特定できれば
責任を明らかにする事ができれば
対処はできます
再発を防ぐ対策が可能なのです(ある程度の限界はありますが)
アインシュタインが問題を考えたとき
光の速さよりも早い速度で鏡を見たらどうなるか
と考えたとき論理的にしか考えなかったわけでなく
頭にその状態を思い浮かべて考えたと思います
列車で物を落とすのを列車の外から見たらどうかとか
想像を膨らませないと実際に見れない事は
答えを導くのは難しいはずです
社会もそうです
社会の現象が起こるまでの経緯と
起きてる現象を明らかにし
現象の全体を思い浮かべて
何が基底(条件の要素)で
何が構造(条件などが構成する関係、機能を支えてる関係)で
何が機能(発現してるか)となっているかがわかることで
解決するアイデアが生まれるのです
欲を言えば良心といった高次元から見た問題であれば
そこから導くアイデアも自己満足で終わらないと思います
誰かが困っている問題を理解し
良心をもって解決すれば(弁証法的でも良いですが)
困ってる誰かの助けにもなるし
自分がその状況に陥ったときは
自分の助けにもなるし
自分の子孫にも恩恵を受けるかもしれない
きっかけは自分が困ってたことでも別に構わないと思いますが
(同じような状況に困っている人はいるかもしれないから)
自分が困ってなくても誰かの問題を解決する事は
自分の環境でもある社会を良くし
環境の影響を受ける自分にも
悪い事が起きにくいということでもあるはずです
現実にある問題は人間社会の都合良くできておらず
ときに答えどころか問題自体も
受け入れられないこともありますが
「何が」だけでなく
「どうやって」というのも問題の設定の仕方としてあります
前者が「What」昔から使われてきました
後者が「How」方法を探すときに使われてきました
組み合わせて解決するのがベストかと
特に答えの無い問題に取り組むのには
どちらかのみでは難しいかと
哲学と工学って手を組めないんですかね?
科学哲学で科学の発展を分析し
方法にまで一般化し
科学の発展を意図的に進めるとか・・・
できれば社会の発展に応用するとか
悪い話では無いと思うんですけど
殺されちゃうのかな?社会的にも(笑)まだダメか。