紅狩人のブログ -74ページ目

concept

今回は概念について概念化について書きます
専門家ほどでは無いと思うので
あまり真剣にならずに読んでください
こんなことも思う人もいるんだなぁ位で十分です

概念を取り扱う学問の王道は数学です
数学が苦手な人は論理学ならわかる人もいるかもしれません
数学を応用したのが論理学ですから

さて数学では概念を主に数として扱いますね
歩く距離を3メートルとか
キリストが歩いていようと殺人者が歩いていようと
お構いなくここでは3という数字を扱います
そして時間を3秒とします
3秒歩くとします昭和だろうが縄文時代だろうが
戦場の中だろうが女風呂の中だろうが
3秒で3メートル歩くのです
そして速度を出すのです時速、あるいは秒速などで

幾何学なら図として
黒かろうが赤かろうが三角形として扱いますし
集合なら刑務所内だろうがNPOだろが
集合A、もしくはBなどとして扱います
こういった普遍性から応用が見つかり
まさに科学らしい発見ができるのです
ギリシア時代は哲学が
幾何学から得られる知見(仕事)を応用して
その恩恵であれほどの知見を得られたのです
もちろんエジプトからの流れを汲んでです
(たしかタレスはエジプトでの庇護の時代に幾何学の恩恵を受けてたとか)
そしてイスラム社会で数学が発展して
その恩恵を受けた西洋がルネサンスを経て科学が発展したと
私は思ってます(あってるかな?知識の寄せ集めなもんで
そういう本を読んだわけでは無いです)
そして数学が発展した今は
プログラムなど機能を論理的に扱って
複雑な機能を実現してます
これは論理学を応用したともとれ
アルゴリズムの恩恵も受けたとも言えるでしょう
(アルゴリズムは単純に説明すると始まりから終わりまでの手順です)
プログラミングの方法の中に
既存のプログラムの普遍性を導いたプログラムをするという作業があります
複数の既存の機能の普遍性を実現するのです概念化するのです
この作業はあらゆる知的作業に有用です
既存の学問を横断的に観察研究し
その普遍性を導きあるいは普遍的な立場から概念化し
新たな知見を得たり応用したりするのです

普遍的な立場からの概念化とは
まさに数学的な抽象化を伴う作業です
例えば街の中を「歩いてるサラリーマン」を
歩いてるサラリーマンではなく
「営業しているサラリーマン」として扱うと
「お客に怒られるに行くサラリーマン」でも
「得意先からの帰りのサラリーマン」でも
同じく扱うことができ
統計などで街中のスーツを着ている人の活動レポートをするときなど
他のレポートに応用できるようになります
営業しているサラリーマンが多ければ
モナカやどら焼きがその通りにあれば売れるかもしれません
謝るだけでなく親しみを込めても
お土産を買うサラリーマンがいるかもしれないからです
普遍性は法則だけでなく概念でも現わせるのです
いい例がことわざや格言などがあり
人生をあらわすのでは辞世の句などがあります
(悔いが残った人もいることでしょうそれが現れてるはずです)

そしてシステムの一般性も数式化もしくは論理化(論理式化)
すれば現象も応用できるのです
社会現象もうまくいけば操作できるのです
(法律でも経済の好不況はコントロールできませんが
システムの知見を利用すればうまくいく場合もあるのです)
もちろん悪用もできます
敵の社会を悪くすることだって可能なはず
(滅んだ文明の分析知見を応用して敵の社会を貶めることなど
アメリカが日本にしてきたことですね、戦後教育受けたものばかりが
現役の今日本を立て直すことなどもできてません失われた25年です
憲法がそう作用していつまでも失われた年を重ねるようになっています
日本の正当性を否定するマスコミなども国際常識を盾にそう作用してます)
しかもこの世に無い知見ではなく
この世にある知見なのです
もうすでにこれ以上エゴを肥大化させて
良心無き時代を過ごすなら
人工知能が発展するまでもなく崩壊でしょう
社会を支えきれないのです
高度な社会を保つのはエゴではなく
道徳です
道徳とはエゴではなく
エゴを抑制した社会という高次な視点を内化し
自らの行為に組み込むことです
そこに普遍性もまたあるのです
道徳が進化しているとか
進歩しているなどというものではなく
昔から今にも通じる道徳があるのです
道徳的に生きることは簡単ではありません
もしかしたら悪者に利することもあり
本当に道徳さえあればこの世がうまくいくとも限りません
(政治とは難しいものですね)
しかし道徳がなければこの世はケダモノだらけの世になり
うまくいくことも無いのです

国際的には弱肉強食です
ルールを決めているのが軍事的に強いものだけだからです
今の中国は、昔の日本のように
戦艦の数の制限を強いて西洋に必ず負けるような国際ルールはありません
西洋が自らを基準にしたように
中国も自らの基準を敷こうとしてます
西洋にようにエゴを満たそうとしてますが
その行為に不和の芽、戦争の芽が見えてきます
西洋の都合の良い今の国際政治体制は
この先にあるのは混乱、エゴとエゴの衝突と
エゴに対する怒りとの衝突です
エゴとエゴはアメリカと中国
エゴに対する怒りの衝突は
西洋に対しての不満
中国に対しての不満として現れてます
(人類の歴史上から考えると無い訳が無いです)
法律は必ずしも公平ではありません
西洋は昔から不平等を侵略地で押し付けてきました
自分たちだけが優位であるように
西洋はテロと戦っても社会を悪くするだけです
西洋はエゴと戦うべきというより
どれだけ良心を示すことができるかでこれから先が変わるはずです
昔からある白人優位思想がある限り
社会は変わりません
中国を都合よく変えようとしたって無意味です
欧米だけが満足してもそのツケを
欧米以外が払ってるようでは中国も変わりません
(自分たちのことは棚に上げて中国のエゴに不満をいっても説得力が無い)

もうそんな時代じゃ無いんだよ
もうそんな時代じゃ無いんだよ
わからなくてもじきにわかるさ
嫌という程ね

maverick

逸脱者の中の不正と有能者の分別について書きます

以前、ただの逸脱者と不正者の区別が
人類は未だついていないと書きましたが
それについて詳しく書きます

人類が食べるのに精一杯だった頃
食料は貴重でした
狩りをするのでも
狩ったものは皆で分け
その連帯感を持った者達が協力してまた狩りをしました
そのときにちょっとでも自分に手柄を得るように
ズルをした者達はグループ皆から非難を受け
狩った物を皆に奪われたそうです(それでチャラだとか)
少ない食料を少しでも多く得ようと頭を使うのは
今も昔もいろんな形で現れます
しかし昔は食べていくのに精一杯で
ズルは命に関わる事かもしれません
なぜなら次に食料を得られる保証はどこにも無いし
稲作が始まる前ならなおさらで環境も厳しかった事でしょう
だからグループはルール(掟)を作り
それを守る事でグループを維持し
大人数が協力してしか得られないような大きな獲物も手に入れ
小さなグループより生存率をあげていたそうです
狩りのうまい人だろうと下手な人にも獲物を分け
何かしら協力関係があったと思います(老人に安楽死はあったとしても)
みんな当時は食欲などの生理的欲求を満たす事ばかり考えてましたが
まさに生きるために社会のルールを内化した良心によって
エゴより高次な視点が人類を生き残らせた知恵です
(エゴがなくなったわけではありません)
グループを残そうとする事によって自分の遺伝子も残りやすくなるのです

みんながエゴを抱えているのに
頭を使ってエゴを満たそうとする者へはネガティブに対応し
気持ちを使ってエゴを控え(コストになります)他のエゴを満たそうとする者に
ポジティブ対応してきましたってことです
(ほとんどの宗教はこの働きを促してますね)

学問が数学の発達とともに実用的になって
科学という視点から応用可能な知見を手に入れた人類は
社会と摩擦を起こすようになりました
科学は神話からの逸脱、神(精霊など)の仕業から
法則性や証拠や論拠を示すようになったので
それまでの社会常識と違う意見が出てきたからです
科学の進歩と社会常識のコンフリクトは切っても切れません
進歩というより革命の方が近いですね
既存の科学の常識と違う見解が研究からもたらされれば
大発見として功績が認められ新たな常識になるかもしれません
ただし既存の社会の常識範囲なら。
地球上どの国でも社会常識から逸脱すれば制裁を受けます
現存する政権を問題視して声に出しても
ペンに訴えても、力に訴えても許されません
(民主主義では民意もそれに当たります)
政権が誰もの声を聞くわけでも無いし
主張を読むわけでも無いですし
武器を使うなど当然受け入れません
政治により自らの欲望を満たす人々の中には
エゴを満たそうとしている人もいます
国内や国外問わずそういう政治がまかり通ってます
だいたいそういう政治活動を支えているのは軍事力です
というのもエゴを押しつける対象に
言論の自由も認めてませんし(もしくは無視)
ペンで訴えても無視しますし
精神病棟にもいれます
(親のエゴを押し付けられたりやりたい事が社会でできない子供は
引きこもったりするかも?鬱にもなるかも?)
アメリカ独立戦争は今でいうイギリスへのテロ戦争です(反イギリス政府戦争)
今ではアメリカが他国に対して従属させようと
軍事力、経済力を行使し反米を抑圧します(かつてのイギリスのように)
欲望は欲望でも世のため人のためになりたいという欲望は
はたしてテロを生むでしょうか
そういう政治(作用)に対して武力を持って訴えようとするでしょうか

アメリカの批判はしましたけど中国も
海洋でそんな問題を起こしてますね
西洋の常識に習っていますけど
ヨーロッパの反感は買ってないようですね
いま現代社会が抱えてる問題は
誰かのエゴに従えば解決できる問題ではなく
そのエゴから生まれた問題とも取れます
より他国より優位になろうと
モラルより利を優先し
解決ではなく勝つ事を目標に
政治は動いています
韓国、北朝鮮では利害以外で政治は動きませんし
韓国の民意も目的は自己の利のみですしモラルは相手にばかり求めてます
社会は後退しているのではないでしょうか
弱肉強食の世界大戦よりはマシになったと思うかもしれませんが
そこに至るまでにだいぶ後退したのかもしれません
テクノロジーではなく社会がです
今の社会の延長線上に人類の繁栄があるのでしょうか
エゴの肥大化に人間らしい生活が待っているのでしょうか
一部の人にではなく可能な限りの人にです
私はモラル抜きに現代社会の問題の解決は無理だと思います
テロだけでなく貧富の格差、環境問題、国の借金問題
意見を押し付けるのではなく
意見の調整(問題を共有するが結論を急がないことで互いの納得を導く)
儲けを集中させるのではなく
儲けさせるビジネス
最大利得ではなく
モラルに沿った上での利得(最大ではなく最適)
予算の無理矢理な使いきりをやめる
複数案の効果を図る(唯一無二の案を探すより最上の案と改良)

逸脱者はどの社会も国際社会も制裁しようと思うのですが
学問が社会に必要な素養であるならば
社会常識として犯罪者のみ制裁すべきで
間違いと言われようが異常だと言われようが反社会的だと言われようが
悪いと言われようが論拠などがあれば一理あるのです

アルカイダを攻撃した後ISILを攻撃し
また分裂したらその組織も攻撃するのでしょうか
イデオロギーに賛同する人たちが後を絶たないのに
これまで通りでいいのでしょうか
問題の根本は一体なんでしょう?
テロがなければエゴが人類を支配していいのでしょうか
チンパンジーや猿の社会ならそれでいいかもしれませんが
人類にはそうしてこなかった歴史があるのではありませんか
テロがあってもなっくてもモラルは人間らしい生活に
必須だと思います。モラルの無い社会はやはり問題だらけです

ちなみに奴隷産業や欧米の植民地支配は
人間活動の方向性をコントロールしただけで
社会が発展したわけでなく
(テクノロジーは発展しましたが)
むしろ既存にあった社会を破壊した上に構築された(戻れない)社会でした
(ルネサンス以前の西洋社会を忘れた白人が思い上がって作った社会ですが
その延長線上に今の国際社会があります)
未だ大きな社会問題はほとんど解決されてません
(貧困や病気は割と良くなってきてるそうです)
エゴに従い続ける限り鬱になる人もいるし
怒る人もいるのです人間ですから
常任理事国はこの星を猿に譲る約束でもしたのでしょうか
皆が暴力に従い愚かな生き物で
問題を良くしようとする知恵を持ってはいけない生き物にしようと頑張ってます
その努力に本当に頭が下がります
正しい歴史とやらがそれを支えているみたいです
基底→正しい歴史(第二次世界大戦の戦勝国)
構造→常任理事国
機能→常任理事国のエゴに従う
猿の社会の方は?
基底→強いものに従う
構造→序列がある
機能→ボスのエゴに従う
あれ?人間社会が下の方だっけ?どっちがどっちかなぁ?
よくわかんないや

つまりいつまでも逸脱者と犯罪者の分別はつかないのは
国際的な歴史的経緯とそういう常識があるからです
そう機能しているのです
(中国がチベットやアジアにしていることは欧米がこれまでしてきたことです。
批判は自分たちの歴史を棚に上げてるだけです、日本を批判したようにあいかわらずに)

always

今回はアウトプットが他のインプットになっている
という話をします
何のことは無いこれまでの話と似てて
基底、構造、機能の話でもあります

このブログを読んでいる人の中で
仕事や趣味の調子というものが
よくなっていたと思ったら
急にスランプになってしまったという経験を
持った人はいるのでは無いでしょうか
昔からそんなことのために
「初心忘るるべからず」みたいな言葉があると思います
ズバリそれを現象として話します

ある基底とした機能は
他の機能の基底となるということを
以前書いた覚えがありますが
これは他でもなく自分にも当てはまります
つまり悔しい思いがあってそれを言葉や想い出
トラウマなどにして趣味のスポーツや仕事を努力して
同じ思い、悔しい思いをしないように積み重ねたものがあるとします
練習や、ミスに毎日気を使うなどですね
努力を積み重ねた上に周囲にその努力が認められ
急に持ち上げられたりして調子が良くなったと感じたり
実を結ぶ時間が来るとします努力が実ったのです
しかし人間は報われたと思ったら
その報われた自分が当たり前だと思い
その自分を前提に物事を進めようとします
つまり基底が変わってしまうのです
(これは人にもよりますね例えとして読んでください)
基底が
悔しい思い出、から

皆に認められた自分、にです

そうなると努力も変わってきます
(構造の部分ですかね)
ミスをしないように、から

皆に認められるように、などにです

そうして仕事の姿勢が変わり
今までしてきたことをしなくなり
いつの間にか皆に見向きもされなくなる・・・
オーバーですがこれまでできてたことが
できなくなるのは多かれ少なかれ
基底が変わったと言えなくもありません

論理の世界に「誤謬」(ごびゅう)という概念があります
これは前提が間違っているために
前提を基にした論理も間違ってしまってるということですが
基底(前提)、構造(論理)、機能(間違い)として説明できます

社会の影響度は幅があると思いますが
多かれ少なかれこんなことがあちこちで起きていて
それぞれ影響し合っているのです
誤謬もまた他のインプットになっているのです

うまくいくまでの努力をうまくいってからも続けたかったら
それこそ初心に還るべきです
答えは他の誰かがも出してます
このブログを読むまでも無いです

政治でも都合の良い要素を組み合わせた論理が
歴史教科書にもなっていたり
相手が不当だの自分が正当だの言っていますが
歴史学者はきっと科学者では無いので
自分の都合の良いようにしか解釈はできないでいて
その論理を事実のように信じますが
論拠に対して論拠を示せなければ
それは歴史SFであり学者でいるべきではありません
記憶を事実のように扱うことや
願望を叶えるための論理などにいつまで時間を費やすのでしょう
記憶は正確でも無いし
歴史とは絶対でもありません
歴史の扱い方でさえ歴史になるのです
願望から出た嘘の歴史を語った論理を信じて歴史が積み重なることもあり
その取り返しは効きません
それが史実となって残るだけであり
人の愚かさを証明する材料にもなるでしょう
(政治力で間違いはなかったことにできますがまた過ちを繰り返すだけでしょう)
と言ってる私は歴史に精通していないので
何が正しくて何が間違っているかは申しませんが
宗教の信仰が薄いコミュニティで
願望から出た論理や都合の良い歴史事実が信じられているようで
世界が自分の都合とは関係無いとは思えないようで
環境問題にしろこれらのコミュニティはなんら功を奏していないで
これらの国々自体の知恵は役に立たないと思ってます
といってもこれらの国が他の異なる知的体系の知恵を借りれば
役に立つこともありえますが・・・
(ちょうど錬金術師の時代と科学者の時代の差みたいですね)

別に誤謬をなくそうとしているのではなく
人の論理についてまわるものだとも思ってます
ただ政治が絡むと嘘でも扱わなければならないという
馬鹿げたことが起こるのは無くしてほしいものです
歴史に絶対などを持ち込んでる時点で
宗教との違いがわからなくなっているのだとも思います
ましてや歴史学に黄金律など無いくせに・・・
世界共通のルールがあってもいいと思うのですが
政治的に無理かもね。
(原爆が正義で無くて、欧米が始めた侵略戦争の罪を日本に
押し付けた上に市民を大量虐殺しただけなんて
アメリカのせいで始まった戦争もアメリカ兵の命を守るために
虫けらのように殺された日本人は
歴史上存在してはアメリカの都合が悪いのでしょうか
そもそも欧米が植民地支配をアジアに広げなければ
日本は中国に資源を求めなくても良くて
原爆にも苦しまずに済んだのに今や日本は
中国や朝鮮から恨まれてばかりで
欧米に植民地支配されてた方がよかったと言われてますね)