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別にブログ書いても得しないし
役に立っているかどうかも疑問です
が、今の所システムに関する技術や知見を利用するのが
当たり前の世の中になっていない以上
私の進む道、方向性に対する障壁が
この世界にあるというわけで
ブーブー言うことに共感する人はいるかなぁ
と思って今回も書きます
熊本地震に対してシステムの支援が見受けられず
成熟社会だの言ってる割に
災害に対して(東北地震を踏まえた上で)何か
進歩した対策があったのかなぁと
例えこの時代に震災にあっても
昔は大変だったが
今の時代はマシになったということを聞きません
避難所は食べ物があればマシ
衛生はそんなに万全じゃなく
不満を抱え我慢している様に見受けられます
せめて食事の楽しみや(おいしいものを選べたり、リクエストできたり)
簡易娯楽施設や(子供だけでなく大人にも必要、最新の映画無料とか)
防犯の意味で仮の貴重品預かり倉庫や(人員(被災者)を公的に雇い
(特例で日雇いなど)使えるものを取り出し可能な家から安全に保管する)
大震災にあっても不安が少なく楽しんでもいいかと思うのですが
レジリエンスという言葉を利用すれば
ピンチをチャンスにでしょうか
起きなきゃよかったのが人情かと思いますが
別に誰かが悪いわけではありません
犯罪をしてもしなくても地球のプレートは動きます
と、何はともあれ健康が何よりもいいとは思います
さて、縦軸と横軸で世界を認識するとき
歴史と空間(場所、地球で言えば地域)に気づきます
過去の空間、それぞれの地域でどんな状態だったか
起きたことだけ知っていても
関係性や影響などを考慮すると
原因などは辿れず何かの意図に合わせて現象が切り取られるのが
人間には精一杯でしょう
もちろん良いことをすれば悪いことは起きにくいはず
でも良い現象が悪い現象にもつながることはあります
しかし人間にそれはコントロール不可能で
例え悪い現象になってもその先の経過で良い現象にもなるのです
あくまで私たちは歴史の経過の途中として生きているので
個人として言えば死ぬまで試されるのです
(生きてる上で人生で言えばやり直しはききますが
やったことをなかったことにはできません。やり続けてれば尚更で)
人は固有の空間に存在し関わりを持ってます
何の関わりを持たない人間はそもそも生まれてません
(ザックリというと母子の関係や植物や動物と無関係では生きていけません)
双子でも同じ反応をしても同じ人生とは限りません
(死にズレはあるでしょう)
心理学者は反応を見て知見を得ますが
(実験などで条件を整えて)
経験や研究者との関係(好き嫌いや知り合いでも実験結果は左右されるはず)
お金目的や本来協力的な人など
実験は研究者の目的に沿う様に結果が収集されます
欲しい答えではなく目的に沿わない情報に使い道はありません
それが実験です
ストレスが捉え方によってプラスになるという考えは
実験だからそうなるわけで
家族を犯罪者に殺された人や
いじめにあってる最中の人や
震災の後希望をなくし自殺する人たちに通用するのでしょうか
ストレスは信号ではありません
人間が与えるには意図があり
受け取る人に意味があるのです
ストレスを与える人は
例えばゲームの様に自分に都合に適う様に相手を痛めつけます
痛みを与えることによりコントロールしようとするのです(喧嘩の話ではなく)
そのストレスを受け取った側は痛みから逃れるため
相手のご機嫌をとるか逃げるか戦います
親子の場合、子が親に歯向かえば子が悪者になります
(子に言い分はあっても社会に通用しませんし、論理的に相手を
説得できるほどうまく不満は言えずわがままにしか聞こえません)
何のことはない大人でも社会的地位によって不満を言えば悪者になります
ポジティブ思考でなくても
歳をとって積み上げたものを失くしても
取り戻す方法があれば
いじめにあう環境を嫌なら変えても良く、受け止める環境があれば
権力者にとって都合の良い制度が
市民にとって都合が悪いとき
市民の意見で変えてもよければ
そのときの知恵はシステムに関する技術や知見だと思いますが
誰もが勉強すればどの世界でもそれが可能なら
(コンピュータOSのように改良を重ねたり
古いOSで満足なら使い慣れたまま使い続けたりするように
地域でそれぞれ生活文化が違えば国全体で不満が少なくなるかも)
ストレスを受ける側が自分でストレスをコントロールできれば
もしかしたら心理学者の言うことは宗教家の言う言葉より
人をひきつけるかもしれません。それも世界的に。
歴史の例を出さずとも
ある空間でのアウトプットが
別の空間のインプットになることがあります
同じ情報でも条件が違えば
時間をかけて変化が違ってきます
空間が繋がっていれば
何かを媒介して当時の情報が残っていれば
(歌や物、文献、言い伝えなどを介して)
同じ場所でも時間が違えば
インプットがその場その時の関係で変わってきます
何かの問題を考える時
答えは同じというものがあります
いつの時代も答えは同じというものがあります
数学などがそうです
文学は時代により評価が違いますし
歴史は勝者が決めます
科学は観察方法が違えば同じ対象を見ても
主張内容は違います(条件により再現性はありますが)
人はある対象に関わる状況(空間)をイメージし
ある問いやコンセプトに適う様にアイデア(帰結)を出すことができます
イメージしただけでなく
アイデアを抽出すれば
そのアイデアは別の対象そのものや状況や状況をメタ化したイメージに
応用が可能でまるでフィードバックループしている様に
アウトプットがインプットになり文章などを書く際に論理的に組み立てられ
例えアウトプットがイメージでも
言葉を媒介することで誰かのインプットになるのです
ここでいうイメージとは
対象自体のイメージと対象の環境というか状況のイメージです
しかもその作業はいつも同じ帰結でなく
精神状況で左右されるのです
知見や経験にも左右されるとも思います
人と違う捉え方をしている人に
何の教育もせずに知的能力を発揮するとは思いません
また教育を受けた人に貴重な経験をさせないのも
才能を伸ばすとも言い難いです
もしニュートンが本当にリンゴが落ちた時に
重力という概念の発想を導いたとしたら
大学生活が意外な休校に見舞われたことが
精神の非日常を与え普段雨が落ちても何とも思わないのに
リンゴが落ちたことに違和感を覚えたのだと思います
それが心に引っかかっていたかと・・・
ダーウィンがずーとヨーロッパに暮らして
船で違う環境に行かなければ
動物たちの個性に気づかなかったでしょう
当然それぞれの地域で驚きに会い
その印象が進化の着想になったのかもしれません
一人で旅していたのではなく
他にも船に乗って旅をしたとしても
金目のものを探してたり現地の女など
心が違うものに奪われて染まっていては
動物たちの形状の違いを気にも留めなかったでしょう
エジソンが学校を追い出されても
家で勉強しなければ発明家になっていなかったかもしれません
違いは社会で世界中で疎まれます
人間には不正と区別がつかないのです
それはルールから逸脱することでメスに有能かの様にアピールでき
ルールを守っている人より金や女や地位を得られるからです
女性には社会的不利な男性より有利な男性(金や地位)を
パートナーに選ぼうとする傾向があります
結婚の条件ならなおさらです。子の適応力に影響します
かといって何でも違いがいいというわけでなく
いじめられているからいじめられっこに武器をもたせて
立場を逆転させる様な話でなく
社会の中で生きる人間にとっては
社会がいいのが人間にもいいのであり
社会を良くできる力をつけることが
生きる力のひとつかもしれません
社会に良いことが必ず許されるとは限りません
なぜなら市民が問題に思っても
権力者の考えの都合に合わせた制度は
権力者にとって問題ではないのです
頑張って権力者にも都合が良く自分の問題も解決するアイデアを出すか
戦うか、逃げるしかないでしょう
いじめと同じ構図の様に見えますが
知を利用すれば世界は違う姿を見せます
死んだ後認められることもあるのです
金や女や地位を取り合うゲームから抜けた後
死ぬまで貫き通したことがやっと評価する人が出る時もあるのです
なぜなら人を自分の欲望のために利用する人が多いのです
かわいそうな自分を演じて優しい人から援助を受けて
社会で恵みを享受しようとし被害者を語っては自分の欲望を満たし
いつまでも援助を求めます
欲しがるばかりだったり誰かを貶めるための行為に明け暮れて
そういう人たちは社会に貢献する気もなく
学問や科学にすら貢献しようとしません
そしてなぜか貢献した人たちの社会的評価を欲望します
どこにもいます
きっと自分に都合が悪い意見や研究結果を生かせないでしょう
人の役に立てばと思えば自分の都合だけで判断しなくなります
限度はあるかと思いますが。
昔から異端児たちは殺されてきましたが
殺す方も取引して
発言の過ちを認めれば刑を軽くするなどありましたが
信念みたいなものからくるものを
変えることは誰にもできませんでした
ある人はその信念に相手が合わせる様に暴力を行使したり
食べ物を与えたりしました
それは社会がこうあるべきだと
人はこうあるべきだという思いに至ったからです
例えこの世界を自由や平等の理想の世界にしようとも
そのために武力で従わせ力無き者は
自分が正しいと思うことができず
実際の世界は弱肉強食な野蛮な世界になったところで
信念からくる行為者当人が悪いとは思わないでしょう
一方自らに信念をあてはめ
他人にはその信念を押し付けない人もいます
公と私の分別がつく人は
社会を自分に合わせるではなく
自分が社会、時代に合わせられる人です
それは権力に迎合するのではなく
意見するべきところは意見するのです
人は権力を持つと自分が正しいかの様に勘違いします
失敗や悪いことは人のせいにし
人の手柄や援助に対して自分のものとするのです
別にこれはきっかけで本当に自分に手柄を手に入れる能力が備われば
大した問題は起きていませんが
どうなるかはわかりません
大学生もスマホを見るのは悪いとは思はないけど
何に使うんだが・・・
研究のためには使わないんでしょうか?
社会の問題を解決するためには使えないんでしょうか?
大学までわざわざ通って話を聞いてるだけでいいんでしょうか
(聞くだけならネット授業で良くない?)
自分のやりたいことに関する教授の頭脳を利用しちゃいけないのかな?
金払ってるのに大学の資源(人材やシステム)を利用できないんじゃ(犯罪以外で)
大学行かなくても勉強はできるし
最悪、図書館だけでもいいし
今はインターネット上に発表もでき世界中に伝えることができる
頭脳が集まってるのに何も生まれない
事業でもボランティアでも研究でも
アイデアは生まれないのかい?
大学は社会問題を扱うのは社会の名がつく学科生だけですか?
大学のある地域に起きる可能性の災害に対して
どれだけ他の地域の災害の教訓を生かせるのでしょうか
津波の心配のない地域はあるかもしれないけど
土砂崩れや洪水が大地震とともに起きる可能性にまで考慮し
住民の命を守る準備はあるのでしょうか
想定外って言えば済ませるのでしょうか
どんな想定外があるのでしょうか
非現実的な想定外を覗いてあらゆる事態を想定するのは
原発のある地域は逃げられないと思います
地震だって威力のある揺れが一回だけとは限らないと知りましたし
役に立っているかどうかも疑問です
が、今の所システムに関する技術や知見を利用するのが
当たり前の世の中になっていない以上
私の進む道、方向性に対する障壁が
この世界にあるというわけで
ブーブー言うことに共感する人はいるかなぁ
と思って今回も書きます
熊本地震に対してシステムの支援が見受けられず
成熟社会だの言ってる割に
災害に対して(東北地震を踏まえた上で)何か
進歩した対策があったのかなぁと
例えこの時代に震災にあっても
昔は大変だったが
今の時代はマシになったということを聞きません
避難所は食べ物があればマシ
衛生はそんなに万全じゃなく
不満を抱え我慢している様に見受けられます
せめて食事の楽しみや(おいしいものを選べたり、リクエストできたり)
簡易娯楽施設や(子供だけでなく大人にも必要、最新の映画無料とか)
防犯の意味で仮の貴重品預かり倉庫や(人員(被災者)を公的に雇い
(特例で日雇いなど)使えるものを取り出し可能な家から安全に保管する)
大震災にあっても不安が少なく楽しんでもいいかと思うのですが
レジリエンスという言葉を利用すれば
ピンチをチャンスにでしょうか
起きなきゃよかったのが人情かと思いますが
別に誰かが悪いわけではありません
犯罪をしてもしなくても地球のプレートは動きます
と、何はともあれ健康が何よりもいいとは思います
さて、縦軸と横軸で世界を認識するとき
歴史と空間(場所、地球で言えば地域)に気づきます
過去の空間、それぞれの地域でどんな状態だったか
起きたことだけ知っていても
関係性や影響などを考慮すると
原因などは辿れず何かの意図に合わせて現象が切り取られるのが
人間には精一杯でしょう
もちろん良いことをすれば悪いことは起きにくいはず
でも良い現象が悪い現象にもつながることはあります
しかし人間にそれはコントロール不可能で
例え悪い現象になってもその先の経過で良い現象にもなるのです
あくまで私たちは歴史の経過の途中として生きているので
個人として言えば死ぬまで試されるのです
(生きてる上で人生で言えばやり直しはききますが
やったことをなかったことにはできません。やり続けてれば尚更で)
人は固有の空間に存在し関わりを持ってます
何の関わりを持たない人間はそもそも生まれてません
(ザックリというと母子の関係や植物や動物と無関係では生きていけません)
双子でも同じ反応をしても同じ人生とは限りません
(死にズレはあるでしょう)
心理学者は反応を見て知見を得ますが
(実験などで条件を整えて)
経験や研究者との関係(好き嫌いや知り合いでも実験結果は左右されるはず)
お金目的や本来協力的な人など
実験は研究者の目的に沿う様に結果が収集されます
欲しい答えではなく目的に沿わない情報に使い道はありません
それが実験です
ストレスが捉え方によってプラスになるという考えは
実験だからそうなるわけで
家族を犯罪者に殺された人や
いじめにあってる最中の人や
震災の後希望をなくし自殺する人たちに通用するのでしょうか
ストレスは信号ではありません
人間が与えるには意図があり
受け取る人に意味があるのです
ストレスを与える人は
例えばゲームの様に自分に都合に適う様に相手を痛めつけます
痛みを与えることによりコントロールしようとするのです(喧嘩の話ではなく)
そのストレスを受け取った側は痛みから逃れるため
相手のご機嫌をとるか逃げるか戦います
親子の場合、子が親に歯向かえば子が悪者になります
(子に言い分はあっても社会に通用しませんし、論理的に相手を
説得できるほどうまく不満は言えずわがままにしか聞こえません)
何のことはない大人でも社会的地位によって不満を言えば悪者になります
ポジティブ思考でなくても
歳をとって積み上げたものを失くしても
取り戻す方法があれば
いじめにあう環境を嫌なら変えても良く、受け止める環境があれば
権力者にとって都合の良い制度が
市民にとって都合が悪いとき
市民の意見で変えてもよければ
そのときの知恵はシステムに関する技術や知見だと思いますが
誰もが勉強すればどの世界でもそれが可能なら
(コンピュータOSのように改良を重ねたり
古いOSで満足なら使い慣れたまま使い続けたりするように
地域でそれぞれ生活文化が違えば国全体で不満が少なくなるかも)
ストレスを受ける側が自分でストレスをコントロールできれば
もしかしたら心理学者の言うことは宗教家の言う言葉より
人をひきつけるかもしれません。それも世界的に。
歴史の例を出さずとも
ある空間でのアウトプットが
別の空間のインプットになることがあります
同じ情報でも条件が違えば
時間をかけて変化が違ってきます
空間が繋がっていれば
何かを媒介して当時の情報が残っていれば
(歌や物、文献、言い伝えなどを介して)
同じ場所でも時間が違えば
インプットがその場その時の関係で変わってきます
何かの問題を考える時
答えは同じというものがあります
いつの時代も答えは同じというものがあります
数学などがそうです
文学は時代により評価が違いますし
歴史は勝者が決めます
科学は観察方法が違えば同じ対象を見ても
主張内容は違います(条件により再現性はありますが)
人はある対象に関わる状況(空間)をイメージし
ある問いやコンセプトに適う様にアイデア(帰結)を出すことができます
イメージしただけでなく
アイデアを抽出すれば
そのアイデアは別の対象そのものや状況や状況をメタ化したイメージに
応用が可能でまるでフィードバックループしている様に
アウトプットがインプットになり文章などを書く際に論理的に組み立てられ
例えアウトプットがイメージでも
言葉を媒介することで誰かのインプットになるのです
ここでいうイメージとは
対象自体のイメージと対象の環境というか状況のイメージです
しかもその作業はいつも同じ帰結でなく
精神状況で左右されるのです
知見や経験にも左右されるとも思います
人と違う捉え方をしている人に
何の教育もせずに知的能力を発揮するとは思いません
また教育を受けた人に貴重な経験をさせないのも
才能を伸ばすとも言い難いです
もしニュートンが本当にリンゴが落ちた時に
重力という概念の発想を導いたとしたら
大学生活が意外な休校に見舞われたことが
精神の非日常を与え普段雨が落ちても何とも思わないのに
リンゴが落ちたことに違和感を覚えたのだと思います
それが心に引っかかっていたかと・・・
ダーウィンがずーとヨーロッパに暮らして
船で違う環境に行かなければ
動物たちの個性に気づかなかったでしょう
当然それぞれの地域で驚きに会い
その印象が進化の着想になったのかもしれません
一人で旅していたのではなく
他にも船に乗って旅をしたとしても
金目のものを探してたり現地の女など
心が違うものに奪われて染まっていては
動物たちの形状の違いを気にも留めなかったでしょう
エジソンが学校を追い出されても
家で勉強しなければ発明家になっていなかったかもしれません
違いは社会で世界中で疎まれます
人間には不正と区別がつかないのです
それはルールから逸脱することでメスに有能かの様にアピールでき
ルールを守っている人より金や女や地位を得られるからです
女性には社会的不利な男性より有利な男性(金や地位)を
パートナーに選ぼうとする傾向があります
結婚の条件ならなおさらです。子の適応力に影響します
かといって何でも違いがいいというわけでなく
いじめられているからいじめられっこに武器をもたせて
立場を逆転させる様な話でなく
社会の中で生きる人間にとっては
社会がいいのが人間にもいいのであり
社会を良くできる力をつけることが
生きる力のひとつかもしれません
社会に良いことが必ず許されるとは限りません
なぜなら市民が問題に思っても
権力者の考えの都合に合わせた制度は
権力者にとって問題ではないのです
頑張って権力者にも都合が良く自分の問題も解決するアイデアを出すか
戦うか、逃げるしかないでしょう
いじめと同じ構図の様に見えますが
知を利用すれば世界は違う姿を見せます
死んだ後認められることもあるのです
金や女や地位を取り合うゲームから抜けた後
死ぬまで貫き通したことがやっと評価する人が出る時もあるのです
なぜなら人を自分の欲望のために利用する人が多いのです
かわいそうな自分を演じて優しい人から援助を受けて
社会で恵みを享受しようとし被害者を語っては自分の欲望を満たし
いつまでも援助を求めます
欲しがるばかりだったり誰かを貶めるための行為に明け暮れて
そういう人たちは社会に貢献する気もなく
学問や科学にすら貢献しようとしません
そしてなぜか貢献した人たちの社会的評価を欲望します
どこにもいます
きっと自分に都合が悪い意見や研究結果を生かせないでしょう
人の役に立てばと思えば自分の都合だけで判断しなくなります
限度はあるかと思いますが。
昔から異端児たちは殺されてきましたが
殺す方も取引して
発言の過ちを認めれば刑を軽くするなどありましたが
信念みたいなものからくるものを
変えることは誰にもできませんでした
ある人はその信念に相手が合わせる様に暴力を行使したり
食べ物を与えたりしました
それは社会がこうあるべきだと
人はこうあるべきだという思いに至ったからです
例えこの世界を自由や平等の理想の世界にしようとも
そのために武力で従わせ力無き者は
自分が正しいと思うことができず
実際の世界は弱肉強食な野蛮な世界になったところで
信念からくる行為者当人が悪いとは思わないでしょう
一方自らに信念をあてはめ
他人にはその信念を押し付けない人もいます
公と私の分別がつく人は
社会を自分に合わせるではなく
自分が社会、時代に合わせられる人です
それは権力に迎合するのではなく
意見するべきところは意見するのです
人は権力を持つと自分が正しいかの様に勘違いします
失敗や悪いことは人のせいにし
人の手柄や援助に対して自分のものとするのです
別にこれはきっかけで本当に自分に手柄を手に入れる能力が備われば
大した問題は起きていませんが
どうなるかはわかりません
大学生もスマホを見るのは悪いとは思はないけど
何に使うんだが・・・
研究のためには使わないんでしょうか?
社会の問題を解決するためには使えないんでしょうか?
大学までわざわざ通って話を聞いてるだけでいいんでしょうか
(聞くだけならネット授業で良くない?)
自分のやりたいことに関する教授の頭脳を利用しちゃいけないのかな?
金払ってるのに大学の資源(人材やシステム)を利用できないんじゃ(犯罪以外で)
大学行かなくても勉強はできるし
最悪、図書館だけでもいいし
今はインターネット上に発表もでき世界中に伝えることができる
頭脳が集まってるのに何も生まれない
事業でもボランティアでも研究でも
アイデアは生まれないのかい?
大学は社会問題を扱うのは社会の名がつく学科生だけですか?
大学のある地域に起きる可能性の災害に対して
どれだけ他の地域の災害の教訓を生かせるのでしょうか
津波の心配のない地域はあるかもしれないけど
土砂崩れや洪水が大地震とともに起きる可能性にまで考慮し
住民の命を守る準備はあるのでしょうか
想定外って言えば済ませるのでしょうか
どんな想定外があるのでしょうか
非現実的な想定外を覗いてあらゆる事態を想定するのは
原発のある地域は逃げられないと思います
地震だって威力のある揺れが一回だけとは限らないと知りましたし