アダムとイヴ に始まり、カイン による弟アベルの殺害、ノアの箱舟バベルの塔 と来て、創世記はアブラハムとその子イサクの時代という核心部分に入る。なぜアブラハムが重要か。それは彼がユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大一神教によって、信仰の父、最初の預言者として尊ばれているからだ。アブラハムの時代、ユダヤ民族は初めて、現在のイスラエルの地に移住した。


アブラハムはウル(イラク南部)で生まれた。父テラに従い、神から約束された「乳と蜜の流れる地」カナンに向けて旅立つ。ユーフラテス川を遡り、ハラン(シリア東部)に着いたところでテラは死ぬ。アブラハムは妻サラや同族の民と共にさらに旅を続け、カナンに入る。そこに元々住んでいたのは、カナン人(商業民族フェニキア人)だった。カナン人を北に追い出し、約束の地に居を定めた。


アブラハムは高齢になるまで嫡子に恵まれなかった。サラの同意を得て、エジプト出身の奴隷ハガルを側室とし、男の子イシュマエルを生ませる。イシュマエル(イスラム教ではイスマーイール)は、アラブ民族の祖とされる。実子を諦めていたアブラハム=サラ夫妻だったが、神は高齢の夫婦に男の子を恵まれた。これがユダヤ民族の祖となるイサクである。イサクとは「笑い」を意味した。


ところが、喜びもつかの間、神はアブラハムの信仰心を試すため、思いもよらないことを命じるのである。神は言われた。「あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。私が命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす捧げ物としてささげなさい。」 当時、小羊を屠って丸焼きにしたものを、祭壇で神に捧げる習慣があった。ところが神は、わが子を捧げよというのだ。


創世記は、この時のアブラハムの苦悩について何も語らない。ようやく恵まれた嫡子である。族長である自分の跡取りとなる、唯一の息子なのだ。その子を事もあろうに、生け贄として捧げよとは。わが神は何を考えているのかと、アブラハムは絶望と共に、恨みも抱いたであろう。しかしアブラハムは迷わなかった。翌朝ろばに鞍を置き、息子イサクを連れて、神の命ずる地に向けて旅立つ。


父と息子は連れ立って山に登る。少年イサクは不審に思い、父に尋ねる。「お父さん、捧げ物にする小羊はどこにいるのですか。」 父は答えた。「捧げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」 神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。そして手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。


アブラハムが今まさに息子に刃を下ろそうとした時、主のみ使いがアブラハムに言った。「その子に手を下すな。あなたが神を畏れる者であることが、今分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」 アブラハムが周囲を見回すと、木の茂みに一頭の雄羊がいた。アブラハムはこれを捕らえ、息子の代わりに捧げ物とした。


主のみ使いは言う。「あなたが自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。」 以上が息子イサクを犠牲として捧げようとした父アブラハムの物語である。神はアブラハムの絶対的な信仰をここに確認し、彼を祝福して、子孫の繁栄を約したのである。彼が信仰の父と言われるゆえんだ。


少年イサクが成人した時、父アブラハムは、イサクの妻は、地元カナンの女ではなく、生まれ故郷メソポタミアの親戚の女性を迎えたいと考えた。従者が派遣され、従者は井戸で出会った乙女リベカこそ、神が選んだ女性と確信する。リベカは見知らぬ旅人とらくだのために、井戸から何度も水を汲み飲ませた。このリベカがイサクの妻となり、イスラエル12部族の祖、ヤコブを生むのである。


(補遺) キリスト教徒やユダヤ教徒は、聖書に由来する名前を持っている人が実に多い。英語の名前の半分以上は聖書の起源か、聖人の名と言ってもよいほど。今回の登場人物について言えば、アブラハムがエイブラハムAbraham、イサクがアイザックIsaac、サラがセーラSarah、リベカがレベッカRebecca(愛称はベッキー)、ヤコブがジェイコブJacob、またはジェームズJamesである。



Chopinの散歩道-イサクの犠牲

レンブラント「アブラハムによるイサクの犠牲を止める天使」 1630年 油彩

サンクトペテルブルグ・エルミタージュ美術館蔵 出典:Wikipedia