澤田美喜 •混血児の養育に生涯を捧げた女性• | 黒人夫とのアメリカ生活30年

黒人夫とのアメリカ生活30年

黒人夫との約30年のアメリカ生活で体験した、黒人差別問題など、ありのまま綴っていきたいと思います。より良い未来を願って⭐️


ブログにコメントしてくださった方から、70年程前の戦後、エリザベス・サンダース・ホームを設立し、私財を投げうち、偏見と貧困に苦しむ混血児の養育に生涯を捧げ、日本で2000人近くの混血孤児を育て上げた、社会福祉家、澤田美喜さんの存在を知った。

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澤田美喜は明治34年(1901)、三菱合資会社社長岩崎久彌の長女、創業者岩崎彌太郎の孫として茅町本邸で生まれた。

20歳で外交官澤田廉三と結婚、クリスチャンになる。外交官夫人として、アルゼンチン、北京、ロンドン、パリ、ニューヨークと移り住む中で、持ち前の英語力と物怖じしない性格とから現地の社交界に迎えられ、国際感覚を磨き、幅の広い人脈を築いていった。

ロンドンでは毎週教会に通ったが、ある日、誘われて郊外にある孤児院「ドクター・バーナードス・ホーム」を訪ねる。こざっぱりした宿舎。きれいな礼拝堂。緑に囲まれた広い敷地には、小学校から中学・高校まであり、職業訓練施設もある。ボランティアの人たちが生き生きとして働いている。そして何より子どもたちが明るい。美喜は感動し、それから毎週末、バーナード博士のもとで孤児たちのために汗を流して心に潤いを得たのだった。

第二次大戦後、日本に進駐した米兵と日本人女性との間に、多くの混血児が生まれた。祝福されずにこの世に生を受けてしまった子ら。多くが父も知らず、母からも見捨てられていく。

ある日、満員列車で美喜の目の前に、網棚から紙包みが落ちてきた。黒い肌の嬰児の遺体だった。美喜の頭に血がのぼり、心臓が激しく鳴った。イギリスの孤児院ドクター・バーナードス・ホームの記憶が突然よみがえった。美喜は天命を覚えて身震いした。

「日本にはいま、大勢の祝福されない混血孤児がいる。そうだ、私はこの子らの母になる…」

夫の理解も得た美喜は、憑かれたように行動を開始した。GHQに日参し「大磯の旧岩崎家別荘に、混血孤児たちのホームを作らせて欲しい」と訴えた。混血孤児の問題は、直視したがらない人が多かったが、教会関係者や一部の在日米国人、それに使命感に燃えた多くの人々に支えられ、美喜は諦めなかった。

昭和22年、美喜はついに別荘を買い戻し、ドクター・バーナードス・ホームのように学校も礼拝堂もあるエリザベス・サンダース・ホームをスタートさせた。美喜、46歳だった。


戦後まもない日本は、焼け跡、闇市、失業、貧困、浮浪児、街娼…。みんな、自分のことだけで精一杯だった。黒い子、白い子、祝福されずに生を受けた混血の子どもたちが、母に連れられて、駅に捨てられて、あるいは門前に置き去りにされて、大磯のエリザベス・サンダース・ホームに引き取られた。澤田美喜はもちろん、保母たちも寝る時間を削っての、懸命の毎日だった。


だが、世間は冷たく無神経だった。混血孤児たちが町に出ると、露骨な好奇の目に曝された。「△△△△だぁ」「××××の子よ、やあねぇ」と差別語が飛び交い、思わず美喜が「この子たちに、何の罪があるというの!」と、金切り声をあげることもあった。


そう、混血孤児たちの試練はこれからが本番だった。ホームは敷地内にステパノ小中学校があり、いわば保護区だったが、最大の難関は子どもたちの社会への適合だった。美喜は、無条件の優しさは保母たちにまかせ、厳格な「ママちゃま」として振る舞った。厳しい躾(しつけ)を通じて社会の偏見と差別に耐えられるだけの免疫を作る。特に黒い肌の子には、愛しい「わが子」なるがゆえの愛の鞭。実際、それに耐え、強くなった者だけが、その後正々堂々の人生を切り開いたのだった。


エリザベス・サンダース・ホームは2000人に近い混血孤児を育て、半数近くを日本より偏見の少ない米国に、養子として送り出した。さらに、より偏見の少ないブラジルのアマゾンに土地を買い、小岩井農場や三菱重工で技術を身につけさせた上で、子どもたちを送り出したが、この方は16年の悪戦苦闘の末に挫折した。

美喜の、子どもたちの母としての愛情と厳しさは、晩年になっても変わらなかった。子どもたちには身を挺して接し、子を置いていった母からの手紙に返事を書き、あるいは挫折しそうな卒業生の相談相手になった。それが一段落すると、わが身に鞭を打って講演の旅に出、世界に散らばった「わが子」たちを訪ねた。

昭和55年、美喜は妹の福澤綾子とスペインへの講演旅行に赴いたが、地中海のマジョルカ島で体調を崩して入院し、心臓麻痺により78歳でこの世を去った。

著書『黒い肌と白い心』 (1963) ,『母と子の絆』 (80) 。


1960年人道主義に貢献した婦人のなかから選ばれる、エリザベス・ブラックウェル賞,65年国際孤児財団世界の婦人賞,78年イタリアのアデライデ・リストーリ賞などを受賞。

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日本に、こんな素晴らしい女性がいた事実に感動し、なんだか勇気をもらった。




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