第1章 若き日の苦闘――「石の中に眠る人間」を探して

オーギュスト・ロダンは1840年、フランス・パリの下町に生まれた。
父は警察官、母は敬虔なカトリック信者。
決して裕福ではなく、貧しい家庭の中で、少年ロダンは早くも“形の中に生命を感じる”感覚を持っていた。
紙に線を描き、泥をこね、光と影のバランスを見つめる――
彼にとってそれは遊びではなく、世界の鼓動を掴む訓練だった。

しかし、その才能は長く日の目を見なかった。
ロダンは彫刻家を志し、名門・国立高等美術学校(エコール・デ・ボザール)を三度受験するも、すべて不合格。
当時の美術界は“古典的理想美”が絶対で、
均整の取れたプロポーション、滑らかな表面、神話の英雄こそが“正しい芸術”とされた。
だがロダンの作風は異端だった。
彼は筋肉の緊張、表情の歪み、指の震えといった、人間の苦悩と生々しさを形にしたいと願っていた。
それは“理想”ではなく、“真実”を彫る試みだった。

失意の中でも、ロダンは諦めなかった。
装飾職人として働き、夜はひたすら粘土をこね続ける。
やがて、装飾彫刻家アルベール=エルネスト・カリエ=ベルーズの工房に雇われる。
そこで彼は、花や天使の装飾ではなく、人間そのものを彫る衝動に突き動かされる。
筋肉の動き、皮膚の張り、感情のうねり――
その中にこそ“生命”が宿ると確信した。

ロダンにとって彫刻とは、創造ではなく発掘だった。
「私は石の中に人間を見つける。ただ余計な部分を取り除くだけだ」――彼の有名な言葉である。
彼にとって大理石は、すでに命を秘めた存在だった。
ノミは刃ではなく、“魂を掘り起こす道具”だったのだ。

しかし、その信念は理解されなかった。
彼の作品は「粗削り」「下品」と批判され、展示を拒否されることも多かった。
それでもロダンは迷わない。
“完成”よりも“生きていること”を優先する。
彼の彫刻には、指の跡、掌の圧、作家の呼吸までもが刻まれていた。
それをロダンは“美”と呼んだ。

そんな彼を支えたのが、恋人であり後の妻、ローズ・ブーレだった。
彼女はどんなに貧しくても、静かにロダンのそばに立ち続けた。
アトリエの隅でノミの音を聞きながら、
ローズは自分の人生もまた、彼の作品の中に刻まれていくのを感じていた。

やがてロダンは決意する。
美しく見せるための芸術ではなく、生きている人間を刻む芸術を。
彼は職人であり、反逆者であり、信念の人だった。
光と影、筋肉と魂、理想と現実――
それらすべてを一つの存在として彫る。
そこに、彼の芸術の核心があった。

この章は、ロダンが貧困と拒絶の中で、命の真実を掘り当てていく姿を描く。
彼は才能ではなく執念で道を切り開き、
“美”の定義を覆した。
石の奥に眠る“人間の鼓動”を信じ抜いたその執念が、
のちに世界を変える。
静かなアトリエで、ロダンの彫刻はこの時――確かに息をし始めた。

 

第2章 覚醒――「青銅の時代」と“疑われた天才”

オーギュスト・ロダンが初めて世界にその名を轟かせたのは、
彼の代表的初期作――「青銅の時代」によってだった。
だがその成功は、同時に最大の屈辱でもあった。

1870年代後半、ロダンはベルギーでの仕事を終え、
自らの芸術を本格的に追求するため、再びパリへ戻る。
そして一人の若い兵士をモデルに、裸像を作り始めた。
それが、彼の運命を決定づける作品となる。

完成した「青銅の時代」は、
これまで誰も見たことのないほど“生きている彫刻”だった。
筋肉は張り詰め、血管は浮き上がり、
皮膚の下には血が流れているかのよう。
その姿は神でも英雄でもない。
ただの一人の人間――だが、限りなくリアルな人間だった。

だが、そのリアリティこそが彼を窮地に追い込む。
作品を見た審査員や批評家たちはざわめいた。
「これは彫刻ではない。人間の体から直接型を取った“鋳造詐欺”だ!」
――それがロダンを襲った“疑惑の嵐”だった。

ロダンは必死に抗議した。
自分の手で、粘土から形を起こし、指の感覚で命を作り出した。
しかし信じてもらえない。
世間は“リアルすぎる”ことを罪とした。
皮肉なことに、あまりにも真実を追いすぎた芸術家は、嘘つきと呼ばれたのだ。

ロダンは沈黙した。
けれど、その沈黙の中で燃えたぎっていたのは、怒りではなく確信だった。
「自分の彫刻が“生きすぎている”からこそ疑われた――それでいい。」
そう言い切れるほど、彼は己の信念を貫いていた。

やがて、調査によって疑惑は晴れ、
「青銅の時代」は本物の天才の手によるものだと認められる。
だが、その事件は彼の中に消えない傷を残した。
以降のロダンは、ただ“形を作る”彫刻家ではなく、
「見る者の心を揺さぶる」芸術家へと変貌する。

彼は理想美を捨て、感情の波をそのまま彫り出すようになった。
筋肉が震え、指が緩み、体が沈む。
“完璧”よりも、“揺らぎ”を。
“静”よりも、“動”を。
そこに生きている人間の真実を見たのだ。

この事件を境に、ロダンの芸術は牙を持つ。
彼の彫刻は人々を安心させるための美ではなく、
心を突き刺す“現実の鏡”となっていった。
彼の中で「美」と「真実」は、もう切り離せないものになった。

この章は、ロダンが「青銅の時代」で誤解と中傷の中から立ち上がり、
真に“生きている芸術”を確立した瞬間
を描いた。
彼は嘘をつかなかった――ただ、あまりに本当すぎた。
その“生のリアリティ”こそが、芸術の新しい時代を切り開いた。
この事件の炎が、後に「地獄の門」や「考える人」を生み出す火種となる。
そしてこの時、ロダンという名は“疑惑の天才”から“真実の彫刻家”へと生まれ変わった。

 

第3章 地獄の門――魂を刻む彫刻

オーギュスト・ロダンにとって「青銅の時代」の騒動は試練だったが、
その火種は、次なる傑作の原動力になった。
1880年、彼はフランス政府から新しい依頼を受ける。
“装飾ではなく芸術としての扉”を――
それが後に彼の代表作となる、「地獄の門」の始まりだった。

依頼の目的は、パリに建設予定だった国立装飾美術館の入口を飾るためのもの。
テーマはダンテの『神曲・地獄篇』
ロダンはその言葉に雷に打たれたような衝撃を受ける。
「地獄」――それは彼自身の内面の闇であり、
同時に“生きること”そのものの象徴でもあった。

彼はただ物語を再現するのではなく、
地獄を“人間の苦悩の縮図”として彫ることを決めた。
罪と愛、欲望と絶望、祈りと沈黙。
その全てを一枚の扉の中に閉じ込める――まるで世界を凝縮するように。

ロダンは、そこに無数の小像を刻んでいった。
苦しむ魂、倒れた男女、絡み合う肉体。
中でも、門の上部に配置された一人の男――
顎に手をあてて沈思する姿が後に「考える人」となる。
もともとこの像は、地獄を見下ろす“詩人ダンテ”として作られたが、
やがて独立し、世界中で“思索の象徴”となった。

また、門の中央付近に見える男女像――
それが、ロダンのもう一つの傑作「接吻」の原型である。
地獄の炎の中でもなお求め合う二人。
それは愛の罪深さと美しさを同時に描き出すものだった。
ロダンにとって“地獄”とは、罰の場所ではなく、情熱が生きる場所だった。

制作は容易ではなかった。
構想は膨れ上がり、修正に修正を重ね、完成までに40年近くを要した。
途中で依頼そのものが取り消されても、ロダンは手を止めない。
この扉は、もはや依頼品ではなく――彼自身の魂の記録となっていた。

「地獄の門」は、のちにロダンの全作品の“源泉”となる。
そこから「考える人」「接吻」「ウゴリーノ」「三つの影」などが生まれ、
それぞれが独立した命を得た。
まるで、地獄の中から新しい生命が次々と誕生していくようだった。

この章は、ロダンが「地獄の門」という一つの扉に、
人間の苦悩・愛・祈りのすべてを刻みつけた過程
を描く。
彼にとって地獄とは絶望ではなく、創造の根源
炎の中でしか生まれない真実がある――
そう信じた彼のノミが、石の奥で魂を掘り起こしていった。
そしてこの扉は、のちに“近代彫刻の原点”と呼ばれることになる。

 

第4章 考える人――沈黙の中の炎

オーギュスト・ロダンが彫り上げた「考える人」は、
単なる“思索の象徴”ではない。
それは、彼自身の分身であり、芸術そのものの象徴だった。

もともとこの像は、「地獄の門」の一部として生まれた。
地獄を見下ろしながら沈思する男――ロダンはその姿を「詩人ダンテ」と想定していた。
しかし制作を進めるうちに、彼の中でその男はダンテではなくなった。
それは「考える」という行為そのものを体現する存在へと変わっていったのだ。

ロダンは“知性”を表現するために、頭を大きくはしなかった。
代わりに、全身の筋肉を緊張させ、
思索という目に見えない力を肉体で表現した。
指先までに伝わる力、背中の張り、うなだれる首の重さ――
それは静止ではなく、爆発寸前の沈黙だった。

彼にとって「考える」とは、頭の中の作業ではない。
全身で、魂で、苦しみながら掴み取るもの。
彼は語った。「偉大な思想は、血の通った肉体から生まれる」。
その信念のもとに、この像は作られた。

モデルとなったのは、地獄の門でも多く登場する“労働者の肉体”。
ロダンは神々のような理想体ではなく、
人間の疲労、重み、迷いを刻んだ。
だからこそ、この像は静かに“叫んでいる”ように見える。

完成した「考える人」は、瞬く間に世界を虜にした。
ただの裸像ではなく、人間の存在そのものを問う姿だったからだ。
科学と産業の時代に、ロダンは“考えることの尊厳”を彫刻で示した。
哲学書より雄弁に、彼の沈黙は語った。

後年、像は単体で鋳造され、
パリのパンテオン前に置かれた。
その場所は「地獄の門」とは対照的に、理性と知の象徴である。
つまりロダンは、同じ像で“地獄の詩人”にも“知の守護者”にもなったのだ。

この章は、ロダンが「考える人」を通して“思想と肉体の融合”を示した瞬間を描く。
彼にとって思考は行動であり、沈黙は闘いだった。
腕を組み、頭を抱え、地を踏みしめるその姿。
それは、苦悩するすべての人間の姿であり、
“生きるとは何か”という問いそのものだった。
ロダンはこの像で、ついに“人間そのもの”を掘り当てた。

 

第5章 接吻――愛と罪のかたち

オーギュスト・ロダンの彫刻の中でも、
もっとも官能的で、もっとも人間的な作品が「接吻」だ。
だがこの作品は、単なる恋人たちの愛を描いたものではない。
その奥には、情熱と罪、そして“愛することの宿命”が刻まれている。

この像のもとは、「地獄の門」にあった。
ダンテの『神曲』に登場する、パオロとフランチェスカ――
禁断の愛に堕ち、地獄で永遠に抱き合う恋人たち。
ロダンは彼らの物語に、罰よりも美を見た。
地獄の炎の中であっても、人間はなお愛を求める。
その姿に、彼は“人間の救い”を見出したのだ。

「接吻」の制作にあたって、ロダンは男女の肉体の“接触”に異常なほどこだわった。
唇が触れる直前の緊張。
腕が相手を包む微妙な力の加減。
肌と肌の間に漂う、空気そのものの温度。
彼はそこに生命の脈動を感じ取った。

ロダンはこの作品を、ただのエロスとしてではなく、愛という苦悩の形として彫った。
互いに求め合いながら、同時に離れられない二人。
それは、幸福と滅びの境界線に立つ人間そのものだった。
彼のノミは、快楽ではなく、運命の絡まりを刻んでいた。

発表当時、「接吻」は激しい賛否を呼んだ。
その肉体の生々しさは“道徳的に不適切”とまで言われ、
展示を拒否する美術館もあった。
しかし一方で、多くの芸術家や詩人たちはこの像に“真実の愛”を見た。
愛を神聖化するのではなく、現実に引きずり下ろした勇気。
それがロダンの美学だった。

彼は語っている。
「愛とは、互いを抱きしめることではない。
同じ痛みを分かち合うことだ。」
この言葉が示すように、ロダンの愛は清らかでも甘美でもない。
それは、傷を抱いたまま生きる強さそのものだった。

のちにこの作品は独立して展示され、世界中で愛の象徴とされた。
だがロダンにとってそれは“地獄の欠片”であり、
情熱と破滅の彫刻でもあった。
彼の手の中で、愛は聖域ではなく、業(カルマ)の形になったのだ。

この章は、ロダンが「接吻」に込めた愛と罪の二面性を描く。
彼にとって愛とは、清らかな理想ではなく、
互いの弱さを晒し合う“現実の真実”だった。
この像は、天国の門でも、地獄の門でもない。
その中間で揺れる、人間そのものの姿。
ロダンは愛すらも、理想ではなく“生きること”として彫った。

 

第6章 カレーの市民――英雄なき英雄たち

オーギュスト・ロダンが「地獄の門」制作の渦中に受けたもう一つの重要な依頼――
それが、フランス北部の都市カレーからの公的注文だった。
題材は、百年戦争の悲劇的な逸話、「カレーの市民」
この作品は、ロダンの名をさらに不動のものにし、
同時に“英雄像”という概念を根本から覆した。

1347年、カレーはイングランド軍に包囲され、飢餓寸前に追い込まれていた。
降伏を迫られたとき、六人の市民が身代わりとなって命を差し出す。
国王エドワード三世は彼らを処刑しようとするが、
王妃フィリッパの嘆願で命を救われた――という実話に基づく物語だ。

カレー市はこの英雄的な市民たちを称えるために像を建てようとした。
だが、ロダンが提示した原案は、当初から波紋を呼ぶ。
それは従来の英雄像のように堂々と立つものではなく、
処刑に向かう直前の“絶望の群像”だったのだ。

彼らは裸足で、縄を首にかけ、頭を垂れて歩く。
勝利の姿ではない。
彼らは恐怖し、迷い、涙をこらえながら進む。
しかしその中にこそ、ロダンは真の勇気を見た。
「勇気とは恐れを知らぬことではない。
恐れを抱きながらも歩くことだ。」
彼はその哲学を、ブロンズの中に刻み込んだ。

モデルには労働者や市民を使い、
一人ひとりの表情や体格を違えて作った。
六人の像はそれぞれ独立しており、
どこから見ても“群れではなく、個”として存在する。
それが全体として“人間の尊厳”を形づくっている。

発表当時、依頼主であるカレー市議会は戸惑った。
「これでは惨めすぎる」「英雄に見えない」。
だがロダンは譲らなかった。
「彼らはすでに英雄だ。
死を前にしても、人間のままでいる――
その姿こそ、最高の勇気だ。」

後にこの像は、美術史上における“群像表現の革命”と呼ばれる。
一つの台座に立つ“王”ではなく、
六人の人間がそれぞれの恐怖と誇りを抱えて立つ。
その配置と沈黙のバランスが、
まるで時が止まったかのような緊張を生み出している。

この章は、ロダンが「カレーの市民」で、英雄という概念を解体し、
人間の尊厳を再定義した瞬間
を描く。
彼は「強さ」と「弱さ」を対立させず、
どちらも人間に欠かせないものとして刻んだ。
勝利も敗北もない、その中間の姿こそが“生の真実”だと示した。
沈黙の中で立ち尽くす六人の姿は、今もなお、
“恐怖と誇りを同時に抱く”すべての人間の鏡として、語り続けている。

 

第7章 カミーユ・クローデル――愛と創造の狂気

オーギュスト・ロダンの人生を語るうえで、
避けて通れない名がある――カミーユ・クローデル
彼女はロダンの弟子であり、恋人であり、
そして彼の芸術を最も深く理解した“もう一人のロダン”だった。

二人が出会ったのは1880年代、ロダンが「地獄の門」を制作していた頃。
カミーユは当時まだ20歳にも満たない若き彫刻家の卵だった。
才能は鋭く、感情の起伏は激しく、
そして何よりも、彫刻を愛する情熱の純度が異常なほど高かった。
ロダンはその才能に雷を打たれたように惹かれる。

彼女はロダンの助手としてアトリエに入り、
「地獄の門」の制作を共にした。
二人は互いを刺激し合いながら、
創作と恋愛の境界を溶かしていく。
カミーユの指先には、ロダンの“生命の感覚”が宿り、
ロダンの彫刻には、カミーユの“情熱の炎”が映り込んだ。

だが、その関係は次第に狂気へと傾いていく。
ロダンには長年連れ添った女性、ローズ・ブーレがいた。
カミーユは“弟子”という立場と“恋人”という立場の間で裂かれ、
愛情と嫉妬、創造と破壊が入り混じる。
彼女は叫ぶように作品を作り、
ロダンは沈黙の中で彼女を見つめた。

ロダンは彼女を心から愛した。
だが同時に、カミーユの激しさに怯えてもいた。
彼は結局、ローズを捨てることができず、
カミーユとの関係は次第に崩壊していく。
別れののち、カミーユは精神を病み、
長い孤独と闘いながらも、自らの作品を作り続けた。

彼女が残した「永遠の春」「成熟」「波」は、
どれもロダンへの愛と絶望を形にしたものだった。
一方、ロダンの側にも、
カミーユの影は深く刻まれている。
「地獄の門」の中の女性像、
「ファリアの抱擁」「永遠の偶像」――
その多くが、彼女の面影を宿していた。

ロダンは晩年まで彼女の名を口にし続けた。
彼女は彼にとって恋人以上の存在、
創造そのものの化身だった。
彼女と出会わなければ、
「考える人」も「接吻」も、あの強度には至らなかったと言われている。

この章は、ロダンとカミーユが互いの魂を削り合いながら、
芸術と愛を同時に追い詰めた日々
を描く。
彼らの関係は破滅的だったが、
そこから生まれた作品たちは、今も燃え続けている。
ロダンにとって愛は、癒しではなく、創造の狂気
カミーユはその狂気を、誰よりも美しく生きた証だった。

 

第8章 晩年の巨匠――名声と孤独の狭間で

オーギュスト・ロダンは、十九世紀の終わりにはすでに“生ける伝説”となっていた。
「考える人」も「カレーの市民」も世界中で絶賛され、
彼のアトリエには弟子や記者、政治家までもが訪れた。
しかし、その栄光の影で、彼の心には深い孤独が沈んでいた。

名声が高まるほどに、ロダンは“自由”を失っていった。
注文は山のように舞い込み、各国の政府や王侯貴族が彼の作品を求めた。
だが彼が求めていたのは“依頼に応じる職人”ではなく、“真実を刻む芸術家”であること。
名声が“枷”となり、彼は再び内なる地獄へと潜っていく。

1889年には、画家クロード・モネとの二人展を開催。
同じ“光の芸術家”として称えられたが、
ロダンは自らの彫刻を「まだ完成していない」と評し、展示を前に徹夜で手を加え続けた。
彼にとって、作品とは終わりのない対話だった。
磨けば磨くほど“生”が逃げていく気がして、完成を恐れるようにさえなっていた。

それでも、彼の名声は止まらなかった。
1891年には、バルザック像の制作を依頼される。
フランス文学の巨人を彫るという名誉ある仕事だったが、
ロダンは伝統的な肖像彫刻を拒み、“バルザックの魂”そのものを形にすることを選んだ。
結果として、長いローブをまとい、顔が半ば影に沈んだ不気味な像が生まれた。
発表時、批評家たちは猛反発。
「化け物だ」「侮辱だ」と新聞は罵倒の見出しを並べた。

だが、ロダンは動じなかった。
彼は語った。
「偉大な人間の姿を作るには、その魂の嵐を彫らねばならない。」
外見の忠実さではなく、存在の震えを掴むこと。
それこそが彼の芸術の核心だった。

晩年、彼のそばには再びローズ・ブーレの姿があった。
数十年の波乱を経てもなお、彼女はロダンの隣にいた。
1917年、彼らはついに正式に結婚する――
しかし、わずかその数週間後、ローズは息を引き取る。
ロダンもまた同年、彼女を追うようにしてこの世を去った。

彼の最期の言葉は、弟子に向けた静かな一言だったという。
「作品は私の体の延長だ。
死んでも、まだ形の中で生きている。」

この章は、ロダンが名声の絶頂にありながらも、
“完成なき創造”と“孤独な真実”の狭間で生きた晩年
を描く。
彼は権威を拒み、形式を壊し続けた。
それでも愛し、作り、苦しんだ。
その姿は、芸術家というより、生命を削る炎そのものだった。
静かに幕を閉じるその人生の裏で、
彼の彫刻は今もなお、呼吸し続けている。

 

第9章 ロダン美術館――形が遺した永遠

オーギュスト・ロダンがこの世を去った翌年、
彼の遺志を受け継ぐようにして誕生したのが、ロダン美術館(Musée Rodin)だ。
それは単なる展示施設ではなく、
彼自身の人生と魂をそのまま閉じ込めた“記憶の彫刻”とも言える場所だった。

この美術館の原点は、パリのヴァラン館(オテル・ビロン)。
かつて貴族の邸宅だったこの建物は、
ロダンが晩年を過ごしたアトリエでもある。
彼はここで、無数の粘土や石膏の像に囲まれながら、
まるで自分の作品と会話するように暮らしていた。

晩年、政府から「死後の作品の扱い」を問われたロダンは、
一つの条件を出した。
「私のすべての作品と所蔵物を国家に寄贈する。
ただし、その代わりに――この館を、永遠に私の名で残してほしい。」
その言葉が、ロダン美術館設立の礎となる。

1919年、美術館は正式に開館。
「地獄の門」「考える人」「カレーの市民」「接吻」など、
彼の代表作が並ぶ庭園と展示室は、
今なお訪れる者に“形の中の命”を感じさせる。
太陽の光を受けたブロンズ像は、
まるで呼吸するように影を変え、
観る者それぞれに異なる表情を見せる。

館内には、ロダンが生涯を通して残した石膏原型や習作も多く保存されている。
指の跡がそのまま残る粘土、
未完成のまま止まった像――
それらは、彼が“完成を拒んだ芸術家”だった証拠だ。
彼にとって“未完成”とは敗北ではなく、永遠の途中だった。

また、庭園には、ローズ・ブーレとの記念碑的な墓碑がある。
その上に置かれているのは「接吻」に似た二人の像。
長い年月を経てなお、二人の愛と創造の記憶が静かにそこに息づいている。

ロダン美術館は、彼の死後も成長を続けた。
弟子たちの作品や、カミーユ・クローデルの彫刻も展示され、
“ロダンの系譜”は今なお息づいている。
まるで彼の魂が、次の世代の芸術家たちに
「創ることを恐れるな」と語りかけているようだ。

この章は、ロダンの肉体が消えた後も、
作品が“生き続ける命”として残されたこと
を描く。
彼のノミは止まっても、作品は呼吸をやめない。
石も、青銅も、時間を超えて語り続ける。
それは彫刻ではなく、人間の存在そのものの記録だった。
ロダン美術館は今もなお、
「形の中に命がある」と信じ続けた一人の男の証として、
静かに世界に立ち続けている。

 

第10章 遺産――ロダンが刻んだ「近代彫刻」という革命

オーギュスト・ロダンがこの世を去ってから、一世紀以上。
それでも彼の名は、今なお芸術の言葉の中で息づいている。
なぜなら彼は、彫刻という表現に“生きることの現実”を持ち込んだ、
最初の近代人だったからだ。

それまでの彫刻は、神々と英雄のためのものであり、
美しさとは「完全な形」であると信じられていた。
だがロダンはそこに、苦悩・欠け・歪み・呼吸を持ち込んだ。
彼にとって美とは、完璧な線ではなく、
生きようとする肉体の震えだった。

「青銅の時代」で“人間の現実”を掘り、
「地獄の門」で“魂の混沌”を描き、
「考える人」で“思索する存在”を刻み、
「カレーの市民」で“恐怖の中の勇気”を示し、
そして「接吻」で“愛の痛み”を永遠に残した。
彼の作品群は、人間とは何かという問いそのものだった。

ロダンの後を継ぐ芸術家たち――
ブランクーシ、マイヨール、ジャコメッティなど――は、
皆、ロダンの影から出発した。
彼らはロダンの“形の中の生命”を受け継ぎながら、
そこからさらに抽象と精神へと進んでいった。
つまり、ロダンは彫刻の「父」であると同時に、
“終わりなき始まり”を開いた存在だった。

だが、ロダンの革新は技術ではない。
それは「見ること」の革命だ。
彼は人間を理想の姿ではなく、“ありのまま”に見つめた。
醜さも、痛みも、老いも、真実として刻んだ。
それは当時の社会にとって挑発であり、
だからこそ、彼は“近代”を名乗る資格を得た。

晩年、ロダンは語った。
「石は死んでいない。
私が触れると、目を覚ます。」
この言葉は、彼の芸術のすべてを象徴している。
素材の中に宿る“潜在的な命”を見抜く眼。
その眼こそ、ロダンの最大の遺産だ。

この章は、ロダンという一人の人間が芸術の定義を変え、
“生きることそのものを彫刻にした”こと
を描く。
彼は時代を超え、今もなお問う――
「君は本当に、生きているか?」と。
石の中に人を見た男は、
今や人の中に“石のような永遠”を見ている。
ロダンの芸術は終わらない。
それは今日も、見る者の中で静かに――呼吸している。