人は誰かを愛すると
それを勝る痛みに出会う
幸せになるために
多少の痛みや妥協は大切と聞く
痛みや妥協をして手に入れたという幸せは
本当に幸せなのでしょうか。
それは
自分で幸せだと思いたいのでは?
痛みと妥協をせずに幸せにはなれないというなら
誰も本当の幸せを手にしていないのでは?
「愛してる」と「好き」は実に
都合のいい言葉だ
家族に対して愛している
恋人に対して愛している
ペットに対して愛している
食べ物を愛している
友達が好き
本が好き
遊びが好き
学校が好き
今思えば何にだって使えて
どんな風にも捉えられる。
では
彼と付き合いたての「好き」と
長く付き合って聞く「好き」は
全く別物のような気がする。
結局はその時言っていた
その場の言葉は
その場だけの感情であって
それから先も同じとは限らない。
必ずいつか人は変わる。
変わらないで欲しいと誰もが願うのに
必ずと言っていいほど変わってしまう。
話し方
仕草 言う言葉
してくれる事
ましてやお互いの連絡さえも
最初に比べれば
驚くほどに変わってしまう。
結局は
信じる者だけが傷つき
愛し続ける者だけが
腐ってしまう。
涙さえ枯れて
声がでかくなるほどに。