大学に入学してから大学院を卒業するまでの6年間、ある点において自己肯定感を持てなかったことがあります。

それは「努力」するということ。

よく話しているので知っている人も多いかと思いますが、18から19の1年間で自宅浪人生活を送っていました。それまでの中学や高校の生活でも勉強することを最優先事項にして生きて来ました。頭が良くないから。

そのような生活をしていたことに関して後悔はしていません。確かに、部活に勤しんで来なかったことや遊んだものが少なかったことに関しては、もう少しやっておけばよかったなと思うことは多いです。それでもそれはそれで良かったと思っています。

 

そのような生活を送っていたせいか、逆境上等。ハードじゃないとおもんない。みたいな状態になってしまいました。

それが極まったのが自宅浪人生活。実に精神衛生上良くない1年間だったと思っています。

しかし、それを乗り越えたからこそ、アレほどキツい環境は嫌ですが、近いような状態にないと何だかうまくやり過ごしてしまう自分がいます。その結果、6年間は努力をしてないんじゃないかと自分を認められない状態にありました。

 

それが、今、自己肯定感が芽生えつつあります。僕のような人間にとっては、なかなか難しい環境にいるんじゃないかと思っています。でも、それだから頑張れるし、努力できる。そして、当時の自分にも見せられるような状態になっています。

 

弱音は吐くし、愚痴もこぼすし、へこたれる。でも、立ち上がれる。自分の強みはそこだと思っています。絶対に屈しない。どうにかして泣きじゃくりながらでも立ち上がる。

この1ヶ月もそうしてきました。

成長実感があるからやれる。成長痛。

 

このように振り返っていて、ふと思ったことがあります。学生時代の僕は、こんな感じでテスト勉強をしていました。

 

定期テストでは目標点を定め、それを紙に書く。そして、前回の点数を踏まえると、何点くらいが取れるか振り返る。そうすると、目標に対してギャップがある。では、残りの時間をどのように何に当てれば点数が伸びるか。時間配分と対策を考える。

 

摩訶不思議と、今の仕事に近い気がしていました。もしかしたら本質的なことなのかもしれません。

 

週明けから、当時のようにやってみようと思います。あの頃、得たものが無駄にならないように。違えば変えればいいので。

 

ただ、バカなのでその差が埋まった方が少ないです。そのために自宅浪人したので。

 

目標を立てて、現実を見る。その差を埋める手段を持ち手から考える。