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「兄弟の中で、僕が一番おやじに似ていると言われるんです」と話す矢部美幸さん(大山実撮影) 「おやじは反面教師です」。トラック運転手だった父、矢部幸男さん(72)を、モデル事務所社長の矢部美幸さん(43)はこう評する。普段は仏のようにやさしかったが、酒を飲むと荒れた。幸男さんが抱えた借金で一家は日々の食事もおぼつかなく、母親や祖母も働いていた。
「でも、僕はおやじが嫌いじゃない。借金だって自分のではなく、知人の保証人になっていたのがほとんど。あほやなあ、と思いますが、いろいろあったんやと思います」。借金の取り立て人が来ても、「払う気はある。ただ、ないだけや」と、堂々と対応する幸男さんの姿が鮮明に目に浮かぶ。
美幸さん自身、平坦(へいたん)な人生ではなかった。高校を出て一度就職したが、3カ月後に「吉本総合芸能学院」(NSC)に入所。当時は漫才ブームで満員の劇場を笑いの渦に巻き込む漫才師にあこがれ、上京した。
高校の同級生とコンビを組んでいたが、売れないまま、2年後には解消。その頃、弟の浩之さん(41)が、お笑いコンビ「ナインティナイン」として売れ始めた。「兄としてきつかった。事実を受け入れられないというか」
平成4年、ナインティナインはABCお笑い新人グランプリで最優秀新人賞を獲得。一方、美幸さんは廃業し、大阪府吹田市の実家に引きこもった。消費者金融からの借金が数百万円に上り、実家にも取り立てが来るようになった。
幸男さんは何も言わなかった。「当時は『何か言ってくれよ』と思っていたが、おやじは『自分が言っても説得力がない』と思ったのかもしれない。実際に何か言われたら反発していたでしょうし。逆に自分から『じゃあ、やるしかないやんけ』となりました」
借りた金は返さねば-。父の姿を思い返し、アルバイトを始めた。転機になったのは34歳のとき。知人が始めた東京の芸能事務所で経営に携わったことだ。一日も休まずに働き続け、成功に向けて頭を絞った。ゼロから始めた事務所は5年後、数百人のタレントやモデルを抱えるまでに成長。借金も完済した。
「ようやく分かったんです。漫才師を目指していたとき、自分がどんなに中途半端だったか、弱かったか。自分は売れなくて当たり前だったし、弟が売れたのにも理由がある」。21年10月に体調を崩し退職したが、2年後、東京でモデル事務所を設立した。これまでの経験を生かし、エンターテインメント業界を志す若者にチャンスを提供しようと奔走している。
月に1度、大阪に帰り、実家に立ち寄る。貧しく、生きることに懸命だったあの頃と違い、両親はいつも笑顔。3番目の弟も含め、兄弟全員が自分の道で頑張っている。
「子供の頃、おやじの借金があったから、今の家族がこんなに仲が良いという気もするんです」。家族全員が借金返済を目標に一丸となっていた。そんな少年時代を宝のように感じている。(加納裕子)
【プロフィル】矢部幸男(やべ・ゆきお) 昭和14年、大阪府生まれ。私立浪速工業(現星翔)高校卒業後、タクシー運転手や大型トラック運転手、軽貨物運送業などを務める。平成14年に引退し、現在は大阪府吹田市で妻と2人暮らし。
【プロフィル】矢部美幸(やべ・よしゆき) 昭和44年、大阪府生まれ。大阪府立茨木西高校卒業後、漫才師を目指すが廃業。芸能事務所取締役を経て平成23年10月、モデル事務所「ラフェイス」を設立。今年4月、自伝的小説『矢部家』(光文社)を出版した。お笑いコンビ「ナインティナイン」の矢部浩之さんは弟。
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<インタビュー>日本で韓国学研究所設立 東京学芸大の李修京准教授
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121025-00000047-yonh-kr
では、次回の更新まで ノシ