こちらの動画をまずご覧ください。
(昭和天皇は頭が少しおかしかったのかもしれないがこの発言は明らかに変ですね。笑って誤魔化しています。)
昭和天皇こそが正真正銘の売国奴
- 91投稿者:広島・長崎への原爆投下の犯人 12/30(日) 11:38
第二次世界大戦中、昭和天皇ヒロヒトは、敵国の戦争省最高幹部であるドレイパーから- 兵器を大量に輸入し、日本軍に高額で売り付け、利益をスイス銀行に蓄財していた。
天皇とドレイパーは、兵器密売の共同事業者として、兵器販売促進のため日米戦争を行っていた。
戦後、来日したドレイパーが最初に行った事は、天皇への兵器密売の「売掛金=未払い - 代金の回収」であった(この点は、天皇の側近であった渡辺武の「渡辺武日記
- 対占領軍交渉秘録」東洋経済新報社を参照)。
戦争末期、ドレイパーは、天皇が無条件降伏を申し出ると同時に、「戦争犯罪人として - 自分を処刑しないで欲しい」と命乞いをした事に対し、天皇の命の保証と戦後における
- 天皇制度の維持を確約し、それと引き換えに、日本に原爆を投下し終えるまで無条件
- 降伏を承認しない、という条件を出した。天皇は広島・長崎への原爆投下を事前に承認し、
- それと引き換えに、自分の命と地位の延命を手に入れた。
- 天皇は、自分1人が助かり、それと引き換えに、広島、長崎の市民の皆殺しを喜んで承諾した。
これが、「同業者、兵器密売企業の共同経営者」天皇とドレイパーの密約である。
http://alternativereport1.seesaa.net/
- 92投稿者:天皇の原爆しょうがない発言 12/30(日) 11:41
昭和天皇の原爆しょうがない発言について、当時の新聞にもしっかりと縮刷版に載っていた- のだが、ここではそれを「ママオコシ」で文字おこしした内容を示す。これは、現在発売中の
- 鬼塚英昭氏の『日本のいちばん醜い日』に引用された、松浦総三という作家の『松浦総三の
- 仕事』という本からの引用である。この記者会見の模様はユーチューブに動画も何個か落ちている。
この会見の場で、
「エ・・・・エ・・・・エ・・・・投下された、ことに対しては、エ・・・・・、エ・・・・こういう戦争中で - あることですから、どうも、エー、広島・・・・市民に対しては、気の毒で、あるが、
- やむをえないことと私は思っています」
と昭和天皇はコメントし、いきなり話題を変えて、「テレビは観ておりますが、放送会社の - 競争が激しく・・・」という意味不明のコメントを発して、原爆コメントを吹っ飛ばしている。
- これは動画で観られるとおりである。
http://www.asyura2.com/07/senkyo40/msg/744.html
- 93投稿者:侍従長の回想 01/03(木) 02:03
・軍人は殺され、国民は爆撃死しているとき、天皇とその一族や侍従たちは、- 巨大な金庫室の中で生き延びるべく闘っていた。
- 何に対してか。アメリカに日本を売りつけ、日本の軍人や国民を戦争好みの人種に
- 仕上げるためにだ。その手先たちが、平成の世になっても、天皇賛美の歌をうたい続けている。P317
・藤田尚徳の『侍従長の回想』の中から一文を引用する。
「やがて夜は白々と明けて8月15日。…陛下は声を落として申された。
『藤田、いったい、あの者たちは、どういうつもりであろう。 - この私の切ない気持ちが、どうして、あの者たちには、分からないのであろうか』
暗然とした表情で、つぶやかれた」
天皇が藤田尚徳に語ったあの日こそは「日本のいちばん醜い日」であった。 - あのときの言葉こそは、「日本のいちばん醜い言葉」であった。P354
・歴史家松重楊江が著者に語った説。
「明治維新で職を失った旗本たちの娘の中から、美女を選び城内に入れて - 「千代田遊郭」なるものを伊藤博文らがつくりました。
- そこは、天皇や重臣たちの遊び場でした。
・『国際金融同盟』の中の一文は、「戦争とはなにか」を如実に示している。 - 戦争は国家間の利害、憎悪の衝突から起こるものだけでなく、巨大はマネー・ゲームでもある。
- ヒトラーもスターリンも、それを知り尽くしていた。
- ルーズヴェルトとチャーチルはマネー・ゲームをさせられていたのである。
- 天皇が仕掛けた南進策は、巨大なマネー・ゲームの創造であった。
- 天皇とその一族は、三井、三菱、住友らの財閥と組んでマネー・ゲームをしていたのである。
- それゆえ、国際決済銀行に日本銀行と横浜正金銀行が参加したわけである。
- 94投稿者:侍従長の回想 01/03(木) 02:04
・ロスチャイルド財閥を中心とする国際金融同盟は、原子力に注目し、これに莫大な資金を投資し、- ウラン鉱の買収を大戦中に始めていた。原爆の実験はそのために是非とも必要だった。
- 日本がその標的にされた。スティムソン陸軍長官が(このことを)6月8日直前に天皇宛の文書で
- ヨハンセン・グループのルートで送ったとみられる。P511
・あれだけの大惨事を見て、米内海軍大臣は“天佑”だと叫んだのである。 - 天皇も「終戦の詔書」の中で一回触れたが、それからは一言も非難の声をあげなかった。
- その時だけが例外ではない。P521
・日本にとって、天皇にとって都合のよいことが原爆投下によってもたらされた。 - 天皇はこの直後に、アメリカから“天皇制護持”の約束を与えられていることだ。
- そして、御前会議を開き、ポッダム宣言受諾を決定する。間違いなく、原爆投下と交換条件である。
- アメリカは、アメリカ国内よりも日本での非難を恐れていたと思う。
- …国際金融同盟の連中は、「さすが、スティムソン、よくやってくれた!」と快哉をあげたことであろう。
- 「これで日本は、永遠に俺たちの奴隷の国になったぞ」と。P522
・天皇は原爆についての知識、投下の日、その場所を前もって知っていたはずである。 - ではどうして8月6日なのか。
- それは、この日までに、スイスの赤十字経由で天皇の貯蓄が無事処理をつけられる見通しがたったからである。
この広島の原爆で、第二総軍の司令部の数々の建物は壊滅し、多数の死傷者が出たのである。 - 8月6日8時ごろに、多数の第二総軍の参謀や将校が集まっていた。そこに原爆が落ちたというわけである。
- この日、間違いなく、第二総軍の全員は、8時ごろに集まって会議か、あるいは演習の準備に入っていた。
- ほとんどの第二総軍の人々は死に、あるいは傷ついていたのである。
ひとり、畑元帥のみが、この総司令部に行っていないのである。P524-528
http://www.asyura2.com/07/dispute27/msg/230.html
- 95投稿者:侍従長の回想 01/03(木) 02:09
太平洋戦争に引き釣り込んでいった首謀者は昭和天皇であった。昭和天皇が南進策を主導し、- 戦争を長引かせてその間、私財の蓄積もはかった。最後は原爆投下と引き換えに、国体護持を獲得した。
- 昭和天皇の「原爆やむをえない」発言は、1975.10.31、日本記者クラブでのことであった。
「東京裁判」などという戦争行為の一環として強行された国際法違反の裁判とはまったく関係なく、 - 日本人自身の手で明らかにすべきである。裁判という形式は問はない、
- 歴史的審判を下し広く国民が認識していく必要がある。
かつて筆者は、関口宏の司会するテレビ番組で、昭和天皇と笹川良一が席を隣り合わせて、 - 野外で宴会している場面を見たことがある。笹川は元帥のような服装をし帽子もいかめしく、
- 異様な光景であった。終戦時、笹川は自ら志願して巣鴨拘置所に入り、
- 天皇が戦争責任を逃れるように工作したと笹川本人が語っているが、なんらかの恩義でも感じていたのであろうか。
http://www.asyura2.com/07/dispute26/msg/546.html
- 96投稿者:資産相続人 02/09(土) 05:40
- マルコスは、1930年代より当時の中国の国民党へ軍事費としてアメリカから発行された各種軍票の証人者となり、
- その権利を持ち、フィリピン大統領となってからは、国民党がフィリピン、インドネシア、タイ等東南アジアに
- 移送したアメリカの軍票の管理者にもなっている。多くの人々がマルコスは旧日本軍の財宝(俗名 山下財宝)の
- 金塊等を海外に持ち出し、資産を得たと考えているが、その殆どは軍票である。
- アメリカのFRB(連邦準備制度理事会)に5つの名義の口座が今も尚存在している。
- 確かにマルコスは、若干の金塊とフィリピン国内で産出したマイニンゴールドを精製し、
- アメリカ、イギリス、スイス等へ運び出しているのも事実である。
- 97投稿者:資産相続人 02/09(土) 05:42
- マルコスが得た一番の利権は、太平洋戦争における日本の戦後保障に関する当時の連合軍の
- アジアの責任者の地位である。
- 従って、インドネシアが、オランダの国際裁判所に申し立てたスマトラロイド、ジャワ等の金塊は
- 日本が略奪したもので、その所有権はインドネシアにあるとUBSを相手取り訴訟を起こしたが敗訴した。
- その後マルコスは、当時のインドネシア大統領と接触し、フィリピンのセントラルバンク(BSP)の保障で、
- UBS発行のGold Bullion Certificate(金証書)をインドネシア大統領並びに彼の指定名義人名で
- 証書が発行されている。
- この証書も金塊のバックアップではなく、アメリカの軍票に含まれる金証書をバックアップにしたもである。
天皇制を維持された大きな理由は、日本軍が日本国内に持ち込んだ殆どの略奪した金塊をアメリカ、 - イギリス等の連合軍が持ち出すために、名義人が国際法上必要なためである。
- その後この金塊の交渉の為、昭和天皇の代理人(百崎氏)が、その交渉に勤めてきたことも事実である。
マルコスは、1983年彼の多くの子供にその資産を相続させ、実際にGLD(Good London Delivery - )も金融機関に保管させている。しかし、その権利はあくまでもアメリカ、イギリス等に持たれ2003年まで
- 、名義を貸した状態で推移してきた。逆を言えば、戦後から2003年まではその金塊等の運用利益は
- 全てアメリカを初めその権利国の資産となっている。
- たとえば、日本国内の銀行にマルコスの子供を含めた関係者名義の口座が数多くあるが、
- 口座名義人には1円の権利も無く、使用できる金員ではない。
- 98投稿者:資産相続人 02/09(土) 06:13
- 日本より持ち出した金塊を自国の国債等に切り替えスイスのバーゼルにあるBIS(バンクフォーインターナショナルセトルメント)
- に預託しその運用資金がFRBやBOE(イギリス銀行)から日本に送金されるものが俗に言うM資金の元である。
- 2006年にイギリス銀行から東京三菱銀行へ送金された金額が1京7500兆円にのぼつているがこれも証書の形であるため、
- ソフトでハード(キャッシュ)ではない。第57回還付金残高証明書も大蔵省発行の証書だがこれも前途の金員から発行されたもので、
- ペーパーからペーパーのみで現金はほんのわずか出回っただけである。
IMF発行のSDR(特別引出権、別名ペーパーゴールド)をアメリカ政府が承認した後、 - ペーパーによるペーパーの創作が一般的となり、今では、銀行保証書、定期預金証書等も借り物が出回っている。
- 99投稿者:。 03/07(金) 20:25
- ■
- 100投稿者:昭和天皇の秘密メッセージ 07/08(火) 22:39
・・・米国の日本占領と不可分なのが、「日本のどこであれ、米国が必要と思う期間、- 必要と思われるだけの軍隊を置く権利」が与えられた、「在日米軍」の存在である。
日本の非武装中立に固執していたマッカーサーも、吉田茂政権も、 - 講和条約後も日本全土に米軍を駐留させるとするトルーマン大統領ーダレス国務長官の方針に反対であった。
ところが50年8月に天皇陛下からマッカーサー宛に発せられた一つのメッセージが、 - マッカーサー、吉田茂の頭越しに、ダレス国務長官に届けられた。
これこそが、1947年9月に沖縄基地の長期使用をマッカーサーに提案した天皇陛下の秘密メッセージと並んで、 - 日本の戦後を規定した天皇陛下の秘密メッセージであったのだ。
すでに象徴天皇であった昭和天皇の、この明らかに政治的な違憲メッセージは、何の目的で発せられたのか?
天皇は憲法9条による非武装の日本を米軍に守ってもらうために日本全土の米軍基地化を提案した、とする見方はある。
しかし、そのメッセージは、(当時はすでに極東裁判で天皇の戦争責任はなくなっていたが) - 「50年2月1日、ソ連が突如として天皇および数名の元日本軍高官を、細菌化学戦争にかかわった罪で
- 国際軍事法廷に追加訴追を求める覚書を米政府に手交していた」後になされている。
かつて、シーボルト駐日公使は、47年9月に天皇陛下がマッカーサーに提案した - 沖縄基地の長期使用のメッセージを当時のマーシャル国務長官に転送した際、
- 「疑いもなく私利に大きくもとづいていた」と語っている。