関ヶ原の戦いの面白さ

テーマ:

こんにちは。

映画『関ヶ原』の記事を書いたついでに、私が関ヶ原の戦いに関して面白いと思っている小話を書きたいと思います。

(私の歴史の知識は大半がTVなので、誤りがあったら是非指摘してください。)

映画『関ヶ原』の感想はコチラ

 

・関ヶ原の開戦直前、徳川家康は石田三成のいる大垣城の近くを素通りして少し先の関ヶ原に陣取り、三成を大垣城から誘い出して得意の野戦に持ち込みます。

この戦法、1572年に家康が武田信玄に大敗した三方ヶ原の戦いで信玄がとった作戦(家康がいる岡崎城を素通りして三方ヶ原に陣取り、家康を誘い出して得意の野戦に持ち込む)にそっくりなんです。天下分け目の戦いに勝利することができたのも、過去の反省をしっかり活かしたお蔭ですね。

 

・西軍の総大将は三成ではなく、家康に次ぐ実力No.2の毛利輝元でしたが、関ヶ原本戦では毛利軍は南宮山から動かず。

これは開戦前から東軍の勝利を確信していた吉川広家(きっかわひろいえ、毛利家重臣)が東軍と不戦の密約を交わし、色々理由をつけて毛利軍が戦場へ出るのを阻止し続けたためであると言われています。広家の働きにより関ヶ原の戦い後も毛利家は改易(取り潰し)を免れるのですが、関ヶ原の戦いで毛利軍が南宮山を下りて家康本陣の背後をつくことができていたら天下分け目の戦の結果は変わっていたかもしれませんね。

 

・東軍の先鋒は福島正則になっていたが、井伊直政と松平忠吉が正則に無断で先陣を切ってしまう。

豊臣恩顧の大名である正則が功績をあげてしまうと、東軍が勝利したとしても徳川の天下ではなく豊臣系の天下に戻りかねないため、家康の重臣である直政と家康の四男である忠吉が徳川の威信を示すべく抜け駆けをしたと言われています。

 

・小早川秀秋が寝返りそうだと気づいた西軍の大谷吉継は自ら進んで小早川の陣取る松尾山の麓に陣取ったと言われています。小早川が寝返った際も大谷軍は奮戦しますが、周囲の西軍まで小早川に呼応して一気に寝返り、大谷軍は耐えきれず無念の敗北を喫します。

 

・島津軍(西軍)は戦中動かず、自軍の秩序が乱れるのを防ぐため、なだれ込んできた西軍の敗兵にさえ発砲。最後は戦場の真ん中で孤立してしまったため、敵中突破を強行して薩摩へ逃げ帰ります。

これは「島津の退き口」と呼ばれていますが、東軍にも島津軍にも多くの犠牲者が出ました。東軍の井伊直政と松平忠吉は徳川の威信を示すべく島津軍を深追いしますが、両者ともこの時に受けた傷が原因で後に亡くなります。

 

以上が私が関ヶ原の戦いで面白いと思っているエピソードです。

他にも面白いエピソードがあったら是非教えてください!

 

ではでは〜

AD