↑(葉山の行列ができる蕎麦屋さん、開店前に並んだのに、30分待ち)
東京から戻りすっかり風邪をひいてしまい、静かなゴールデンウイークを過ごしています。
久しぶりの東京訪問は、6月に予定している録音のリハーサルのためでしたが、せっかく東京に行くということで、音楽の道を志す私の生徒Yちゃんとも合流して、鎌倉の恩師日比谷先生のレッスンを受けて参りました。
懐かしい鎌倉の道。中学2年で転校した時、夢に向かって羽ばたける喜びと同時に、こわかったのはいじめ。転校生というと、言葉の訛りや何かの違いに目をつけられてターゲットになりやすいので、笑顔を絶やさないようにしよう、標準語を話せるようにと、こっそり練習したりしていました。私の通っていた那覇市の中学校は、授業中校舎内に自転車で乗り込んでくるやんちゃ坊主がいたりする、いわゆる荒れた中学校。やんちゃ坊主たちに因縁をつけられては大変と、はらはらしながら登校していた記憶があります。そして、転校先の鎌倉の中学校、そこは私の知っていた学校とは違い、落ち着いていて、なんとものどかな場所でした。
とはいえ一度だけ経験した悲しい出来事、いつも一緒にいた女の子が突然「今からすれ違うあの子とは、これから話さないようにして。」と命令してきたのです。私がそれはできないというと、なんとその子は2枚重ねの下敷きで私の頭をたたきました。優しくコツンではなく、ゴンゴン!と本当に痛かったんです。私は、真っ白になりその日一晩、寝ることも出来ないくらい悩みました。「こりゃ大変なことになった~‼」と頭の中は連呼するばかり。翌朝、私は意を決していつもより早く学校に行き,
その子の前に立ちはだかり、なんと「私はあんたのことが大嫌いだから、1メートル以内近づかないで!」とどすのきいた声で言い放ちました。教室には、まだ数人しかいませんでしたが、その子を含め見ていた子たちは一瞬固まっていました。私の心は炎のように燃えていて、この事態をいじめに発展させてはならないと身を守るのに必死、転入してから、笑顔ちゃんとあだ名がつくほど頑張った努力もむなしく、天使のようなキャラを作り上げていた (つもり)なのに、水の泡となったのでした。まあ、そんなキャラなんていつかはばれてしまうでしょうが、中学生の私にとっては研究し尽くして至ったキャラ変更作戦、数週間で終了です。その後、その子とはほとんど話さなくなりましたが、しばらくして「ごめんね。」と謝ってくれました。
学校生活はそんなこともありましたが、それははじめのほんの少しで、あとはのんびり平和で落ち着いたものでした。それに私は音高受験のため、中学3年は夏以降学校を休み、練習に専念しなければなりませんでしたし、学校にはお友達に会いに息抜きしに行くような感じでした。
鎌倉駅から、トンネルを二つ超えて歩くこと15分、懐かしいかつての通学路を、自分の生徒と歩きレッスンに行く日が来るなんて。曰比谷先生の家の近くまで来たところで、先生の旦那様が自転車に乗って走ってくるのが見えました。声をかけると、一瞬わからなかった様子。それもそのはずですね、「ご無沙汰してます。今日は沖縄からレッスン受けににきたんですよ。」と生徒を紹介して懐かしくお話できました。レッスンで、久しぶりに受けた衝撃は私が30年前に受けたそれと同じで、記憶が鮮明に蘇ってきました。生徒のYちゃんは、小学6年生ですがやる気のありガッツがあるので、新しい課題にしっかり向き合ってくれることでしょう。とても楽しみです。
鎌倉の風景を見ると、切なくなってしまうのはなぜなのか、、、。踏切りなど見たことがなかったので、はじめて来たときはドラマのワンシーンを見ているようで、どれもこれも新鮮でした。電車のない沖縄では切符を買うこともなかったので、母と一緒に切符の買い方を訪ねては、不審な目でみられたり、、。変わらぬ澄んだ空気にまたまた切なくなりながら、鎌倉を後にしました。
そして、今世では到底恩返しができないほど、お世話になっている大坪先生ご夫妻に久々に会えたこともうれしい事でした。70代後半だというのに、全く変わらず「気にせずピアノ練習してらっしゃい。」と好きなだけ弾かせてくれます。
私が幼稚園くらいの頃から、沖縄に教えに来てくれていた先生で出会って40年くらい、奇跡的に出会った素敵な方々を思うから、ここにくると切なくなるのかもしれません。風邪をひいて、昔を懐かしく振り返るのも悪くないものです。人とのご縁は不思議で奇跡の連続、今世でどうにか恩返しができるといいなあと思うんですが、、いまだ世話になりっぱなしですね。せめて、良いピアノが弾けるよう日々精進して参りたいと思います。まずは、風邪を治してから。。
↓ 偶然東京に来てた大人の生徒さんとも池袋で合流。彼女もその日レッスンを受けに東京に✨。学ぶ楽しみは一生ですね🥹。