次女は27歳
その次女が
能登の地震の直後から
お風呂に入る前に必ず
地震が来たら助けに来てね
ひと声掛ける様になった
「地震が来たら助けに来てね」
それは聞き覚えのある言葉・・
そういえば
前にもそんなことがあったっけ
次女は小学生の時に
中越地震
中越沖地震
中校生の時には
東日本大震災
そして今年元旦の
能登半島地震
たった27年間の人生で
4度の大地震を経験した
特に多感な小学生の時に体験した
2つの地震は
次女のココロに
恐怖
という深いキズを残し
それがトラウマとなり
東日本大震災の時も
能登半島地震でも
せっかく忘れかけていた
次女のトラウマをまた
呼び起こしてしまった
特に
中越沖地震の時は震度6強
ガレージは全壊
家は無事でも
家の中は
テレビ
タンス
仏壇
金魚の水槽
全ての家具が
知恵の輪のように
折り重なり倒れ
2階のトイレはタンクが割れ落ち
使えなくなった
断水も1ヶ月に及んだ
夫は会社の復旧のため
家の事は後回しになった
わたし一人の力では何も出来ず
避難所生活は一週間
一週間後
ようやく夫も会社から解放され
姉夫婦、義姉夫婦の応援で
住めるようになった
こんな出来事
大人のわたしでも
トラウマになる
いま、次女が話してくれる記憶
わたしは忘れていたことだ
小学校2年生の時に
中越地震が来て
しかもその5日後が誕生日で
最初は今年はお祝いやめようか
まで言われていて
でもお母さんが
かわいそうだからって
ケーキを買ってきてくれて
ロウソクに火を点けて
電気を消して暗い中でみんなで歌う
ハッピーバースデーの歌も
すごい早口で歌って
歌い終わったら
余震を心配して
みんながロウソクを
「早く消せ、早く消せ!」
って言うから
ハー😫フー😰
ハー😫フー😰!
って急いで消して
すぐに電気をつけたんだよ
8歳だったけど
めっちゃ記憶に残ってる
小学生の時は
姉妹でお風呂に入っていたから
不安はなかったけど
東日本大震災のあとは
落ち着くまでの間
「地震が来たら助けに来てね」
そう言ってからお風呂に入っていた
あれから間も無く13年になるが
普段は明るく元気な次女も
お風呂になると
今また口に出すようになった
「地震が来たら助けに来てね」
の言葉が
わたしのココロを熱くする
能登半島地震で
今まさにそんな環境に置かれている
たくさんの子供たちを思うと
セツナクなる
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キラリ❇️青春の1ページ