昭和二十年代の後半。私は大阪南のとある中学校へ通っていた。三年生の時に、一緒に学級委員をしたこともある大久保君というのがいた。お父さんは関西歌舞伎の役者で踊りの師匠でもあった。家に電話をすると、婆やらしき人が出てきて、「お坊ちゃんは、ただ今お留守でございます」なんて言うのだ。高校は私が公立、彼は私立へと進んだので、それ切り会うことはなくなった。
その大久保君が高校を卒業した年、昭和三十年の秋に映画デビューを果たした。吉川英治原作、溝口健二監督、市川雷蔵主演の「新平家物語」だ。その中の崇徳天皇役に、三十人のオーディションから選ばれたというのだ。そのことを中学の恩師から聞いた時には、すでに映画の上映は終わっていたので、残念ながら見ることはできなかった。
その年の暮れに心斎橋を歩いていると、大久保君とばったり出くわし、誘われるままに喫茶店に入った。彼は「会社はボクを『松竹七人若衆』の一人として、大事に育ててくれる。また、木下恵介先生が撮る予定の『白虎隊』にも出してもらえる」と熱く語った。
彼は私などと違って、体格は立派だし、時代劇のズラが似合いそうな整った目鼻立ちをしている。当時、私は確かな自分の進路が見つからず、ぶらぶらと浪人生活を送っていた。青春の入り口で立ちすくんでいた私には、「目の前のこの男が間もなく映画館の看板に、その姿が大きく描かれるのか」と思うと、羨ましくてまぶしかった。
一週間もたたないうちに、大久保君は、剣を構えた凛々しい立ち姿に墨の跡も鮮やかな「中山大介」とサインしたブロマイドを送ってきてくれた。
彼が話していたように、昭和三十三年に「七人若衆誕生」「七人若衆大いに売り出す」が、相次ぎ上演されている。中山大介はデビューして数年の間に、この若衆ものを含めて十本ほどの映画に出演した。
そして、昭和三十四年の春、弱冠二十歳の彼にビッグ・チャンスが巡ってくる。夜のゴールデン・タイムに放映されるテレビ番組で、主役を演じることになったのだ。少年向けの『雑誌面白ブック』に掲載されていた「変幻三日月」のドラマ化だ。
時は戦国時代の初期。三日月の鉢巻をしめた主人公が、得意とする変身の幻術と剣を駆使して、悪人と戦う冒険物語である。
放送が始まると、主題歌がヒットし、視聴率も好調であった。だが、そこに衝撃的な事件が起きる。準主役を演じていた若手俳優が、幼児誘拐、身代金要求、および殺害の容疑で警察に逮捕されたのだ(後に死刑となった)
当時の週刊誌には「主演の中山大介が親がかりで金をばら撒き、スターの地位を固めていくことに焦りを覚えた」と犯人の身勝手な動機が書いてあるが、大久保君にとっては、迷惑この上ない言いがかりであっただろう。
慌ててテレビ局が「変幻三日月」を打ち切ると、その後、ものの見事に中山大介の名前は芸能界から消えてしまった。この方面にうとい私に実情は全くわからないが、あの忌まわしい事件が関わっているとしか考えられず、本当に残念でならない。
つい先日のことだった。私が何の気なしにテレビをつけると、彼のデビュー作である「新平家物語」が放映されていた。御簾越しの崇徳天皇はとても気品があり、「会社はボクを大事に育ててくれる」と喫茶店で目を輝かせていた大久保君と重なった。
しかし、「新劇畑の連中は実力があるから、撮影所でも威張っているが、ボクらはゼロから皆さんに育ててもらうのだから、守衛のおじさんにまでぺこぺこしてるよ」
彼が喫茶店の別れ際につけ加えたこの言葉は、のちの彼自身の運命を暗示していたように今では思える。
木下恵介監督が「白虎隊」を撮るという企画は流れたようだが、もし実現していて、大物監督が後ろ盾にでもなってくれていれば、彼の俳優人生も違った展開になったのかもしれない。
大久保君はほんのつかの間「中山大介」に変幻し、また大久保君に戻っていったのだ。
喫茶店のあと彼には会っていないし、同級生を始め誰からもその消息を聞かない。