いったい彼は何者だったのだろう。三十年たった今も気になってしかたがない。
阪急神戸線・梅田行きの普通列車は、神崎川駅を出て十三に向かっていた。私は後ろから二両目の最後尾のシートに座っている。春ののどかな昼下がり。窓越しに差し込む陽光と車両のリズミカルな振動に身をまかせ、うつらうつらしていた。
「カツカツカツ」。つっかかるように先を急ぐハイヒールの音が後ろの車両から迫ってくる。ただならぬ気配に私の眠気は吹っ飛んだ。
現れたのは耳まで赤く染めたうら若き乙女だった。彼女は何かから一刻も早く逃れたいように、なおも前へ前へと泳いでいく。
続いて二人の男子高校生がやって来た。後ろの車両を振り返り返り、体をくの字に折り笑い転げている。私はなにごとかと、腰を浮かしてそちらの方を見た。なんと、車掌室の前で男が一人こちらを向いて素っ裸でつっ立っているではないか。歳は四十代の後半か。
ここからは距離が遠すぎて周りの人の反応がよくわからない。が、みんな凍りついたまま電車に揺られている……私にはそう見えた。
「変質者か、気のふれた人だろう」
はじめは私もそう思った。だが腕を組み堂々とあたりを睥睨している彼の眼光は鋭く、鍛え上げたことを思わせる体はコリコリとして鋼のようだ。絶対に気のふれた人などではない。では痴漢なのだろうか?
列車は十三駅に滑り込む。私は男から視線をはずし、シートに腰を沈めた。客の乗降がすみ列車は再び動き出す。もう一度、後ろの車両をうかがったが男の姿はなかった。
あれから三十年がたった。私には今でもあの男が単なる痴漢とはどうしても信じられない。
以前、尼崎市に住んでいた時のことだ。昼間だが人影のまばらな横道に挙動不審の男がいた。若い女の人が通ると、オーバーの前を空けてむきだしの中身を見せている。若手の著名なエッセイストも、これと同じ行為をする男性に電車の中で一度ならず出くわした、と書いている。
いずれの場合もターゲットは若い女性に限られているし、「あなただけよ」とこっそり見せて喜んでいるのだ。阪急電車のあの男のように、老若男女が交じっている公衆の面前での堂々たる〞ご開チン〟は、およそ「痴漢道」に反するのではないか。それに彼はあたりを圧する迫力があり、ひとかどの人物にみえた。
では彼は何者だったのだろう。当時のいわゆる「前衛作家」だったのではないか、というのが私の推論だ。
そのころ「絵画や彫刻のように、でき上がった結果だけが芸術ではない。作家の行為そのものも、また芸術である」という世界的な運動があった。
例えば展覧会場に水を張ったドラム缶が置かれ、作家がその中に入っている。また野外に張りぼての大きな筒が置いてあり、ターザンよろしく綱にぶら下がり、そこへ飛び込む。筒には出口が二つあり、どちらから出るかはその時の芸術的感興によるのだそうな。比較的よく知られているアクションペインティングなどもこの範疇に入る。
だから公衆の面前で思い切って素っ裸になること、及び周りの乗客の反応を観察することが、かれの芸術だったのではないか。そういえば、電車が動いている一駅区間だけ裸になり、さっさと下りてしまったのも、なんだか怪しい。
そうだ。あれは芸術的パフォーマンスで、彼は前衛作家だったのだ。もし猥褻物陳列罪とやらで警察へでもしょっ引かれていたら、もとより彼の望むところで、その〞ゲイジュツ〟に一段と花を添えることになったのだろう。