「とにかく、浮かんでくる言葉を書きとめて、ためていくのです」。

 

これは30数年ぶりに再会した、中学時代の担任の原子修先生の言葉だ。


国語の先生で、オールバックの髪型で、澄んだ目がいつも遠くを見ていた。淡々と行われた授業はちっとも面白くなく、職員室でも他の先生方とむれず、いつも一人だった。

 

中三の時に転校したので、その後は一度も原子先生に出会うことはなかったが、中学時代を思い出すと、いつも原子先生が出てきた。そして32年後の1995年、朝刊で「日本詩人クラブ賞受賞 原子修」というのを発見して、飛び上がるほど驚いたが、納得もできた。そういう人だったんだと。

 

日本詩人クラブに連絡して、住所を聞き、お祝いのお手紙を送ったら、丁寧な返事がきた。それから数年して札幌への出張の時、大倉山のレストランで会うことができた。先生の近況(札幌大学の教授)や活動、家族の話をきくことができた。私のことにはあまり興味がなさそうだった。私の自己満足のような邂逅で、恩師との感動の再会とまではゆかなかったが、私の思いは果たすことができた。

 

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