平地にあるお寺でも○○山△△寺のなぜ?~アボリジニーとの共通点 | 古代パワーあふれるケアンズで考えた徒然

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世界最古の熱帯雨林とサンゴ礁に囲まれた古代パワーあふれるケアンズで考えたことをあれこれとつぶやきます。

友達がまたまた、このタイミングで!

という本を貸してくれました。

 

「お寺と神社

~素朴な疑問が解ける本 

博学こだわり倶楽部(編)河出書房新社」

という本です。

 

アボリジニーNgadjonji(ニャジャン)族のツアーにのってから、

アボリジニーと神道の共通点に目覚め、

その直後、ケアンズで神道の勉強会があり参加し(このタイミングにもびっくりしました)、

また、古事記の動画で「語り部の歴史」という点でアボリジニーとの共通点を見つけ・・・・

そういうことを経てからの、この本との出会い。

 

本当に、大きな「何か」が「ほら、これ知りたかったでしょ」と言ってくれているようです。もちろん、貸してくれた友達に大感謝が基本なのですが、最近あまりにも多く、導き的なことが多いので、そう思ってしまうのです。

 

まだ読み始めたばかりなのですが、

読んでいきなり視界がぱ~っと明るくなってきました。

 

まず、いきなりなるほど~と思ったのは、

「平地にあるお寺でも○○山△△寺という理由」

 

確かに、「金龍山浅草寺」はどうして山?って思いますよね。

浅草寺は確実に平地にありますから。

 

この本によると、

山号をつけるのは中国の習慣に従ったもので、

中国の寺はもともと平地にあったのが、

次第に修行の場の意味合いが強くなり、

寺は人里離れた山間部に建てられるようになったそうです。

 

それで「○○山」という山号がつくようになり、

その流れで、平地でも山号をつけるようになったんだそうです。

 

なるほどね~

歴史知らないと、分からないですよね。

でも、この事実から、昔から山は神聖で、敬い存在で、魂を磨く修行の場として認識されていたことが分かります。

 

そう考えると、いわば山の中で生活し、その自然の中で共生生活をするアボリジニーのNgadjonji(ニャジャン)族は、日々これ修行のようなものなのだと思いました。

 

 

そう考えると、ご神体候補がたくさんありました。

とっても神々しいエリアでございました。