日曜日。

 

さすがにもう11月、ようやく秋らしくなってきたなあと思ってたら、まだまだ夏日ギリギリな日々が続いてて、脱ぎ着に敏感に過ごさざるを得ない。

 

ニュースでは桜が咲いたり、コスモスとヒマワリが一緒に咲いている映像が流れてたりで、いよいよ地球が私たち人類に牙を剥いてきたようにも思えて、不安が募るばかり...

 

 

それでもまあ、月日は流れていく訳でね、目の前の「仕事」に汲々としながらも、まあとにかくテレビドラマと映画を糧にしつつ生きたいという思いはかろうじて維持している。

 

 

という訳で、日曜日の朝、いつものようにしらすトーストと納豆オムレツを食べながら「サンデーモーニング」を観て、洗濯、買い物を済ませてから、午前中の残りの時間で先週に引き続き山田太一さんの埋もれていた脚本を読む。

 

 

今日はNHK土曜ドラマ「男たちの旅路」の第4部、第1話までで降板してしまった水谷豊が、降板しないバージョンの第2話「オートバイ」というエピソードを読む。

 

 

先週読んだ「ふぞろいの林檎たちⅤ」の興奮とは打って変わって、今日は割と冷静なスタンス...何せね、第4部の第3話である「車輪の一歩」という神回の存在はやはり大きくて、たとえ水谷豊扮する杉本洋平が第2話に出ていたとしてもあの「車輪の一歩」は触りようのない名作中の名作なんで、いい意味で軽い気持ちでいわばマルチバース版第2話ということでその埋もれていたシナリオを読んでみた。

 

 

少しネタバレすると第3部の第3話で主人公、鶴田浩二扮する吉岡晋太郎は愛する人を失って北の国へ放浪するところで「完結」していたんだけど、ファンの希望やら何やらで第4部が作られることになって、その第1話は陽平が吉岡を連れ戻す話だ。

 

 

だから「正史」の第2話で陽平が唐突にいなくなってしまうのは今にして思えば確かに無理があるんだけど、それでも物語は見事に成立してて、しかもあの「車輪の一歩」に見事につながってたのでね、全く気にしていなかったんだよね。

 

 

それでもやはり陽平が存在するバージョンという意味では興味津々、どういう物語になるのか...

 

 

「男たちの旅路」ということであれもこれもいろいろと話したくてウズウズするんだけど、そこはグッとこらえて今日は「オートバイ」の話を少しだけ...いや少しにはならないかも知れないけど。

 

 

吉岡の「帰還」を歓迎するくだりは正史の第2話「影の領域」とほぼ同じなんだけど、陽平の騒がしさ、吉岡との深い関係性がある分その吉岡が隠遁生活を引きずっている感じはより抑えられていて、やはりこれは「マルチバース」なんだなとどこかワクワクしながら読み進めた。

 

 

夜の団地、その周りをオートバイの集団、いわゆる暴走族ともまた少し違う「走り屋」たちがけたたましい音を鳴らし迷惑を振りまく、ただ東洋警備に依頼された時点ではその走り屋たちの存在は伏せられていてただ「警備」して欲しいとの依頼が来て吉岡の復帰初仕事となる訳だが、その走り屋たちの事情やら、団地の人間関係、様々な要因が複雑に絡んで、そのオートバイを排除することの「是非」が描かれている。

 

 

これはいわゆる専守防衛の問題だとか、それこそ自衛権をどう発動するのかという極めて重いテーマをも内包していて、さすが山田太一脚本と感心しながら読んだ。

 

 

しかも排除一択を唱える吉岡、オートバイ側の話を聞けと訴える陽平、そしてその狭間で現実主義者を演じつつどちらが正しいのかと悩む、柴俊夫扮する鮫島壮十郎という、まさに三者三様の意見の対立と「男たちの旅路」全体に通底する世代間断絶のテーマがさらに深掘りされている。

 

ただこれまでの吉岡と陽平の関係性に新たに「逆転」が生じて、そういう意味では陽平が吉岡を根室から東京に連れ戻したことの意味が強く反映されているエピソードだった。

 

 

そう考えると正史の「影の領域」には陽平がいない分、なるほど「オートバイ」と比べるとあっさりしてたんだなとも思ったり。

 

 

加えて「オートバイ」に盛り込まれたテーマ、これは最後のスペシャル「戦場は遥かになりて」とも重なるお話で、ああなるほど、製作されたなかった分を少し生かしたのかなと少し納得した。

 

 

もう何だろうね、先週号泣した「ふぞろいの林檎たちⅤ」とは違って、知らない物語だとは言えつながり的にはやはり「たられば」前提のお話なので、割と冷静に「感動」を享受できたようにも思うんだけど、やはり改めてこの「男たちの旅路」は私の中でテレビドラマベスト1の地位は揺るがないなと、その上で別の時間軸で展開された「オートバイ」というお話はやはり山田太一脚本そのものだし「男たちの旅路」そのものであった。

 

でもそもそも第3部で完結したのに急きょ第4部を制作しようとしたことで、水谷豊のスケジュールを押さえていなかったことが出らなくなった要因らしいので、本来ならばこちらの「オートバイ」が正史といってもいいのかも知れない。

 

 

それでも先ほど言ったように最終話の「車輪の一歩」が揺るがない名作である以上、正当な第2話である「影の領域」が正史、そこから続く「車輪の一歩」というタイムラインがいわば「神聖時間軸」ということで納得しないとね。

 

 

いずれにしても新しい「男たちの旅路」を読めたこと、その喜びは何物にも代えがたい、とても貴重な経験となった。

 

 

改めて出版した国書刊行会、頭木弘樹さんにお礼を申し上げたい。

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

 

という訳で、午後はいつものように映画を。

 

 

「男たちの旅路」の余韻を引きずってて、先週と同じくやっぱりチャラい娯楽作に逃げてしまった...

 

 

2014年のレジェンダリー版「GODZILLA ゴジラ」から始まった「モンスター・ヴァース」の第2弾、2017年に作られた「キングコング:髑髏島の巨神」という作品を観てみた。

 

題名の通り、いわばこれまで幾度か作られた「キング・コング」映画のリブートということなんだけど、時代設定がなかなか絶妙で1973年、あのベトナム戦争終結から始まるお話。

 

 

謎に包まれた髑髏島に研究者が「地学調査」と偽ってベトナム退役を控えていた兵隊を引き連れて、怪物調査をするというなかなか強引、もとい凝った設定のお話になっていた。

 

 

傭兵の経歴を持つ謎の主人公をトム・ヒドルストン、戦場カメラマンのブリー・ラーソン、そして兵隊を率いるサミュエル・L・ジャクソンがメインなんだけど、キングコングを敵とみなす側と味方と理解する側に分断されて、そこに対立と葛藤を盛り込みながら、キングコングの「大暴れ」をシンプルに描いているいい意味で分かりやすい怪獣映画になっていたように思う。

 

それこそピーター・ジャクソン監督のあの1933年版オリジナル「キング・コング」愛ダダ漏れの長尺ネットリ版リブートのよさもあったけど、こちらはもうシンプルさが売り、どちらもその特徴がよく現れていて興味深い。

 

 

MCUで大活躍の三人のそれぞれのキャラの「新鮮味」も楽しみつつ、まあ素直に軽い気持ちで「エンタメ」を堪能したという、まあそれ以下でもそれ以上でもない...

 

 

一応「モンスター・ヴァース」を形成するということで他の「ゴジラ」作品との繋がりもチラッと描かれてたりして、やはりこうなると続きを観ないといけないかなとも思う。

 

 

にしてもロキを演じる姿しか知らなかった、トム・ヒドルストンのカッコよさというか、男の色気というかね、そこがまず印象に残ったのと、いわゆる「キング・コング」映画としてのお約束もしっかりと押さえつつ、新しい作品としても卒なくまとまっていることにとても好感が持てた。

 

 

余談だけどいつものようにひとつだけ...邦題の「キングコング:髑髏島の巨神」に比して、原題はシンプルに“KONG: SKULL ISLAND”、直訳すると「コング:髑髏島」...シリーズ第4作の「ゴジラvsコング」との齟齬にモヤモヤしてしまう...

 

 

 

まあそれはともかく「キングコング:髑髏島の巨神」...充分面白かったよ。

 

 

公開当時はあまりヒットしなかったみたいだけどね、ちゃんと「モンスター・ヴァース」は継続してるということなので、日を改めて、また。