長い、長ーい休暇も今日で終わり。

 

思えば先月の22日から、健康診断と研修を除いてほぼ3週間、こんな長い休暇はそれこそ10年以上前に骨折した時以来といえるのかも知れない。

 

ってもう何してたんだろ?

 

ダラダラ、ダラダラ...ダラダラ、ダラダラ...

 

 

ただただ自己嫌悪...

 

 

結局全然エンジンがかからないまま、明日の仕事、それもこれまでにない「未知」へ向かう不安、いや面倒臭さに自己嫌悪がブレンドされて、気持ちはズーンと沈んでいる。

 

 

 

まあでも、何かしら自己弁護をするために少しでも何かしら...結局映画を観てみた。

 

 

ラブ・ストーリー...うーん...

 

 

 

という訳で久し振りに外付けHDDに向き合ってみると...10年くらいに渡って録りためられている、いわゆる観たい作品というよりも観るべき作品ばかりでどうにもテンションが上がらない...

 

 

それでも何とかラブ・ストーリーはないかいなと探していたら...あった。

 

 

「プリティ・ウーマン」...いやいや違うな。

 

 

ていうかこの映画...実はいまだに観たことがない。

 

 

まあでもやはり今日は「王道」は外しておいた方がいいだろうと更に探してみたら...あった。

 

 

ちょうど5年ほど前に録っていたアラン・レネ監督の長編デビュー作、1959年の「二十四時間の情事」が。

 

 

20代の頃、この手のいわゆる観れば映画通になれる気がする類の映画はそれなりに観ていてこの作品も観ていたんだけど、ぶっちゃけどんな内容だったのかは例のごとく忘却の彼方...ま、ほぼ初見ということで今日はヌーヴェルヴァーグの「ラブ・ストーリー」。

 

 

原題は”Hiroshima mon amour”、ヒロシマ、私の愛するあなた...ということで舞台は原爆の被害から立ち直る過程にあるわが故郷広島で、第二次大戦時のナチス将校との悲恋の過去を引きずるフランス人女優が映画撮影のために訪れた広島で日本人男性とかわす一夜の不倫の恋を描くんだけど、冒頭は広島に原爆にまつわる様々な映像のモンタージュにエマニュエル・リヴァ扮する「女」と岡田英次扮する「男」の会話のモノローグで紡いでいく。

 

中盤では女の過去の悲恋を回想を交えてこれまたモノローグで綴っていき、結局最後は...そんなお話なんだけど、映像が「間接的」でモンタージュの多い中でセリフもどこか遠回しな表現が多く、ぶっちゃけ難解だなと。

 

 

加えて私の生まれる前の広島の風景がつい気になってなおさら物語に入っていけなくて、恐らく映画の文法を駆使したまさに映画らしい映画なんだろうとは思うんだけど、そこまで味わう見識なんぞ私にはなくて、それでも何とか「女」の辛い過去が徐々に明かされていく過程と、その独白に寄り添って聞き手に徹しつつも分かれる辛さにもがき苦しむ「男」の心情を懸命につかもうと、それこそ何か学ぼうと懸命にしがみついて観ていた。

 

 

もちろん戦争を引きずる男と女というだけでもテーマ性は十分にあるし、それが外国人との恋愛、それぞれの国によって戦争が意味するものの差異も含めて、あの戦後間もなくの時代にあってまさに多様性をも包摂した上で描こうとしている、その意気込みみたいなものは感じられたように思う。

 

ヌーヴェルヴァーグ...もうなんか懐かしささえ感じるけど、改めて観てみると、アメコミ映画ばっかり観てる場合じゃないな、書くならこういう古典に目を向けることもやはり大事だなと。

 

 

アラン・レネといえば他には更に難解な「去年マリエンバートで」くらいしか多分観たことないと思うんだけど、一応ヌーヴェルヴァーグにおいてはかなり重要な位置を占める監督ということのようなので、いずれもう少し踏み込んでみたいとは思う。

 

そうそう冒頭の広島のモンタージュの中に、前に観た映画「ひろしま」のシーンが引用されていることに気付いたのが若い頃に観た時にはなかった数少ない「収穫」のひとつだった...ということにしておこう。

 

 

 

ああ...もうなんか、いろんな意味でテンションが上がらない。

 

 

まあでもなるようになる。

 

 

自己嫌悪もいいけど、今は身を任せるしかないかな。

 

 

にしてもラブ・ストーリーか...うぅぅ。