もうすっかり魅了されてしまっているエリック・ロメールの作品たち...

 

いよいよ「喜劇と格言劇」シリーズ最後の6本目、1987年の「友だちの恋人」を観た。

 

ていうかさ、それこそゴールデンタイムのテレビで報道番組、ニュースがほとんど流れなくなって普段に輪をかけて下らない番組をただ垂れ流してるだけだからね、全く遠慮することなく映画三昧。

 

 

いや、でもさすがにBlu-rayレコーダーのHDDがそろそろヤバくなってきてるのも事実...まさに痛し痒し...うぅぅ。

 

でも映画なのだ、エリック・ロメールなのだ、いいのだ。

 

ていうかね、もう観る作品、観る作品がどれも楽しくて、楽しくてね、もうただただやめられない、止まらない...

 

 

という訳で「友だちの恋人」。

 

 

もうね、題名そのまんま、友だちの恋人が好きになってしまう女心の機微を描く逸品。

 

ふたりの女性と二人の男のそのボタンの掛け違いの隔靴掻痒というか、それこそ「ムズキュン」の王道、これぞまさに古典、テッパンのロマンティック・ラブコメといったところだが、これまで観てきたロメール作品群とも共通する、まさに会話劇の妙というか、ディスカッションの深みがその乾いた演出で全く無駄なく描かれている。

 

この類のお話はそれこそハリウッドでも日本でも数多く作られてきたと思うけど、音楽で盛り上げることもせず、余計なカメラワークもなく、ありとあらゆる無駄がそぎ落とされていて、なおかつキャラそれぞれの「意見」の明確さとそのぶつかり合いから生まれる葛藤から和解への過程のそのシンプルさが潔い。

 

しかも散々繰り広げられてきたボタンの掛け違いがラストでイッキに大団円に収束してスパッと終わる...もうたまらんね。

 

フランス映画といえばねっとりじっくりというイメージがあるけど、エリック・ロメールの作品は明らかに違っていた。

 

 

極限まで無駄な演出はそぎ落とされていて、その分会話と会話のぶつかり合い、ディスカッションが全てというか、文字通り会話劇の楽しさに溢れてて、それこそロケのある舞台劇といった趣き。

 

 

しかもそのロケの美しさが一層会話劇を際立たせていて、それこそ今の映画がいかに無駄に過剰な演出に塗れ、無駄に映像を虚飾していて、あれこれ説明過多なのかがよく分かる。

 

 

ロメールの映画は会話劇なのでそれこそ説明ゼリフが多くなりそうな危険があると思うんだけど、感情の吐露もさることながらあくまでも意見と意見のぶつかり合い、ディスカッションで物語が成り立っているので、無駄に説明することが全くない、それも凄いところなのかな。

 

 

もうね、たった2日間でイッキに7本も観てしまったけど、こんなに中身の濃い映画のイッキ観は初めてかも知れない。

 

昨年の夏にMCUの映画とドラマをあれこれ沢山観たけれど、あの感覚とは全く違う、それこそシネフィルに少しは近づくことができたかなと自画自賛したい気分。

 

 

ああでも大掃除を犠牲にしちゃったな...いやいや、明日少しでもしないとね。

 

ていうかさあと2本残ってるよ。

 

 

エリック・ロメール...参った。

 

 

楽しい、楽しいよ!