今日もまた、流れ行く時間のいいわけに、映画を観た。

先日観た「ニュー・シネマ・パラダイス」の完全オリジナル版。

オリジナルよりも51分ほど長いらしい。

 

allcinemaONLINEなどでの書き込みを眺めていると、オリジナルの方に分があるようで、このロング・バージョンは「蛇足」と捉える映画ファンが多いようだ。

 

でも私はこちらの方が好きかも知れない。

確かに蛇足と思ったシーンもあったにはあったが、全体的な印象がかなり変わって、私にとってはこちらの方がラストシーンの意味がよく分かったような気がして、よりグッと来た。

 

サルバトーレがジャック・ペランになってからのシーン、つまり現代のシーンがかなり増えていて、そこにこの完全版で初めて出てくるブリジット・フォッセーとのシーンが加わって、まるで違う映画に迷い込んだような気がするくらいに異質だったが、その異質な雰囲気...まるでフランス映画に切り替わったようなまったり感が、私にとってはとてもいいアクセントのように思えた。

ふたりともフランス人だというせいもあるのかも知れないが、このシーンはこの「完全版」においてもっとも存在意義のある部分だと思う。

 

この現代のラブシーンの付加によって、ラストのあの「フィルム」により感情移入できたというか、亡くなったアルフレードのサルバトーレに対する思いがより鮮明になったように思った。

オリジナルを最初に観ていてそれが「先入観」になっているから、どうしても「比較」ということでしたこの作品を推し測ることができないが、それでも何だか思ったより大分違う余韻が私に残ったことに驚いている。

 

123分のオリジナル版は、好きな人には絶対的な「編集」で、この174分の「完全版」は蛇足だというのが一般的な見方であるようだが、そもそもイタリア本国で公開された最初のオリジナル・バージョンは155分とウィキペディアにあるし、トルナトーレにとっては何が「オリジナル」なのだろうかと、ふと考えてしまう。

今日この「完全版」を観たかぎりでは、製作者のファイナル・カット権に翻弄された部分も少なからずあっただろうことは想像に難くない。

 

どちらにしても私にとって「オリジナル版」は説明不足のような気がするし、オリジナルに心酔しているファンにとっては「完全版」は蛇足なのだろう。

どちらにしても私が89年当時、いや少なくとも20代にこの「オリジナル」を観ていたら、ひょっとしたら心に残る名作の1本になっていたのかも知れない。

そういう意味では、時機を逸したということなのだろう。

 

会いたいときに、あなたはいなかった...この映画じゃないが、すれ違いの恋を後悔するような、懐かしんでいるような、不思議な感覚だ。

 

余談だが、今日は私にとってある意味において最後の日。

...まあそんなことはいいか。