(2016.08.11加筆修正)
2年ほど前に、当時の所属団体の状況を憂いつつ書いた文章です。
個人的な状況も含め多くが変わりつつありますが、そんなに間違ったことは書いていないのかなとも思います。
今回は楽器の練習、中でも個人練習にやや偏った話です。真面目にスクールバンドでコツコツやっていた人にとっては、恐らく全く参考にならない話かもしれません。。。
まず最初に、僕は個人練習というものを殆どしません。
といいますか、現実問題、殆ど出来ません。
言い訳がましいかもしれませんが、今の自分に置かれた環境 (職場の環境なども含め) で1時間とか2時間とかまとまった時間を取ることは非常に困難です。毎週顔を出せる人が、羨ましい限りです。
管弦楽器の人が演奏会等の本番に向けて曲をさらうのは当たり前ですが、打楽器奏者にとってはいつも当たり前とは限りません。木管楽器奏者が難解なパッセージを一生懸命さらうことはあっても、打楽器奏者が20小節くらい続くウインドチャイムの全音符の譜面を真面目にさらう姿をみたことありませんよね。金管楽器奏者がきらびやかな音創りのためにロングトーンを重点的に取り組むことはあっても、打楽器奏者がきらびやかな音創りのために何度も銅鑼を強打していたら周囲から人が引いて行くだけで、それはほぼ意味をなしません (大真面目にそういうことをされる迷惑な方も少なからずいるのですが)。
実際に打楽器奏者が一度の演奏会でさらう音符の数というのは、弦楽器奏者や管楽器奏者に比べれば微々たるものです。マレットパーカッションこそさらう時間も要りますし音符も多いですが、高音木管楽器や弦楽器群と比べれば、やはり圧倒的にオタマジャクシの数は少ないのです。
では、何に時間をかけるかというと、大きく以下の5つと、僕は考えています。
① さらう曲の譜面の解釈 (打楽器では五線に音譜以外の不思議なfigureや、使用楽器・マレット等の指定指示、奏法指示などの独特の指示が少なくない)
② 技術的に及ばない部分の練習 (例えば鍵盤の高速パッセージさらったり、スネアドラムの難解なリズムパターンを教則本とかルーディメンツにあてはめてみる)
③ それなりに叩ける部分における、楽器やマレットの選択、他打楽器や管楽器とのバランス調整 (楽器の充実度にも左右されることが多い)
④ 譜面にかかれていない部分についての検討 (指定されいないドラムのフィルイン、行進曲のスネアドラムやシンバルなどで、アンコール演奏の際に楽器を重ねるかどうか、ラテンやポップスの曲で譜面にない楽器を足すかどうか、逆に人数不足や楽器不足の場合、手の足りない部分を、譜面上のどの楽器を選んでどの楽器を外すか、楽器の場合は他のもので代用できるかどうか)
⑤ 指揮者の指示の解釈と吟味 (指揮者によっては批判的吟味もあります)
これらを均等に時間をかけるとしたら、例えば1時間練習の時間があるとすれば、実際にさらうのは②のみですから、他はパート譜に書き込んでみたり、スコアを読んでみたり、それら全てをひっくるめて音源を聴きながら比較したり、、、結果、たまに個人練習に出てきても10分くらいスネアさらったらあとは曲聴いてたり、譜面とにらめっこしていれば、あっという間に時間は過ぎてしまいます。10小節くらいの難しい部分を延々さらい続けて30分や1時間が過ぎたという経験も多々あります。結局は、普段の合奏練習と同時進行で行わなければならないという状況であるということがお分かりいただけると思います。残念ながら、②はともあれ、①はおざなりにされ、③④⑤はうやむやなままステージへ、、、という奏者が多いように思います。
演奏する曲によっては同じ楽器や譜面を複数の奏者で共有したり、楽器の立ち位置を変えることも少なからずあります。バンドによっては合奏中の私語を厳しく禁止しているところもあるようですが、そのようにされるとこれらの打ち合わせのほとんどができないうえ、本番のステージへリスクを持ち込んでいるも同然です。指揮者・指導者や管弦楽器奏者にとっては後ろでべらべらしゃべっているように聞こえるのかもしれませんが、実は打楽器奏者にとっては大事な打ち合わせの時間でもある (こともある) ので、もう少しご理解をいただきたいところです。
吹奏楽においては曲によってはジャンルが幅広いこともあって、例えばポップスやジャズ曲のアレンジ作品ではやや平易な記譜をされている場合や、逆に音符を足されている場合もあり、原曲で使ってるフィルインのパターンを持ち込んでみたりなど、譜面どおりに演奏することが必ずしも政界とは限らないですし、逆に挙げた団員以外誰も知らないようなマイナーな曲は音源が限定されており、その音源に固執してしまいがちで、実際の譜面と乖離があった場合の解釈にこれまた悩まされます。タンバリンなど、音色に特徴の出やすい楽器などは尚更です。
あれこれと悩むことなく、色々なことをさらりとこなせるようなプレーヤーになりたいものですが、それはまだまだ先のようです。