全国17の民放AMラジオ局で午後9時台に『駒田徳広のミュージックブルペン』が放送されている。プロ野球のナイター中継終了後のクッション番組なので、放送開始時刻は一定していない。ナイター中継が延びて午後10時台に食い込むと、放送が休止になる。2011年までは栗山英樹(元ヤクルト、現日本ハム監督)、2012年以降は駒田徳広(元巨人・横浜、現四国アイランドリーグplus高知監督)がパーソナリティを務めている。
駒田は「悪球打ちの美学」「駒田のなんでも言いますよ」「困った時の駒頼み」などというコーナーを設定したうえで、野球や社会についてあれこれと語っている。9月16日の放送では次のような話をした。
「情報化社会になると、嘘の情報もたくさん出回ります。僕についての情報もインターネット上にいろいろと流れています。最初の妻が産んだ子どもが云々かんぬんとか…。そういった話はデマです。子どもを産んだ事実さえありません。『だったら、なぜ、今まで言わなかったのか』と思うかもしれませんが、相手にも人生があるわけですから…。嘘の情報に惑わされないようにしていただきたいと思います」
駒田は奥歯にものが挟まったような言い方をしたが、これだけでピンと来た読者も多いはずだ。インターネットの世界では「駒田の最初の妻が…」は有名な話だからである。ただ、ピンと来ない読者がいるかもしれないので、一から説明しておこう。

発信源は不明だが、インターネット上では何年も前からこんな噂が流れていた。
「駒田は、今の妻が2人目。最初の妻とは『できちゃった結婚』をした。入籍したとき、妻のお腹は相当大きかったそうで、2カ月後に陣痛が! 駒田は妻と病院に行った。分娩室で妻の手を握り、一緒に出産を乗り越えようとした。『オギャー!オギャー!』。その直後、分娩室は異様な空気に包まれた。赤ちゃんの肌の色が黒かったからだ。助産婦さんも駒田に『おめでとうございます』とは言えず、沈黙したままだったらしい。駒田は呆然としながらも、妻にこう言った。『とりあえず、お疲れ!』。妻の浮気を確信した駒田は、すぐさま離婚した」
この噂は、ネット上で引用や転載が繰り返された。そのうちに「伝説」となり、事実と受けとめる人も現れた。「その噂はデマ」と否定する人もいたが、裏付けを示さなかったため、噂の拡大に歯止めをかけることはできなかった。
駒田は今回、この噂をデマと断言した。子どもの肌が何色か以前に、最初の妻が子どもを産んだこと自体を否定した。ラジオという公の場で口にしたわけだから、駒田の話にウソはないと解釈するのが自然だ。

こう書くと、読者は「お前(筆者)だって駒田の話を文字おこししているだけで、裏付けを示していないじゃないか」と反論するかもしれない。「駒田はそんなに正直者なのか?」と。ならば、裏付けを示そうじゃないか。ついでに、駒田の最初の妻がどこの誰であるかも示しておこう。
さすがに実名は明かせないので、本ブログでは彼女を「石坂明美」と呼ぶことにする。石坂は郡山市出身である。安積商業(現帝京安積)高校の卒業生なので、中畑清(元巨人、前横浜DeNA監督)の後輩に当たる。高校を卒業する直前、ミスユニバース東北地区代表選考会に出場し、応募者295人の中から代表(3人)に選ばれた。
福島民報(1983年2月15日付)にその記事が載っている。選考会は13日に東日本放送(仙台市)のスタジオで行われた。石坂は3人きょうだいの真ん中で、姉と弟がいる。選考会は姉の薦めで出場した。身長170㌢、体重54㌔、バスト85㌢、ウェスト60㌢、ヒップ89㌢というプロポーション。姉弟も長身で、父親は180㌢ある。高校時代はバトントワラーとして活躍していた。
ミスユニバース日本代表選出大会は翌3月、大阪市で行われた。石坂は東北地区代表の1人として出場したものの、入賞することはできなかった。

石坂は1985年、国際科学技術博覧会(科学万博つくば)健康スポーツ館のコンパニオンになった。開催期間は3月17日から約半年間。フランス革命記念日にあたる7月14日、フランス館で「ミス・パリ祭コンテスト」が行われ、各館のコンパニオンら43人が応募した。一次審査を通過した17人がフランス館前広場でウォーキングなどを披露。最終審査の結果、石坂が優勝し、フランス館のパトリック・サンジェス館長からディオールの化粧品セットやマレーシア旅行の招待券などを賞品として受け取った。福島民報(1985年7月16日付)には石坂の「思い出づくりに参加しただけなのに、まさかミスに選ばれるなんて」というコメントが載った。
同博覧会は9月16日に閉幕した。これを受けて、福島民報(1985年9月17日付)に石坂のコメントが載った。
「毎日がとっても充実していて、これからの人生に大きなプラスになると思う。7月14日のコンテストに選ばれてからは訪ねて来る人が多くて、驚いた。孫の嫁に、と3日間も通ってきたおじいちゃんもいた」
試しに「科学万博 コンパニオン 駒田」で検索すると、こんな書き込みが出てきた。
「警備員で働いていました。大塚製薬グループが出展して居た健康スポーツ館のNo1コンパニオン、めちゃめちゃ美人だったOさんが後日元巨人の駒田と結婚した事を後で聞きましたが、遅まきながら最近結婚後すぐ離婚したと聞いて大変ビックリしていますが、本当の話ですか?誰か教えて!なんであんな超弩級の美人を手放すなんて俄かに信じられん」
この質問に対して「駒田、黒人でググれ」という回答があった。念のために言えば、石坂の本名に「お」の文字は入っていない。だから、イニシャルで名前を表記した場合、本来は「O」にならない。(つづく)


【写真】駒田監督の最初の妻が生まれ育った郡山市