〈JAL123便墜落事故〉と〈米軍の横田空域〉 | ☆Dancing the Dream ☆

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1985年(昭和60年)8月12日収録の坂本九ちゃん最後の歌声。
JAL123便墜落事故によって事故死。享年 43歳。


『新八犬伝』黒子姿の語り㊈ の九ちゃん 大人気!
九ちゃんこそ本物のマルチエンターテイナー!天才ですよね!


32年前の 1985年8月12日月曜日18時56分、
JAL123便が、
東京(羽田)発大阪(伊丹)行
ボーイング747SR-100 ジャンボジェットが
群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称 御巣鷹)に墜落。
死者 520名 生存者 4名。

なぜ、長時間 墜落現場が確定できなかったのか…?
本当の事故原因は何なのか…?
他に救える命があったのではないか…?

事故原因や、救出活動の経緯は、
事故調が報告書↓をまとめて公式 に発表していますが、
様々な疑問が呈され、
様々な角度から反証がなされた多くの書物が出版されています。

航空安全委員会HP
・事故調 報告書 一覧 ↓
http://jtsb.mlit.go.jp/jtsb/aircraft/download/bunkatsu.html#5
・事故調 報告書についての解説 ↓
http://www.mlit.go.jp/jtsb/kaisetsu/nikkou123-kaisetsu.pdf




矢部宏治 「いったい このこと(米軍が支配している空域)を
     どのくらいの人が知っているんでしょうかね?」

横田空域についての知事発言 2000年12月 - 2010年12月
   ⬇︎
【e.g.】平成13年第一回都議会定例会 知事施政方針表明(平成13年2月21日)
先月、焼津市上空で起きた航空機のニアミス*(日本航空機駿河湾上空ニアミス事故) は、一歩間違えば史上空前の大惨事となるところでありました。今回の事件では、東京の西の空に大きく立ちはだかる見えない壁、すなわち横田空域の存在を見逃すことができません。横田空域は、戦後、米軍の管理下にあり、ごく一部のルートを除き、民間機が通過することは許されておりません。このため、東京から西へ向かう航空機は、極めて不自然な飛行を余儀なくされております。国民の空の安全を守るため、横田空域を含む横田飛行場の返還を引き続き強く求めてまいります。
(都議会ホームページ本会議の記録より作成)



   
【横田空域】            【JAL123便 飛行ルート】


ともかく、
123便は、相模湾上空で、
何らかの事故、緊急事態が発生し、
その後、米空軍横田管制区域を飛び続け、
米空軍横田管制空域内に墜落したのだということは、
重要な事実です。

あらゆる説が囁かれていますが、
事件の全容が明らかにされないのは、
米軍が何らかの形で関与しており、
日米関係にかかわる問題が背後にあるということは
確かなのではないでしょうか。


JAL123便墜落事故は、
アメリカは対日赤字で不況に沈み、
円安を問題視して、対日感情の悪化がピークに達し、
ついに不当なプラザ合意を迫られる直前の
日本中を震撼させたあまりにも悲劇的な大惨事でした。



プラザ合意 1985年9月22日


全日空機雫石衝突事故 1971年7月30日
自衛隊機と民間機との衝突事故…こんな事故もあったんですね。


雫石の事故…政府は、自衛隊機のミスを認めたのですね。

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佐宗邦皇 2009年8月8日 月例会
佐宗氏は、この講演中に倒れ翌日死去した。

佐宗 邦皇(さそう くにお)代表幹事 1950年(昭和25年)東京・神田生まれ。
日比谷高校、東京大学法学部卒業。
1975年日本航空(株)に入社後、国際業務室、経営企画室、客室乗員部、
日本航空文化事業センター出版部(出向)、JALホテルズ営業部(出向)、
地球環境委員会事務局等歴任。JALの地球環境部門に入り、
CO2をどう抑制したらいいのかという使命感で
モンゴルにJALの森をつくろうと努力した。
全日本航空労働組合本社ビル支部委員長時代には、
日本航空本社移転問題(本社天王州移転)が持ち上がり、
経営悪化を懸念して組合委員長として批判し、
止めさせようとした異色のエピソードをもつ。 2001年早期依願退職。
翌年6月、環境NGO「屋上緑化普及協議会」(現NPO法人地球緑化推進機構)を設立。
代表として地球規模の森林再生と緑化に努めてきた。
歴史研究者の顔も持ち、テレビ東京の歴史番組に出演。
雑誌『ムー』(学研)8月8日号では「蘇我王朝の復活」と題し、
日本史の真相について寄稿している。
日本航空在職中の1978年頃から、新自由クラブ結成に集まった政治青年達を集め、
「新自由主義研究会」を組織。
1980年から「新自由主義研究会」を発展させ「ワールドフォーラム」と改称し、
各界のリーダーを輩出する教育・実践の場として、代表幹事に就任。
毎月各方面からその分野の第一人者を招き、講演会を約30年の長きに渡り開催して来た。 
2009年8月8日の月例会で話している最中、ペットボトルのお茶を飲んだあと倒れ、
救急搬送されたまま、帰らぬ人となった。
2009年8月9日午前11時、脳出血のため東京都足立区の病院で逝去された。
享年59歳。



横田空域 3D


横田空域


JAL123便 飛行ルート








もちろん 沖縄は、
地上だけでなく
広大な空や海もアメリカ軍に占領されていますが、

結局のところ、
米軍人、米要人は、横田基地(地籍 カリフォルニア)から
六本木ヘリポートに飛び、
日本中どこへでも行くことができ、
自由に入出国できます。
日本には国境がないのです。


北方領土の返還など、
あり得ませんね。

基地権を行使すればどこへでも基地を作れるわけですから、
米軍が返還された四島に基地を置く可能性を否定しなかった
谷口さん(国家安全保障局長)は、正直ですよ。