考えるという哲学的営みは、過程というものを重要視するものである。故に、自らの思索の過程の全てを尊重してゆくのである。


 例えば、一冊の本を叙述するためには、相当の個性的な独自の思索の蓄積が必要であって、単にインスピレーションだけによって一朝一夕に成立するものではないのである。


 人生の様々な段階において、様々な知識と経験と独自の思索が積み重ねられて初めて、一つの思想体系は形成されてゆくのである。故に、その書籍の一冊一冊の行間をも尊重し、その過程に輝く全ての真理を発見し、尊重してゆかなければならないのである。


 このように、自らの思想の歴史というものを観つめなおしてゆくことも大切である。人は、その都度、様々な思想的影響を受けながら自らの思想を成長させてゆくものでもあるが、今まで積み重ねてきた思索の一つ一つが黄金の真理の光明を放っているというのが、哲学者、宗教家、芸術家の日常であり、また非日常であるとも言えるのである。


 真理というものは、まさしく生きているものであって、それに共鳴する方も、その都度その都度、様々な体験を経てその真理に通じているのであって、このような自らの心の内なる共鳴現象というものの意味を、深く広く高く洞察してゆかなくてはならないのである。


 思想の大海というものは、そこにおいて様々な方が人生を営み、世界観を獲得してゆくための父となり、母となり、兄弟姉妹ともなってゆくものなのである。

 

 故に、その中で、何が自らの思想上の師であるかを考えるのは自分自身の良心と理性と個性なのであり、このようにして、一日一日真理を獲得し、自らのものにしながら人間は成長してゆくものなのである。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

    天川貴之

(JDR総合研究所・代表)